一章 - 出会い
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路地裏の片隅で、年端もいかぬ幼女がひとり、座り込んで空を見上げていた。
季節は春先のまだ肌寒い風が吹く頃。行く当てもなく立ち尽くし、途方に暮れて空を眺めている幼女。これからなにをすればいのか、どこへ行けばいいのかもわからずに……自らの最期が近いことだけは敏感に感じとりながら。
そんな幼女の前で立ち止まったのは――ひとりの傀儡人形だった。
それは、只の気まぐれだった。街中で一人でいた子どもが目に留まったという、それだけのこと。
「――どうした、ガキ」
歳は五歳に満たないぐらいだろう。親に捨てられたのか、はたまた親が殺され天涯孤独となったか……何にせよこの場所では珍しくもない。ここは山に囲まれた小さな村。人形造りが盛んだと耳に挟んで来たが、人形は人形でも雛人形など節句に使うようなもの……しかも刺激にもならないようなしょうもないものばかりだった。街の中心に聳え立つ大きな雛人形のオブジェ、その古さとボロさがより哀愁を際立たせている。誰からも忘れ去られたようなそんな田舎町。その一角に位置するスラム地域。
気紛れで声をかければ、そいつはこちらを見た。
服と呼ぶのが烏滸がましいほどボロボロになった布を身に付けている。パサパサと水分をなくし伸びっぱなしの髪は白に近い銀色。付着した血か泥かもわからない汚れの上からでもわかる整った顔立ち。唯一汚れを知らないような、透き通った金の瞳が硬質に輝く。無表情で何の感情もないようにこちらを見るその様子は、虚無――そして、憐れで儚げだった。
背筋を寒気に似た電流が走った。もちろん気のせいだ。傀儡であるオレには感覚器官などない。だが……ふつふつと沸き上がる創作意欲は本物だった。
「お前、オレと来るか?」
衝動に突き動かされたオレの口から、そんな言葉が零れた。差し出した手が、数拍おいて弱々しい力で……けれどしっかり掴まれる。
別に慈善活動に目覚めただとか、優しさからとか、そんなわけはない。
――こいつを傀儡にしたい。ただそれだけだ。
幼女が尋ねられて反射的に頷いたのは、別に助かりたかった……生きたかったわけではない。何を言われても肯定しなければ殴られる。そんな環境にいたせいだった。
珍しく“本体”姿のまま、傀儡の男は歩いていく。その速度が速くて転けそうになる幼女だが、頑張って足を動かした。
スラムを出て、やがて街に唯一存在する宿に辿り着いた男と幼女。ひなびた宿だった。建て付けの悪い引戸に手を掛けて開けば、刺すような外気とは違う暖かい空気が漏れ出て、やっと暖かさに触れた幼女はほっと息をついた。
「……いらっしゃいませ」
入ってすぐの受付にいた女将が、汚れた幼女を見て露骨に嫌な顔をするが、幼女は初めて見る建物の内装に目を輝かせており気づかない。見た目はまるきり少年の男と、汚れきり襤褸を着た幼女の組み合わせは不審を誘うには十分すぎるほどだった。眉をひそめた女将からの怪訝な視線を無視した男は、多めの千両札をカウンターに叩きつけて短く告げた。
「一部屋」
「あ……ありがとうございます。お部屋はこちらです」
素早く札をかき集めたと思えば、女将は一変して丁寧な態度と笑顔を見せ、部屋の案内をすべく受付のカウンターから出る。目をぱちくりさせる幼女は、変わらぬ表情の男に置いていかれそうになって、慌てて後を追った。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
頭を下げた女将が静かに襖を閉める。
狭く古い宿は男にとってはありふれたものだが、幼女にとっては全てが初めての体験だ。あちらこちらに視線を飛ばしている姿はあどけない。
男は女将に案内された部屋のドアを開け、室内を見回す。古いがそこそこ清潔な部屋だった。入り口近くに位置する風呂場を指差せば、幼女は目を瞬かせた。
「まず風呂に入れ。汚れを落としてこい」
「ふろ……」
ぱちりぱちりと目を瞬かせる幼女に、男は頭が痛くなった……気がした。まさか風呂がわからないとは……。大きくため息をついた男に、幼女はビクリと肩を揺らす。
「ご、ごめんなさい……」
体を縮こまらせ、上目使いでこちらを窺う幼女。怯えた様子が板についている。よほど酷い環境にいたのだろう。だがそれは孤児なら誰しも同じことだ。第三次忍界大戦がその幕を閉じてまだ数年、世の中は安定しておらず平和とは程遠い。捨て駒として犯罪に使われるか、売られて男なら奴隷、女なら遊女に成り下がるか、でなければ殺されるか。そのどれもが最悪であることに変わりはない。
「チッ……仕方ねえ」
なおも怯えた態度を取り続ける幼女に男は苛立ちながら、幼女を無理やり抱き上げ脱衣所へ入る。
突然のことに慌てる幼女をよそにその場に下ろし、ゴミと見紛うような襤褸布を剥ぎ取り、白い肌に広がる数多くの傷跡に眉をひそめた。
それはもちろん、幼女が数々の暴力に晒されてきた証拠ともいえるそれらに同情した……のではなく。作品の素体に傷をつけられた苛立ちからだった。痕が残りそうな刃物傷や火傷はほぼなく、打撲ばかりだったのが救いだろうか。怪我による骨の歪みなどもなさそうだ。
「あ、あの……」
おずおずと幼女から掛けられた声に男はしかめていた眉を元の位置に戻す。幼女が身に付けていた服は男の手の中でグシャグシャに握りつぶされていた。
「……何でもねぇ。ほら、入れ」
洗い場へと幼女を促し、自分も服を脱いで後に続く。所在なさげに立ち尽くしていた幼女がこちらを向いて、固まった。
怖がるのも当然か、と男は冷めた目で幼女を見つめる。何しろ自分は傀儡であり、その造形は人間のそれとは違い“仕込み”が加えられている。背にある羽根を模した仕込みが仕舞われている今、一番目を引くのは胸に埋まった核……もしくは腹に空いた穴とそこに格納されているワイヤーだろう。
「……すごい」
男は目を見張った。まさかそう言われるとは夢にも思わなかったからだ。
異形に対する恐怖を知らないのか、好奇心が先に来たのか。それとも――自分の芸術を理解しているのか?
あり得ないと思いつつも、男は気持ちが高揚するのを感じる。自然と吊り上がる口角が気恥ずかしく、それを隠そうとわざと乱暴にシャワーヘッドを手にとって蛇口を捻った。
幼女にシャワーの浴び方を教えていたらすっかり夜になってしまった。男の気は短い方だが、幼女の察しの良さと物覚えの良さから一度もキレることはなかった。相変わらずのビクビクとした態度は少し癇に触るが……。
現在その幼女は、部屋に備え付けられていた子供用の浴衣を着て座布団の上に座り、片膝を立てて窓枠に座る男を見上げていた。湯浴みのおかげで血色の良くなった肌には汚れひとつなく、銀髪にも艶が見える。
「お前、名前は」
「わ、わかりません……」
男が問えば、頭を振る幼女。
「なら、オレがお前に名前を付けてやる。……そうだな……」
男は考えを巡らせながら窓の外を見る。日の落ち始めた街並みの中、煤けた雛人形の巨大オブジェが目に止まった。周囲の建造物よりも一際大きなそれが汚れを纏いながらもまっすぐに立つ姿に、幼女の瞳が重なる。
「お前の名は……ヒイナだ」
「ヒイナ……」
気付けば男は、頭に浮かんだ言葉を口にしていた。
幼女、もといヒイナは与えられた名前をゆっくりと呟く。大事に、胸の中に仕舞いこむように。彼女が誰かから何かを与えられたのは、これが初めてだったから。
「ありがとう、ございます。……あの」
「……何だ」
躊躇いながら口を開閉させるヒイナに、男は片眉を上げる。
「その……あなたさまの、おなまえは?」
何度か迷った後、ヒイナは漸くその小さな口から声を発した。胸の前で小さな手を握り、緊張した面持ちで男の言葉を待つ。
「オレは――サソリだ」
「さそり、さま」
そういえば名乗っていなかったか、と男――サソリは自分の名前を口にした。
反復して辿々しく発音するヒイナ。その礼讃と仰望の入り雑じった金色の視線を受け……サソリは得も言われぬ感覚に背筋を震わせた。
……その“感情”が何よりも厄介だということに、この時の彼はまだ気付いていなかった。
――この日、死にかけていた……否、死んでいたわたしは生き返った。差し出してもらえたサソリ様の手。傀儡であるその手は冷たいのに、何より温かい気がした――