ストレイトリガー
センリはリビングでカメラのレンズを磨いていた。任務のない昼下がり、窓から差し込む陽気が二人を外へと誘っていた。その誘いに乗せられて、センリは屋外で何かを撮ろうと思い至ったのだ。
「んなでかいモン持ってかなくたって、写真ならこっちでやりゃいいだろ」
と、今では誰もが持つ多機能通信端末を掲げるイタルは、何もわかっちゃいない。
「だめだ。ホンモノのカメラがいいんだよ。何かのついでじゃなくて、本当に『撮る』ために作られたものだから」
反論は来ず、センリは準備を終えた。イタルは食器を片付けているようで、顔を向けないまま聞いてきた。
「何を撮りに行くんだよ。風景か?」
「そうかもしれない。昔は人ばかり撮ってたから、慣れてないけど……」
シャッターを切って、一枚一枚が手元に来るたびに感動していたあの頃。懐かしさに心をさらわれて、少し話を掘り下げてみた。
「兄さんを撮ってたんだ。兄さん、すごくかっこよかったから」
今や知らないところで、財団に命を握られている兄。どうか彼が無事でありますようにと、祈りながら撮影道具を身に着ける。
「そういえば、僕たちって家族が人質だろ。イタルはどうなんだ?」
――大丈夫なのか?
意図に乗せていたのは心配であり、決してそれ以外の感情はなかった。
「家族なんて、ただ血の繋がっただけの他人だろ」
そう言い放ったイタルは、刃より銃口より冷たい目をしていた。
そんな言い方ないだろ、と、殴ろうとして、やめた。その目に止められた。これ以上今の話題を続けたら、視線の鋭さに刺し殺されてしまいそうだった。
「じゃあイタル、僕に撮られてみない?」
「お断りだ」
「そうだよね。行ってくる」
この返事は予想通りだったので、センリは趣味用の鞄を携え部屋を出た。
公園の広場でカメラを構えた。シティエリアには、意図的に自然を集めて作られた公園がいくつもある。キイキイと音を立てる無人の遊具、名前のわからない青い花、人を警戒もせず地面を歩く鳥。センリは無我夢中になって、そこにあったものはなんでも撮った。
幼い頃のセンリは、夜が来るたびに泣いていた。なにかを失うような漠然とした不安が襲ってくるのだ。朝起きたら家族がいなくなっていたらどうしよう。大好きな花は明日枯れてしまうかもしれない。月は細くなったまま消えてしまいやしないだろうか。兄に相談して、勧められたのは「記録すること」だった。そうして始めた写真趣味は、腕がいいと自負するほどではないが、歴だけはそこそこあった。
だいじょうぶ。ちゃんと記録したから、大丈夫だ。自分で自分に言い聞かせる。束の間を永遠にできる、この写真機は魔法の道具かもしれないと、撮るたびひそかに思っている。
やがて公園には人が増えてきたが、どの人も自分の時間を過ごしているようだった。センリだってそうだ。財団での任務のように姿を隠すこともなく、好きなことをして好きなように振る舞う。周囲にだって、ただの写真趣味の青年にしか見えないだろう。
――それでいいのか?
気づけば胸が潰れそうになっていた。息が苦しい。あくまで一時的のつもりではあるが、自分は悪事を働く財団の一員なのだ。こんなところで、「人間らしく」していていいのか?
カメラを鞄にしまう。ちょうどよくベンチがあったので、木製のそれに腰掛けて空を眺めた。からりと晴れた蒼穹が、センリを見ている。
――まだ。まだ大丈夫だ。自分は無差別な人殺しとは違う。人を騙して殺させる財団とも違う。生きていることに、悪意はない。
自分に語りかけて、ざわめく心の奥を無理やりに納得させた。ふうと息をついて、絡まった悪人と善人の思考を一気に吐き出した。今は、そうじゃない。
空がきれいだ。記録に残そう。
それでいいんだ、今はこれでいいんだと、シャッターを切るたびに繰り返した。悪の手先を演じているが、心まで悪に染まったわけではない。
演じているだけ。自分は、普通の人間だ。きっと引き返せる、殺しの何にも惹かれていない。そう思い込んでいたのだ。このときは。
「んなでかいモン持ってかなくたって、写真ならこっちでやりゃいいだろ」
と、今では誰もが持つ多機能通信端末を掲げるイタルは、何もわかっちゃいない。
「だめだ。ホンモノのカメラがいいんだよ。何かのついでじゃなくて、本当に『撮る』ために作られたものだから」
反論は来ず、センリは準備を終えた。イタルは食器を片付けているようで、顔を向けないまま聞いてきた。
「何を撮りに行くんだよ。風景か?」
「そうかもしれない。昔は人ばかり撮ってたから、慣れてないけど……」
シャッターを切って、一枚一枚が手元に来るたびに感動していたあの頃。懐かしさに心をさらわれて、少し話を掘り下げてみた。
「兄さんを撮ってたんだ。兄さん、すごくかっこよかったから」
今や知らないところで、財団に命を握られている兄。どうか彼が無事でありますようにと、祈りながら撮影道具を身に着ける。
「そういえば、僕たちって家族が人質だろ。イタルはどうなんだ?」
――大丈夫なのか?
意図に乗せていたのは心配であり、決してそれ以外の感情はなかった。
「家族なんて、ただ血の繋がっただけの他人だろ」
そう言い放ったイタルは、刃より銃口より冷たい目をしていた。
そんな言い方ないだろ、と、殴ろうとして、やめた。その目に止められた。これ以上今の話題を続けたら、視線の鋭さに刺し殺されてしまいそうだった。
「じゃあイタル、僕に撮られてみない?」
「お断りだ」
「そうだよね。行ってくる」
この返事は予想通りだったので、センリは趣味用の鞄を携え部屋を出た。
公園の広場でカメラを構えた。シティエリアには、意図的に自然を集めて作られた公園がいくつもある。キイキイと音を立てる無人の遊具、名前のわからない青い花、人を警戒もせず地面を歩く鳥。センリは無我夢中になって、そこにあったものはなんでも撮った。
幼い頃のセンリは、夜が来るたびに泣いていた。なにかを失うような漠然とした不安が襲ってくるのだ。朝起きたら家族がいなくなっていたらどうしよう。大好きな花は明日枯れてしまうかもしれない。月は細くなったまま消えてしまいやしないだろうか。兄に相談して、勧められたのは「記録すること」だった。そうして始めた写真趣味は、腕がいいと自負するほどではないが、歴だけはそこそこあった。
だいじょうぶ。ちゃんと記録したから、大丈夫だ。自分で自分に言い聞かせる。束の間を永遠にできる、この写真機は魔法の道具かもしれないと、撮るたびひそかに思っている。
やがて公園には人が増えてきたが、どの人も自分の時間を過ごしているようだった。センリだってそうだ。財団での任務のように姿を隠すこともなく、好きなことをして好きなように振る舞う。周囲にだって、ただの写真趣味の青年にしか見えないだろう。
――それでいいのか?
気づけば胸が潰れそうになっていた。息が苦しい。あくまで一時的のつもりではあるが、自分は悪事を働く財団の一員なのだ。こんなところで、「人間らしく」していていいのか?
カメラを鞄にしまう。ちょうどよくベンチがあったので、木製のそれに腰掛けて空を眺めた。からりと晴れた蒼穹が、センリを見ている。
――まだ。まだ大丈夫だ。自分は無差別な人殺しとは違う。人を騙して殺させる財団とも違う。生きていることに、悪意はない。
自分に語りかけて、ざわめく心の奥を無理やりに納得させた。ふうと息をついて、絡まった悪人と善人の思考を一気に吐き出した。今は、そうじゃない。
空がきれいだ。記録に残そう。
それでいいんだ、今はこれでいいんだと、シャッターを切るたびに繰り返した。悪の手先を演じているが、心まで悪に染まったわけではない。
演じているだけ。自分は、普通の人間だ。きっと引き返せる、殺しの何にも惹かれていない。そう思い込んでいたのだ。このときは。