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執務室で座椅子に座り、紙類を片付けていた午後のこと。
斜陽が窓から射し込み、畳に影を作っている。秋も一段と深まり、本丸では綺麗に色づいた紅葉が見頃だ。
二つの箱の前で、私は息をついた。中にはそれぞれ何枚もの書類――出陣の記録や隊の編成などを記した文書から雑多な書付の類いまで――が、不要なものと残しておくものとに分けられている。やっと終わった作業に一息つき、さて要らない方の箱を本丸のゴミ焼却所へ持っていこうとしたところで。
「あるじさまー!」
「わ、…今剣」
背中によりかかる軽い体重と温もり。瑞々しい声色から判断し、その体勢のまま応対する。
「ぼくとあそびましょう!」
「あ…っと、ちょっと待ってね」
ひらりと机の隣に移動した今剣を制止すれば、彼はその白い頬を餅のように大きく膨らませる。
そういえばここのところは仕事ばかりで、あまり構ってあげられなかった。寂しい思いをさせてしまったかな。
「もう少しで終わるから、ね?」
「こら今剣。あまり我が儘を言うな」
その大きな体躯を曲げ、開け放された障子から窮屈そうに部屋に入ってきたのは岩融。今剣を宥める姿はまるで兄弟のようで、見ているこちらも微笑ましくなる。
「大丈夫、あとは運ぶだけだから」
「なら私が手伝うよ」
岩融の後ろから新たな声がかかる。穏やかな笑みを湛えた石切丸と、そして三日月に小狐丸までもが現れた。
――これでこの場所に、私が所持する刀剣が全て揃ったことになる。決して広くはない執務室に、小柄な者がいるとはいえ男性が五名。それでもむさ苦しくならないのは、彼らの美しさゆえだろう。
「休日であるというのに仕事をするとは、主の勤勉さも時には考えものだなあ」
「全くです。私の毛並みも中々整えて頂けず…寂しゅうございます」
拗ねたような表情をする小狐丸の頭を撫でる。そうすればすぐさまその表情を柔らかくする彼。
あれよあれよという間に破棄する書類の入った箱を石切丸に奪われ、仕方ないなと嬉しさ半分で苦笑した。自分の仲間、ひいては家族とも言える彼らに慕われるのが、心地よくないわけがない。
「それで、今剣は何して遊びたいの?」
「けまりです!」
私の膝に乗り、楽しそうに声を弾ませる今剣。その笑顔を眺めながら、物思いに耽る。
――私には、鍛刀の才がない。
本丸に来た当初から居た、三条派に属する刀剣男士たち。初期刀ともいえるこの五振り以外に、私が顕現できた刀はおらず、それどころか鍛刀に成功したことすらない。
彼らには同じ刀派以外にも、ゆかりのある男士がいるはずだ。詳しくは教えてもらえないけれど、きっとそうに違いない。
みんなのためにも早く仲間を増やしたい。だけれど鍛刀はできない。ぐるぐると頭を巡る悩みを振り切るように、少し躊躇いながら今剣に向き合った。
「私、運動はあんまり得意じゃないけど…」
「あるじさまとあそぶのがたのしいんです! うまいへたはかんけいありません」
得意じゃないどころか、苦手な部類になるけれど。頑張ろう、と気合を入れた。
立ち上がった今剣にはやくはやくと腕を引かれ、慌てて腰を浮かせる。
「じじいも混ぜてはくれぬか」
「だめです! あるじさまはぼくとあそぶんです!」
「もう、いまのつ、る…――ッ!」
名乗り出た三日月を拒否する今剣を諌めようとした、その刹那。
頭が割れんばかりの頭痛に襲われ、立っていられなくてその場に蹲る。
痛みに耐えようときつく目を瞑れば、脳内に浮かぶ情景。
帰り道。大通り。歩道橋。車。夕焼け。高校の、同級生。
いつも人の表情を窺って生きてきた。親の顔も、友達の顔も、見知らぬ他人の顔も。おどおどとした態度が気にくわなかったらしい彼女らに虐められ始めても、それは変わらない。
珍しくその日は、怯えながらも異を唱えて、それが原因で言い合いになって。
本気ではなかったんだろうと思う。勢い余ったのかもしれない。それとも、いつもの遊びの延長線上?
――私は、彼女に、階段から、突き落とされた。
それで。それから――…。
フラッシュバックのように記憶が甦る――甦る? 違う。これは私じゃない。私であるはずがない。だって私はまだ、ここで、いきている。
震える声で呟いた女性名は、知らない人のもので。それに余計混乱する。どうして私はこの名前を知っているのだろう?
「大丈夫か、主、あるじ!」
三日月の声にはっとする。心配そうに私を見つめる、五振り分の瞳。
右手が暖かい。気づかない間に、小狐丸が手を握ってくれていたようだ。
体の震えが止まらない。冷や汗でじっとりと背中が濡れている。
「体調が優れんのか…残念だが蹴鞠は中止だな」
「ぬしさま、暫くお休みなさいませ」
「うん、っ…」
三日月に抱き起こされ、小狐丸に手を引かれて自室へと入る。
石切丸が布団を敷いてくれて、皆に見守られながらそこに横になった。
「ごめんね…今剣」
不安そうにこちらを見つめる彼に謝れば、ふるふると頭を振る。そっと腕を伸ばしてその頬に触れた。
「いいんです! でも、あるじさまのぐあいがよくなったらまたあそんでくれますか…?」
「うん、もちろん」
「主よ、今はゆっくり眠るがいい」
岩融の大きな手が目元を覆う。途端にやって来る眠気。抗わず、そのまま瞼を閉じた。
「おやすみ、主」
最後に聞こえたのは、慈愛に満ちた声。その優しさに包まれるように、私はゆっくりと眠りに落ちていった。
――三日月宗近はひとり、笑う。
主が現世に転生していると知ったとき、体が喜びに打ち震えた。
彼女が逝き、放置された本丸に残された刀剣男士。俺はそのうちの一振りだった。
残された霊力も底を尽きかけ、殆どの男士が現身を保てず、一振りまた一振りと物言わぬ無機物へと戻ってゆく中、俺と数振りの刀たちはなんとかその姿を保ち続けた。
また彼女に会いたい。あの儚げでたおやかな笑顔を俺に向けてほしいと、その一心で。死んだという事実を、受け入れられずに。
「ぬしさま…早くお会いしたいです」
「我らが諦めなければ、きっと会えるさ」
「ああ。…きっと、な」
ある時、現世から声がした。聞き間違えるはずのない、彼女の声が。
「本当なのかい、三日月、本当に、主が」
「ああ、間違いない。主は現世にいる」
「まっていてください、あるじさま。いま、むかえにいきます!」
最後の力を振り絞り、現世へと向かう。また会えるのだと、また笑いあえる、話せる、ふれあえるのだと…そう信じて。
だが――間に合わなかった。
俺は呆然として、主を見つめる。そこに在るのは間違いなく彼女だった。
いつも優しく細められていた目は、空虚に見開かれたまま瞬きもしない。変な方向に曲がった腕、折れた足、血まみれの身体。ひとつひとつは思い出のまま変わらないのに、全てが冷たく瞳に映る。
どうして。
「…貴様が、やったのか」
階段を駆け上がる。久々に振るった刀はいやに重く感じた。喰らわせた一太刀で、あっけなく人間は死ぬ。――それは、主も、おなじ。
斬った女には目もくれず、主の元へと戻る。それぞれ別の女を処理したらしい彼らと一緒に。
震える手で、身体から抜け出そうとしていた魂を包む。それは彼女の人柄と同じようにあたたかかった。
まだだ。絶対に諦めてやるものか。彼女が人でなくなったとしても、絶対に。
――なまえ、と。長い時間の中で手に入れていた真名を呟く。
「帰ろう。俺たちの、本丸に」
そうして再び、彼女を手にいれた。俺たちの、俺の、主を。
「三日月殿。ぬしさまは皆のものです」
「抜け駆けは許さないよ」
「はて、何の話だか」
眠った彼女から目を離さぬまま、こちらを威嚇する小狐丸と石切丸に嘯いた。
この本丸は生きているようで死んでいる。出陣や遠征はできるが、忘れ去られた場所ゆえ政府とは繋がらないため、決まった任務はない。また、我らの神気が満ちたこの場所に、他の神が降りることはない。戦場にて拾ってきた刀を彼女に渡すこともまた、していなかった。連絡用の端末はとうの昔に錆び、封鎖された倉には、前世のなまえが鍛刀した刀たちが山ほど放置されている。
人をやめ、その生から切り離された彼女がしているのは、ただの審神者の真似事だ。
そろそろ神域に閉じ込めてしまいたいとも思うが、周りの男士たちがそれを許さない。同派の刀は皆、どんな形であれ彼女を好いていた。
それでもいいか、と思ってしまう自分がいる。変わらぬ時を皆で楽しく過ごせれば、それで。
自分にとって、彼女と過ごす生温い日常が――何より大切で、いとおしかった。
ユリ柩様
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