鳥籠の中で飛翔せよ

 動物実験は、ふつうは特別実験室という場所でやるらしい。でもあたしは、先輩の実験室――つまり、いつもの部屋を借りていた。お世辞にもきれいとはいえない部屋だけれど、居心地はなかなか悪くない。それに、一室の持ち主はかなり実績のあるひとなので、実験場所としては使い勝手がいい。
「隅の机、借ります。荷物も置かせてくださいね」
「構わない」
 こういうところ、グレイ先輩は変わっているけどまあまあいい人だ、と思う。態度はあまりあったかくないけど。
――実験は、予想していた以上に過酷だった。
 先輩に力を借りながら、いろんな生物にスライムを植え付け、魔法を使い、様子を見て、……処分した。何体も何体も、小動物を殺した。震える手を、なぜか自分の触手が撫でていた。
「こんなこと、しなきゃいけないの?」
 ひどい人間もいるものだ。学生として、単位のために、罪のない生き物を兵器に変える。もういっそ、これがバケモノの所業なんじゃないのか。
(それでもあたしは、人間であることを諦めない)
 身体がどうでも、せめてヒトの心を持ち続けよう――そう決めている。
 爪を隠すように、そっと拳を握る。その左手首には、オレンジのブレスレットがきらりと光っていた。これが証のようなものだ。だって、これをレイラと一緒に買ったとき、あたしは兵士でも軍事研究者でもなかった。

(あれ?)
 ――おかしい。直感的な気づきがあった。
(これを……買ったとき?)
 どうしてあたしは、国家機密のくせにショッピングなんてできたんだろう? 今までぜんぜん疑問に思ってなかったことが、唐突に浮かんできた。
「先輩。あたしたちって本当に国家機密なんですか? それにしてはちょっと、自由が過ぎるような」
 そのまま先輩に聞いてみた。たしかに口止めはされているけれど、縛られているわけでも、閉じ込められているわけでもない。それなのに先輩は、
「私たちが野放しにされているとでも思っているのか?」
 と、不可解な答えをよこした。
「でも、あたし街にだって行けますし、レイラと会っても先生には何も言われませんよ?」
「それは制御ができているからだろう。データを取る関係上、自然体でいる方がいいと判断されたんだ。少なくとも、私が上の立場ならお前を泳がせる」
確かな結果を残している先輩の見立てだ、きっと間違いない。でも、それなら。
「じゃあなんで、先輩はあたしに国家機密だからおとなしくしてろなんて言うんですか?」
「お前は危ないからだ。まだ人間でいることに執着しているんだろう?」
「そうですけど、だからといってあんなに口うるさく――あ、もしかして、あたしのこと心配してくれたりしてますか?」
 おどけてみたけど、この先輩に小細工は通用しない。
「国家機密がどこかで流出しないか、の懸念ならしている」
 あたしのジョークをバッサリと切り捨てて、先輩は結論を急いだ。
「まあ、秘密を守る限り、軍は私たちを生かしてはおくはずだ」
「『秘密を守る限り』?」
 不思議に思って復唱すると、冷たい目で頷かれた。
「その通りだ。秘密が破られたら、真実を知った者も、知らせた者もただではすまないだろう。ここはそういう国だ」
「決まりは守ります! でも、秘密をバラしても、そんなの先生や……軍の、人にはわからないんじゃないですか?」
 一拍置いて、グレイ先輩はため息をついた。
「私たちに移植されたのが、スライムだけであればいいがな」
「どういうことです……?」
「魔術と魔科学の研究は日々発展している。その気になれば、遠隔操作で人間を爆破する兵器も作れる。もちろん、既に作られている可能性もある」
 さあっと背筋が冷えていく。この身体に植え付けられているかもしれない、死の感触が身体を通り抜ける。つまり、秘密を洩らそうとすれば、すぐに消される可能性がある。
「そんな、まさか」
 レイラに、何も言わなくてよかった。この得体のしれない秘密に、彼女を巻き込まなくてよかった。たった一人の親友には、ヒトの世界にいてほしいから。こんな危ないところには、来てほしくないから。

 ――ちなみに、スライム人間を遠隔操作で爆破できるという話は先輩のハッタリだったのだけれど、あたしがそれに気づくことなかった。
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