鳥籠の中で飛翔せよ
あたしの行動は早かった。すぐにギルドを離れて、王都を出た。また暴走が起きる前に、せめてあの人たちの遠くへ行くのだ。探し出されてしまわないような場所へ、連れ戻されてしまわないような場所へ。
レイラのときだってそうだったよね。過去のあたしが言う。軍のことを言い逃したせいであの子を死なせてしまったのだ。あたしは記憶から学んでいる。動き出すのは、早い方がいい。
薄く雪が積もる荒地を進んで、あたしは洞窟まで逃げてきた。あたしが先輩たちに襲い掛かってしまった、あの洞窟だ。たぶん、ここなら誰にも気づかれずに済む。――そう思ったのに。
「ようやく見つけた」
洞窟の入り口に、知らない人が立っていた。白衣を着た、綺麗な感じの、たぶん女の人だ。
「あなた、だれ? あたしを殺しに来たの? バケモノだから?」
「私はサキ・F・グレイ。君たちのような改造兵士を処分している」
「……グレイ」
思いつくのはひとつだけ。あたしが殺してしまったひとも、そんな名前をしていた。
「タクトの関係者? かたきうちに来たの……?」
声に出すのも必死だった。いつまた触手が勝手に動いて、このひとを攻撃するかわからない。
「あんな男の仇討ちなど誰がするか。私は君に、訊きに来たんだ。このまま暴走してバケモノになるか、今ヒトとして死ぬか」
晴天の霹靂だった。いきなり、なんでそんなことを? あたしがおかしくなってることも、彼女はわかってるみたいだった。
「あなたは、なんであたしに選ばせるんですか?」
「それが私の責任だからだ。私は、自分の造った改造兵士全員の命を背負っている」
改造兵士を造った人。確かに、誰かが開発しないとこんな技術は完成していないはずだ。その体現者が、あたしの目の前にいる。
「わかりました」
グレイさんは、きっと改造兵士たちを殺して回っていた張本人だ。けれど、悪い人じゃない。だってこれから、あたしの望みを叶えてくれるから。
「……ヒトとして。ヒトでありたいです。このままじゃ、あたし、壊れちゃう。あたしじゃなくなっちゃう。でも今ならまだ間に合う。自分でヒトの心を持ってるって言えるなら、あたしはきっとまだヒトだから」
気が付いたら、あたしはこれまでにあったことを全部話していた。記憶喪失。ギルドに拾われた感謝。人を殺した後悔。そして何より――自分が狂っていくことへの、恐怖。
最初に優しく話しかけてくれたアーロンさん。ずっと気にかけてくれていたクリスさん。後ろから見守ってくれたリックさん。それから、ギルドですれ違ったとき挨拶したり、出かけるときに見送ったりしてくれたたくさんの。
「あたしの先輩……先輩たちや仲間は、みんないいひとですから。迷惑かけたくないです」
「それはどうだろうな」
なぜかグレイさんは、あたしの先輩を疑っていた。
「もれなく全員、いい人です。そこは譲れない」
「今はそういうことにしてやろう。……さあ、目を閉じてくれ。今からスライムを切り離す」
言われた通り、寝転んで瞼を下ろした。意識がぼやけてきた。頭の中がオレンジ色に侵食されていく。ああ、もう持たない。また、身体が勝手に――。
そのとき、青い刃が切り込んできた。ヒトとバケモノの間、混沌とした境界に秩序を与えている。そんな言葉が、ぼんやりと浮かんだ。不思議なことに、痛くはなかった。バケモノの部分がはがれていって、あたしはただのあたしになっていく。
「大丈夫だ。君は――最初から最期まで、ずっとヒトであり続けた。ヒトとして生き、ヒトとして殺し、そして今、ヒトとして死のうとしている」
あやすような口調。でも、そのすぐ後に、違う色の小さな呟きが落ちてくる。
「お前は人間だ。私にそう思わせてくれた。きっと希望だった。――その礼に、私はお前を殺すことしかできないんだな」
淡々とした口調だった。何を言っているかわからないけど、この人は優しいんだろうな、とぽんやり思った。
もう体に力が入らない。あたしの命は、このスライムに――バケモノに支えられていたんだ。ありがとう。でも、さよなら。あたしは誰かを傷つけて生き延びるより、人間としての死を迎えたいから。
目の前はまっくらで、あたしをヒトに戻してくれたひとの姿は見えない。ただ、それでも。
「ありがとうございます。あたし、ちゃんとあの子に会いに行けそうです」
想ったのは、レイラのことだった。
あたし、謝るね。あのとき助けてあげられなかったこと。あのときレイラを止められなかったこと。そうしたら、また一緒に笑っていられるよね。
その後は、大好きな先輩たちを紹介しよう。そして見守ろう。あのひとたちが幸せであることを、ただ祈ろう。きっと叶う。大丈夫。
だってあたしは――バケモノの身体という籠の中でも、ヒトの心のまま羽ばたいていられたんだから。
レイラのときだってそうだったよね。過去のあたしが言う。軍のことを言い逃したせいであの子を死なせてしまったのだ。あたしは記憶から学んでいる。動き出すのは、早い方がいい。
薄く雪が積もる荒地を進んで、あたしは洞窟まで逃げてきた。あたしが先輩たちに襲い掛かってしまった、あの洞窟だ。たぶん、ここなら誰にも気づかれずに済む。――そう思ったのに。
「ようやく見つけた」
洞窟の入り口に、知らない人が立っていた。白衣を着た、綺麗な感じの、たぶん女の人だ。
「あなた、だれ? あたしを殺しに来たの? バケモノだから?」
「私はサキ・F・グレイ。君たちのような改造兵士を処分している」
「……グレイ」
思いつくのはひとつだけ。あたしが殺してしまったひとも、そんな名前をしていた。
「タクトの関係者? かたきうちに来たの……?」
声に出すのも必死だった。いつまた触手が勝手に動いて、このひとを攻撃するかわからない。
「あんな男の仇討ちなど誰がするか。私は君に、訊きに来たんだ。このまま暴走してバケモノになるか、今ヒトとして死ぬか」
晴天の霹靂だった。いきなり、なんでそんなことを? あたしがおかしくなってることも、彼女はわかってるみたいだった。
「あなたは、なんであたしに選ばせるんですか?」
「それが私の責任だからだ。私は、自分の造った改造兵士全員の命を背負っている」
改造兵士を造った人。確かに、誰かが開発しないとこんな技術は完成していないはずだ。その体現者が、あたしの目の前にいる。
「わかりました」
グレイさんは、きっと改造兵士たちを殺して回っていた張本人だ。けれど、悪い人じゃない。だってこれから、あたしの望みを叶えてくれるから。
「……ヒトとして。ヒトでありたいです。このままじゃ、あたし、壊れちゃう。あたしじゃなくなっちゃう。でも今ならまだ間に合う。自分でヒトの心を持ってるって言えるなら、あたしはきっとまだヒトだから」
気が付いたら、あたしはこれまでにあったことを全部話していた。記憶喪失。ギルドに拾われた感謝。人を殺した後悔。そして何より――自分が狂っていくことへの、恐怖。
最初に優しく話しかけてくれたアーロンさん。ずっと気にかけてくれていたクリスさん。後ろから見守ってくれたリックさん。それから、ギルドですれ違ったとき挨拶したり、出かけるときに見送ったりしてくれたたくさんの。
「あたしの先輩……先輩たちや仲間は、みんないいひとですから。迷惑かけたくないです」
「それはどうだろうな」
なぜかグレイさんは、あたしの先輩を疑っていた。
「もれなく全員、いい人です。そこは譲れない」
「今はそういうことにしてやろう。……さあ、目を閉じてくれ。今からスライムを切り離す」
言われた通り、寝転んで瞼を下ろした。意識がぼやけてきた。頭の中がオレンジ色に侵食されていく。ああ、もう持たない。また、身体が勝手に――。
そのとき、青い刃が切り込んできた。ヒトとバケモノの間、混沌とした境界に秩序を与えている。そんな言葉が、ぼんやりと浮かんだ。不思議なことに、痛くはなかった。バケモノの部分がはがれていって、あたしはただのあたしになっていく。
「大丈夫だ。君は――最初から最期まで、ずっとヒトであり続けた。ヒトとして生き、ヒトとして殺し、そして今、ヒトとして死のうとしている」
あやすような口調。でも、そのすぐ後に、違う色の小さな呟きが落ちてくる。
「お前は人間だ。私にそう思わせてくれた。きっと希望だった。――その礼に、私はお前を殺すことしかできないんだな」
淡々とした口調だった。何を言っているかわからないけど、この人は優しいんだろうな、とぽんやり思った。
もう体に力が入らない。あたしの命は、このスライムに――バケモノに支えられていたんだ。ありがとう。でも、さよなら。あたしは誰かを傷つけて生き延びるより、人間としての死を迎えたいから。
目の前はまっくらで、あたしをヒトに戻してくれたひとの姿は見えない。ただ、それでも。
「ありがとうございます。あたし、ちゃんとあの子に会いに行けそうです」
想ったのは、レイラのことだった。
あたし、謝るね。あのとき助けてあげられなかったこと。あのときレイラを止められなかったこと。そうしたら、また一緒に笑っていられるよね。
その後は、大好きな先輩たちを紹介しよう。そして見守ろう。あのひとたちが幸せであることを、ただ祈ろう。きっと叶う。大丈夫。
だってあたしは――バケモノの身体という籠の中でも、ヒトの心のまま羽ばたいていられたんだから。
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