ストレイトリガー
センリとイタル。二人のうち、財団に反抗的なのはセンリの方だ。――というのは、財団側も認識しているらしい。
「あんな戦闘狂と組ませられるなんて聞いてなかった」
「どうして僕の家族まで巻き込むんだ。誰だってよかっただろう」
「目的くらい、教えてくれたっていいんじゃないか」
財団で二人を管理するスーツ男は、そんなセンリの不満を躱しては受け流す。この頃、センリが何かと財団に噛みつくのは――。
――ただの時間稼ぎである。
財団に逆らうと決めたとき、イタルが偵察したいと言い出したのだ。敵を知ることは、戦ううえでかなり重要だという。それからしばらく、センリが仮初の上司に吠える日々が始まった。言うことをきかないのはこっちの一人だけだと、騙すために。
文句ばかりのセンリとは逆に、普段からある程度自由に振る舞っているイタルは、財団の本拠地であるビルのどこに出没しても違和感がなかった。
世間においては慈善団体の本部施設、ということになっているが、この財団のことだ。得体のしれない実験を行っている部屋や、何らかの研究データを保管した部屋もある。
センリが監視を引きつけている間、イタルは建物内をするりと回って、その目的を探っているのだ。
ある日、二人が暮らす部屋に帰り、夕食の後、イタルが唐突に言った。
「見つけたよ。奴らの狙い」
ついにか、とセンリは唾を呑んだ。イタルが食器をすぐ片付けないときは、何か大事な話があるときなのだ。
「にわかには信じがたい話だが――」
そうしてイタルが語りだしたのは、想像よりもはるかにおぞましく、理解の及ばない領域の話だった。
「――人喰い花?」
命を養分にする特殊な植物。その研究が、財団の真の目的らしい。人命を捧げないと育たない特殊な花を、品種改良のように大量に育てて、何かを造ろうとしている。
「……だから人攫いの依頼がたくさんあったわけか」
「この分だと、俺らも用が済んだら養分行きだろうな。もちろん、そんなのはごめんだが」
イタルは余裕ぶって肩をすくめた。センリにとっては話を聞いただけで手が震えるくらい恐ろしい話だったのに、実際にそれを見たというこの男はへらへらと笑っている。大した根性だ、と茶をすする。
「とにかく、その花を絶やせば、奴らの目的は阻止できる」
「花……だったら、火を付ければいいのかな」
諸悪の根源たる花を滅ぼすだけなら、それでいいだろう。しかし、二人の目的は財団の壊滅だ。
「いっそ、建物ごと燃やしちまうか?」
「……機が熟したら、ありかもしれない」
敵の対策を絶ったうえで火事を起こせば、一度ですべてを終わらせられる。ただ。
「でも、それって財団の表で働いてる――何も知らない人たちも巻き込むことにならないか?」
一瞬の沈黙がおりた。静けさは躊躇いを意味した。けれど、イタルが黙ったのは本当に一瞬だった。
「どっちにしろ、ここで働いてる時点で表でも裏でもアウトだろ。運がなかったと思うしかない。……お前のようにな」
「それって、どういう」
運、という、胡散臭い単語が飛んできたが、どうやらふざけて言ったわけではないようだ。センリは言葉を待ち、イタルは続きを説く。
「攫われて花に喰われた奴らと、騙された代わりに生きてる俺たちと。運の良さ以外に違いなんてあるか?」
――この男を知っていたからこそ、納得できる理論だった。イタルなら、そういってもおかしくない。仕方がない。
「君は本当に、命を軽く見てるね」
そういう男なのだ。
「否定はしない」
――嗚呼、違う。この男と自分は、本当に違う。これほどまでに価値観の違う相手と出会うなんて、兄の背中を追っていた頃は思ってもいなかった。
感傷に浸りかけたセンリを、一転してイタルは制した。「いいのか」と、突然問われた。茶化すでもなく、挑発するでもない、真剣な目つきだった。
「慈善団体を襲った犯人だと思われる覚悟はしといたほうがいい。……それでも、やるか?」
「僕は、僕の正義を貫きたい」
「世間様から見ると悪になるけどな。いつか狩られるかもしれないぜ」
センリの決意に、イタルは少しキザな様子で口の端をつり上げる。
「狩られる?」
「悪人狩りって言葉、聞いたことないか? この街には、悪い奴なら殺してもいいって考えの奴がゴロゴロいる。やったのが俺らだってバレたら、命を狙われかねない」
悪を滅ぼす暴力者。許される行為ではない――ただそれは、自分たちも同じだ。センリはテーブルの上で拳を握った。
「説明すれば、わかってくれるかもしれない。本当の悪は財団だってこと」
浅はかなのは、言いながらも自分でわかっていた。そのときが来たら、――自分が襲われる側になったら、センリは戦うだろうか。そのまま返り討ちにしてしまえば、罪が重なるだけだ。殺してくる相手を説得するのは、きっと夢物語。
「説明して、わかってもらえるといいだろうな。上手くいかなかったらお前は逃げろよ。殺した分だけ殺されても、罪滅ぼしにはならねえんだから」
――甘い可能性は、しかし否定されなかった。てっきり一蹴されると思ったのに。
受け入れがたい価値観の違い。浴びてきた返り血の違い。わかりあえない断絶が、あると思っていたけれど。
「イタル。その……君って、優しい奴なのか?」
「まさか。優しかったら、今頃こんなことしてねえだろ」
見たことのない表情だった。何かを慈しむような目つきで、口だけが笑っている。
自分と彼とは違う。ずっとそう考えてきたし、それは今も変わらない。けれど、違うもの同士がわかりあえる瞬間は、確かにあるのだった。
「あんな戦闘狂と組ませられるなんて聞いてなかった」
「どうして僕の家族まで巻き込むんだ。誰だってよかっただろう」
「目的くらい、教えてくれたっていいんじゃないか」
財団で二人を管理するスーツ男は、そんなセンリの不満を躱しては受け流す。この頃、センリが何かと財団に噛みつくのは――。
――ただの時間稼ぎである。
財団に逆らうと決めたとき、イタルが偵察したいと言い出したのだ。敵を知ることは、戦ううえでかなり重要だという。それからしばらく、センリが仮初の上司に吠える日々が始まった。言うことをきかないのはこっちの一人だけだと、騙すために。
文句ばかりのセンリとは逆に、普段からある程度自由に振る舞っているイタルは、財団の本拠地であるビルのどこに出没しても違和感がなかった。
世間においては慈善団体の本部施設、ということになっているが、この財団のことだ。得体のしれない実験を行っている部屋や、何らかの研究データを保管した部屋もある。
センリが監視を引きつけている間、イタルは建物内をするりと回って、その目的を探っているのだ。
ある日、二人が暮らす部屋に帰り、夕食の後、イタルが唐突に言った。
「見つけたよ。奴らの狙い」
ついにか、とセンリは唾を呑んだ。イタルが食器をすぐ片付けないときは、何か大事な話があるときなのだ。
「にわかには信じがたい話だが――」
そうしてイタルが語りだしたのは、想像よりもはるかにおぞましく、理解の及ばない領域の話だった。
「――人喰い花?」
命を養分にする特殊な植物。その研究が、財団の真の目的らしい。人命を捧げないと育たない特殊な花を、品種改良のように大量に育てて、何かを造ろうとしている。
「……だから人攫いの依頼がたくさんあったわけか」
「この分だと、俺らも用が済んだら養分行きだろうな。もちろん、そんなのはごめんだが」
イタルは余裕ぶって肩をすくめた。センリにとっては話を聞いただけで手が震えるくらい恐ろしい話だったのに、実際にそれを見たというこの男はへらへらと笑っている。大した根性だ、と茶をすする。
「とにかく、その花を絶やせば、奴らの目的は阻止できる」
「花……だったら、火を付ければいいのかな」
諸悪の根源たる花を滅ぼすだけなら、それでいいだろう。しかし、二人の目的は財団の壊滅だ。
「いっそ、建物ごと燃やしちまうか?」
「……機が熟したら、ありかもしれない」
敵の対策を絶ったうえで火事を起こせば、一度ですべてを終わらせられる。ただ。
「でも、それって財団の表で働いてる――何も知らない人たちも巻き込むことにならないか?」
一瞬の沈黙がおりた。静けさは躊躇いを意味した。けれど、イタルが黙ったのは本当に一瞬だった。
「どっちにしろ、ここで働いてる時点で表でも裏でもアウトだろ。運がなかったと思うしかない。……お前のようにな」
「それって、どういう」
運、という、胡散臭い単語が飛んできたが、どうやらふざけて言ったわけではないようだ。センリは言葉を待ち、イタルは続きを説く。
「攫われて花に喰われた奴らと、騙された代わりに生きてる俺たちと。運の良さ以外に違いなんてあるか?」
――この男を知っていたからこそ、納得できる理論だった。イタルなら、そういってもおかしくない。仕方がない。
「君は本当に、命を軽く見てるね」
そういう男なのだ。
「否定はしない」
――嗚呼、違う。この男と自分は、本当に違う。これほどまでに価値観の違う相手と出会うなんて、兄の背中を追っていた頃は思ってもいなかった。
感傷に浸りかけたセンリを、一転してイタルは制した。「いいのか」と、突然問われた。茶化すでもなく、挑発するでもない、真剣な目つきだった。
「慈善団体を襲った犯人だと思われる覚悟はしといたほうがいい。……それでも、やるか?」
「僕は、僕の正義を貫きたい」
「世間様から見ると悪になるけどな。いつか狩られるかもしれないぜ」
センリの決意に、イタルは少しキザな様子で口の端をつり上げる。
「狩られる?」
「悪人狩りって言葉、聞いたことないか? この街には、悪い奴なら殺してもいいって考えの奴がゴロゴロいる。やったのが俺らだってバレたら、命を狙われかねない」
悪を滅ぼす暴力者。許される行為ではない――ただそれは、自分たちも同じだ。センリはテーブルの上で拳を握った。
「説明すれば、わかってくれるかもしれない。本当の悪は財団だってこと」
浅はかなのは、言いながらも自分でわかっていた。そのときが来たら、――自分が襲われる側になったら、センリは戦うだろうか。そのまま返り討ちにしてしまえば、罪が重なるだけだ。殺してくる相手を説得するのは、きっと夢物語。
「説明して、わかってもらえるといいだろうな。上手くいかなかったらお前は逃げろよ。殺した分だけ殺されても、罪滅ぼしにはならねえんだから」
――甘い可能性は、しかし否定されなかった。てっきり一蹴されると思ったのに。
受け入れがたい価値観の違い。浴びてきた返り血の違い。わかりあえない断絶が、あると思っていたけれど。
「イタル。その……君って、優しい奴なのか?」
「まさか。優しかったら、今頃こんなことしてねえだろ」
見たことのない表情だった。何かを慈しむような目つきで、口だけが笑っている。
自分と彼とは違う。ずっとそう考えてきたし、それは今も変わらない。けれど、違うもの同士がわかりあえる瞬間は、確かにあるのだった。