ストレイトリガー
いつも傲慢で狡猾だったスーツの男が、死体になって転がった。それが反逆の合図だった。
情報よりも早く動いて、消火装置を破壊する。すぐさまイタルが、視界に入れたくもないおぞましい花、その巨大な根に火をつけた。
燃やすなら建物ごと。結局そうすることに決まった。花だけではない。研究を知っているであろう男の亡骸に、保管されていたデータ、魔の花を管理する装置まで全てを消し去るには、これが一番手っ取り早かったのだ。
「早く行かねえとな。逃げ遅れたらこっちまで焼け死ぬぜ」
悪事と引き換えに手に入れた力――強化ユニットを起動して、炎の中を走り抜ける。流石に業火を耐えるほどの身体にはなれないが、屋上から無事飛び降りて逃げるには十分だった。
駆けあがった屋上には、煙と熱気だけが先回りしていた。
「あとは放っておけば、全部燃えてなくなる。生きてたやつも、死んだやつも、あの花も全部」
イタルの言う通りだろう。悪人も、何も知らぬ者も、二人以外は誰も彼も。
「これで……よかったんだ」
よかったのか? と問おうとして、その前に結論が出た。財団が滅びた今、少なくとも家族の平穏だけは確保されたのだ。
「あとは、ビルが燃え切ったのを確認して帰るだけ――」
センリが言う、途中。
――熱く暑い天井に、何者かが降り立った。
自分たちとそう変わらない若さの青年であった。まだ距離があって表情は見えないが、うねった黒髪は炎を照り返しよく目立つ。何よりその男は、武器を持っていた。長い刀。ギラリと光る刀身は、殺意の証だ。
青年の赤い瞳が光る――只者ではない。
「悪人狩り……?」
広い屋上で、一歩ずつ狩人は近づいてくる。二人を見極めるかのように。それは猶予を与える歩みではなかった。殺気が肌に刺さる。
「財団は表向きには慈善事業で、ここは一般の施設だったからな。誰から見ても、俺らは完璧な悪役だ」
「僕たちを悪とみなして、殺すつもり、なのか」
その男は果たして、正義なのか。自分たちは。問うている暇はない。
「話してわかる相手じゃ、なさそうだね」
武器が抜き身の刃である時点で、もう相手は戦うつもりでいる。説得するには遅すぎた。
「だろうな。……はは」
黒髪の男は何かに気が付いて立ち止まった。イタルが乾いた声で笑う。堪えきれないという様子で、目を見張っていた。
強そうな敵。すなわち楽しめそうな相手。イタルの考えはそんなところだろう。光線銃を構えれば、応戦の合図になる。
「センリ、先に帰ってろ」
刀を構えた青年が、こちらに駆け出すまでの一瞬。
「俺はあいつと――遊んでから行く」
心底嬉しいという顔で、初めて見るほどの笑顔で、イタルはセンリを突き飛ばした。
背中を強く押されると、屋上から押しのけられた。地上に着地し、ユニットの強化を解除し、燃える建物をただ見上げた。
逃げ遅れれば焼け死ぬと、言ったのは誰だったか。戦闘音が聞こえる。
勘が、いや恐怖が告げていた。突如現れた悪人狩りの男。これまでのどの標的よりも鋭い意志――あれには勝てない。
つまり、イタルはセンリを逃がしたのだ。かなわない相手から、センリを確実に遠ざけた。混乱のさなか、拳を握りしめたのは、苛立ちか、それ以上の怒りがそうさせたのか。
――ふざけるな。
「絶対、後で来いよ……!」
言った声が届くはずもなく、センリはそのまま燃え盛るビルを去った。
その晩、一人で戻った部屋に、イタルは帰ってこなかった。
――翌日、焼けた財団の跡地に侵入した。あっさりと捜査に潜り込めたのは、裏の任務に慣れてしまっていたからだろう。そういう人間に、なってしまった。
焼け跡は酷い有様で、でもそうしたのは自分で――自分たちで。
捜査員に紛れて焼け跡を探り、しばらくして何かを見つけた。焦げて輝きを失った腕時計。イタルがいつも着けていたそれは、留め具が燃え尽きて針が止まっていた。
これが、ここにある、ということは。
――後で行くと、言ったのに。
昨日帰ってこなかった彼は、明日も明後日も帰ってこないのだろう。永遠に。
情報よりも早く動いて、消火装置を破壊する。すぐさまイタルが、視界に入れたくもないおぞましい花、その巨大な根に火をつけた。
燃やすなら建物ごと。結局そうすることに決まった。花だけではない。研究を知っているであろう男の亡骸に、保管されていたデータ、魔の花を管理する装置まで全てを消し去るには、これが一番手っ取り早かったのだ。
「早く行かねえとな。逃げ遅れたらこっちまで焼け死ぬぜ」
悪事と引き換えに手に入れた力――強化ユニットを起動して、炎の中を走り抜ける。流石に業火を耐えるほどの身体にはなれないが、屋上から無事飛び降りて逃げるには十分だった。
駆けあがった屋上には、煙と熱気だけが先回りしていた。
「あとは放っておけば、全部燃えてなくなる。生きてたやつも、死んだやつも、あの花も全部」
イタルの言う通りだろう。悪人も、何も知らぬ者も、二人以外は誰も彼も。
「これで……よかったんだ」
よかったのか? と問おうとして、その前に結論が出た。財団が滅びた今、少なくとも家族の平穏だけは確保されたのだ。
「あとは、ビルが燃え切ったのを確認して帰るだけ――」
センリが言う、途中。
――熱く暑い天井に、何者かが降り立った。
自分たちとそう変わらない若さの青年であった。まだ距離があって表情は見えないが、うねった黒髪は炎を照り返しよく目立つ。何よりその男は、武器を持っていた。長い刀。ギラリと光る刀身は、殺意の証だ。
青年の赤い瞳が光る――只者ではない。
「悪人狩り……?」
広い屋上で、一歩ずつ狩人は近づいてくる。二人を見極めるかのように。それは猶予を与える歩みではなかった。殺気が肌に刺さる。
「財団は表向きには慈善事業で、ここは一般の施設だったからな。誰から見ても、俺らは完璧な悪役だ」
「僕たちを悪とみなして、殺すつもり、なのか」
その男は果たして、正義なのか。自分たちは。問うている暇はない。
「話してわかる相手じゃ、なさそうだね」
武器が抜き身の刃である時点で、もう相手は戦うつもりでいる。説得するには遅すぎた。
「だろうな。……はは」
黒髪の男は何かに気が付いて立ち止まった。イタルが乾いた声で笑う。堪えきれないという様子で、目を見張っていた。
強そうな敵。すなわち楽しめそうな相手。イタルの考えはそんなところだろう。光線銃を構えれば、応戦の合図になる。
「センリ、先に帰ってろ」
刀を構えた青年が、こちらに駆け出すまでの一瞬。
「俺はあいつと――遊んでから行く」
心底嬉しいという顔で、初めて見るほどの笑顔で、イタルはセンリを突き飛ばした。
背中を強く押されると、屋上から押しのけられた。地上に着地し、ユニットの強化を解除し、燃える建物をただ見上げた。
逃げ遅れれば焼け死ぬと、言ったのは誰だったか。戦闘音が聞こえる。
勘が、いや恐怖が告げていた。突如現れた悪人狩りの男。これまでのどの標的よりも鋭い意志――あれには勝てない。
つまり、イタルはセンリを逃がしたのだ。かなわない相手から、センリを確実に遠ざけた。混乱のさなか、拳を握りしめたのは、苛立ちか、それ以上の怒りがそうさせたのか。
――ふざけるな。
「絶対、後で来いよ……!」
言った声が届くはずもなく、センリはそのまま燃え盛るビルを去った。
その晩、一人で戻った部屋に、イタルは帰ってこなかった。
――翌日、焼けた財団の跡地に侵入した。あっさりと捜査に潜り込めたのは、裏の任務に慣れてしまっていたからだろう。そういう人間に、なってしまった。
焼け跡は酷い有様で、でもそうしたのは自分で――自分たちで。
捜査員に紛れて焼け跡を探り、しばらくして何かを見つけた。焦げて輝きを失った腕時計。イタルがいつも着けていたそれは、留め具が燃え尽きて針が止まっていた。
これが、ここにある、ということは。
――後で行くと、言ったのに。
昨日帰ってこなかった彼は、明日も明後日も帰ってこないのだろう。永遠に。