ストレイトリガー

――飲みたくなったとき、俺がいないと困るだろうから。
 そんな但し書きのついた手紙の通りに、センリは毎朝紅茶を淹れていた。習慣というのは不思議なもので、紅茶を飲んだ朝は雲が晴れるように頭がすっきりした。イタルはこれを毎日やってくれていたんだ、と思うと、砂利にひっかかったような気持ちになった。
 イタルは、どこか憎めないあの男は。簡単に人を殺していたくせに、自分の命すら享楽に安売りしたくせに、変なところで親切なのだ。

もう何をしてでも生きていくことだけは決めていたから、今日も裏の仕事に従事していた。表の世界に戻れる日はもう来ないのかもしれない。それでも、とセンリはチャンスをうかがって、ちゃんとした仕事への糸口を探し始めていた。少し時間はかかるが、多くの業界に通じている情報屋に恩を売れる依頼だ。ここから正義の味方になれずとも、せめて日向を歩けるようになりたかった。
このままいけば、いつかは戻れる。騙される前のまっすぐな自分に。――このときはまだ、そう思っていたのだ。
 夜までかかる作業をこなし、人目のつかない路地裏の帰り道。形だけの寂れた公園を通りかかったとき、耳の端で物騒な音をとらえた。刃と刃がぶつかる音。――誰かが戦っている。 
直観と運命がセンリを呼んだ。導かれるように音のほうへ歩き出す。無意識に握った光線銃には、最大までエネルギーが装填されていた。
忍び歩きで戦場へ。気配を殺して向かう、上り坂の先。

 そこに、いた。
忘れもしない、あの男。
ぎらついた赤い目と、無造作な黒い髪。存在からほとばしる緊張感。見ただけでわかる殺気、研ぎ澄まされた、刀。
あの日、燃え盛る財団のビル、その屋上に現れた男。――イタルの仇。
 センリはまず、争いに巻き込まれないよう身を隠した。裏の任務に慣れた身体が勝手にそうしていた。仇の男は、センリの反対側にある階段を背にして、髪の長い別の男と戦っている。どちらも、センリに気が付いた様子はない。

 唾を呑む。
 かつて憧れていたのは正義という信念だった。辿り着いたのは程遠い路地裏だった。静かに生き長らえながら、もう悪を演じるほどのことはしないと思っていた。
 それでも――この男だけは。

 頻繁に染め直していた金髪、長い下睫毛、どこか小気味いい乾いた声。イタルはいつもからっとした態度で笑っていた。いい加減だけど、優しさがあった。理解できないけど、わかりあえた。奪われてから気づいたのだ。失った日々の尊さを。
 ――あいつが殺した。
 知らない感情が、胸の奥から湧き上がってくる。心音がうるさく鳴っている。護身用の光線銃が、今だと自分に呼びかけている。逃げる気のないつま先が、笑うように震えだす。知らない感情なのだから、センリにはどうすることもできなかった。
 ただ心に従うままに、赤目の男に狙いを定める。
 そして――センリは生まれて初めて、明確な殺意を以て引き金を引いた。
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