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一次創作

「別れてほしいんだ」

彼が仕事で転勤が決まったと言ったのは一週間前。一年ほどでまたこちらに戻ってくるらしいのだが、気軽に会いに行くような距離ではない。一緒について行ければいいのだが、あいにく私にも仕事がある。
これを機に籍を入れるかどうかの話がなかったわけではないが、呼び出されたカフェでそれとは真逆の切り出しに思わず「そう」とあっけない言葉が出た。
驚かない私を見て彼が驚いている。
真っ先に浮かんだのは浮気。本命の子が転勤先にいるのか、それとも一緒についていくのか。浮気をされていた素振りには気づけなかった。いずれにせよ、捨てられたのは私の方だ。
何か言おうと彼が口を開くも、ためらい、口をつぐむ。優しい彼のことだ、私を傷つけないように言葉を選んでいるのだろう。だが好きな相手から自分を傷つけるような事実を聞かされるのは正直つらい。
運ばれてきたばかりのアイスコーヒーを一気に飲み干し、お代をテーブルの上に置いた。

「それじゃあ」

引き留める声が聞こえたが振り払うように店を出た。
早歩きで駅へと向かう中、じわじわと彼の言葉が体に沁みこんでいく。
これからもずっと一緒にいられると信じていた。好きだった。今でもまだ好きだ。だから彼を困らせたくなかった。彼が私をいらないと言うなら身を引くしかない。愛するひとに出来る最後の贈りもの。

――嘘、傍にいたい。離れたくない、別れたくない。みっともなく泣いて「別れないで」って言いたかった。

でも、そんな醜い姿を彼に見せたくもなかった。だからこれでいいのだ。
自宅にたどり着いた途端、沁みこんでいた彼の言葉と想いがあふれてぼろぼろと泣き崩れた。



それからは失恋を吹っ切るように仕事に打ち込んだ日々を送った。新人の指導にクレーム対応、企画提案資料作成などなどやることは多くて忙しいものの充実していた。残業時間以外は。
今日もまた取引先から締切がほぼ存在しないような案件が回ってきた。それでも上司がうまく働きかけ、今日はなんとか定時を少し過ぎたぐらいの時間で帰路につけた。
そろそろ有給休暇を消化しようか、と働かない頭で考えていると名前を呼ばれた気がした。街中で名前を呼ばれるわけがない、疲れから来る気のせいだと思いつつも立ち止まりあたりを見回していると、もう一度名前を呼ばれる。
声がした方を向くと、そこには数日前に私をフった彼氏――いや、元カレがそこにいた。

「その、久しぶり、だね?」

ぎこちない挨拶をするくらいなら声をかけなければいいのに。そんなところが愛おしくて疲れた頭はすぐに思考を止める。
理由らしい理由も言わず(聞かなかったのは私が逃げたからだが)別れ話を切り出した元カレの評判は友人らにはすこぶる悪くて、自分勝手すぎると怒っていいと言われたものの、顔を見ても怒りという感情は姿を現さなかった。

「もしよかったら、夕飯どう?」
「別にいいけど」

最近のチェーン店の居酒屋でも個室があるので便利である。タブレット端末で飲み物といつくかの料理を頼み終えると沈黙が流れる。

「あの、さ」

気まずそうに話し出した元カレ。視線がきょろきょろとさだまらず、落ち着かない様子がよくわかる。とてもかわいい。

「好きなひと、できた?」
「は?」

元カレの挙動を愛でていたら予想もしない質問が飛んできて思わず声が出た。

「なんで?」
「だって、この前別れてほしいって言ったら、すんなり受け止めてくれたから……」

それは、と反論しようとしたとき「お待たせしましたー!」と店員が飲み物と料理を運んできた。彼はビール、私はウーロン茶。以前と変わらないチョイス。彼がビールに手を伸ばそうとしたがそれを横からかっさらい、ぐびぐびと喉へと流し込む。ジョッキの半分ぐらいまで空けたところでテーブルの上に置いてキッと彼を睨みつけた。

「それは、あんたが別れてほしいって言ったからでしょ?! そっちこそ好きな人新しく出来たから、別れてほしかったんじゃないの? 好きなひとに好きなひとが出来るのは別にいいけど、私じゃなくなるのは耐えらない。だから何も言わず、何も聞かず、あの日は帰ったのよ!」
「僕の好きなひとはきみしかいないけど」
「じゃあなんで、別れるって」
「それは……」

彼が言い淀んでいる間に残りのビールを飲み干す。苦味が鼻を抜け、ぐらりと頬が熱を帯びるのがわかる。

「私だってずっとあなたのことが好き。別れるって言われても好き。今だって好きなの。本当は別れたくなんてない。でも、あなたが別れたいって言うなら別れるわ。だって好きなんだもん。好きなひとのお願いは、なんだって聞いてあげたい」

あの日は耐えられた感情が今日はぼろぼろとこぼれ落ちていく。いくら仕事に打ち込んで考えないようにしたって、ずっと頭の片隅では考えていた。私のなにが悪かったのか。どうしたら引き留められるか。彼が別れを切り出した時点でもう修復は無理なのだろう、という諦めと絶望からずっと目をそらしていた。

「ごめん」

私の激情に対して彼は謝罪の言葉を口にした。
その謝罪は、私の想いに応えられないことへの謝罪なのか。感情はすぐに涙となって溢れだす。

「ごめん、本当にごめん」

彼は繰り返す。ダメ押しされるたびに涙は増える。
もう元には戻れない。その事実にやはりどうしても耐えられそうにない。
逃げるように席を立とうとしたが、その手を彼が掴む。やめて、引き留めないで、醜くなるだけだから。

「お願い、話を聞いてほしいんだ」

上目遣いのお願いには素直に聞くしかない。私より背の高い彼の上目遣いは、こうして座っているときにしか見れないレアなもの。すごすごと元の席に座りなおすと、頼んでいたウーロン茶を改めて口にした。

「僕もきみのことが好きだ。大好き」
「じゃあ、なんで」
「大好きだから、耐えられないと思ったんだ。遠距離になったときに、きみの心が違うひとに向くんじゃないかと……そう疑ってしまった自分が嫌になった。どうせそうなるならその前に別れてしまった方がいいって思って」
「待って」

それはつまり。

「なーんにも相談しないで勝手に考えて勝手に悩んで勝手に結論付けたってこと?」
「ごめんなさい!」

テーブルに両手をつき土下座のように頭を下げる彼にくらりとめまいを覚えた。ビールのせいではないと思う。お互い似ているところがあるとは思っていたが、こんなところまで似ているとは。
勝手に決めつけて、と怒るところなのだろうが呆れてしまって笑ってしまった。

「これで愛想を尽かされて、別れたいと言われるなら仕方ないと思ってる……」
「ばかなの?」
「本気だよ!」

顔を上げた彼と目があってお互いふき出した。

「……転勤を終えて戻ってきたら、結婚してほしいって言うつもりだった」

頼み直したビールでお互い改めて乾杯し、からあげやサラダをつまみながらぽつりと呟く。

「今言ってるけど」
「言わないと伝わらないじゃないか」
「それもそうね。戻ってきたとき、あなたの方が私に愛想尽かせていたらもう一度好きになってもらうから、その覚悟でいてね」
「そんなことないよ。きみこそ、僕に愛想尽かせたら……あ、ダメだ、泣く」
「もっとしっかりして?! 愛しているのはあなただけよ?!」

プロポーズについて問われたときの鉄板エピソードになってしまったのはずっと笑い種になったのであった。
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