鳥籠の中で飛翔せよ

 ――意識が覚醒する。知らない天井、知らないベッド、知らない空気。ここはどこだろう。首だけであたりを見回しても、白いカーテンに囲まれたベッドの上では、何もわからない。
(あたしは、確か戦場で死んだはずで……)
 ゆっくりと思い出す。そもそも、あたしは誰だっけ? どうして戦争に行ったんだっけ。思考を浮上させながら耳を澄ます。
カーテンの隙間から、男の人が二人、会話する姿が見えた。
「だったらこの子、うちのギルドに入れない?」
「お前はまたそうやってひとりで事を進める。これで帝国の罠だったらどうするんだ」
「だからといって、死にかけてる人を放ってはおけないだろ」
 会話しているのは、明るい声の男の人と、不機嫌そうな男の人のふたりだ。苛々した声は、後者の人だろう。
「おい、アーロン。だいたい、戦場の情報収集はどうした。このスライム人間ひとりだけが成果ではないだろう」
「とりあえず、帝国側の事情は彼女から聞き出したいな。でも、クリスだって何か掴んでるんだろ? 帝国がこれ以上の領土拡大を狙っているかどうか――問題はそこだからね」
 明るい方の人はアーロンという名前らしい。陽の光に透けるような茶髪が見える。もう片方の人はクリスというようだ。くっきりとした紅の髪を肩まで伸ばしているのが印象的だった。

 それから、あれ? と、アーロンという人が会話を切った。二人組はベッドの前に来て、カーテンをさっと開けた。クリスという方の人が、一言。
「起きたか」

 はっきりとした言い方は、これが夢じゃないと告げていた。きっと死後の世界でもない。あたしは、いま生きてここにいる。
「あたし、死んだはずじゃ。どうしてここに」
「帝国の侵略戦争で、戦場の調査をしてたんだ。そしたらキミが倒れてたから、ここまで連れ帰ってきたってわけ」
 アーロンさんが、軽いノリで言った。きっと優しい人なんだろう。
「ここは、どこですか?」
 まず知りたいのはそれだった。帝国の戦場にいたはずのあたしは、いまどこに拾われたのか。答えをくれたのは紅髪の方だった。
「フェスト王国、王都立ギルド『網の要塞』。帝国人には、西の小王国と言えばわかるか」
「あたしは、帝国人……」
 そう。たしかにそうだった。勝利の栄光は、我がグラン帝国にあり。いやになるほど聞いた言葉だ。
「待って、この子、記憶が混乱してる」
 アーロンさんが言うと、クリスさんがあたしにゆっくり声をかけてくれた。
「落ち着くんだ。思い出せることだけでいいから、話してみろ。おれたちはお前の敵じゃない」

「ええと、あたしは……」
 言われた通り、わかることは全部話した。
自分は帝国軍に所属していたこと。他人とは違う、触手を操る能力を持っていること。戦争に行って、死んだと思っていたこと。きっと、なにかの手違いで助かったんだ。魔法の使い方も、この世界の生活のしかたも、ちゃんとわかる。でも、あたしがどんな名前で、どう過ごしていたか、わからない。
「戦争の、前は……」
そう、友達がいた。大切な親友が。レイラ。その名前だけははっきり覚えてる。あたしのことは思い出せてないのに。彼女と過ごした楽しい日々が、引き出されるように浮かんでくる。
「……なんでもないです」
 でも、彼女のことは黙っておいた。ここでレイラとの思い出を話す意味も理由もない。それに、この記憶はどこかで、宝物のように思えたから。
 アーロンさんが気づかわしげに言う。
「でも、名前がないのは不便だよね。ギルドに登録もできないし」
「登録の件は本人の了承を得てからにしろ。……本当に、名前は覚えていないんだな」
「はい」
 いくら思い出そうとしても、記憶の靄に紛れて、あたしの名前が聞こえない。きっと誰かが呼んでくれていたはずなのに。思い出の中ではレイラの声も、過去の名前を呼んでくれない。

「んじゃ、この中から好きな名前選んでよ。それで呼ぶからさ」
 突然、アーロンさんは厚い本を取り出した。昔の、子供向けの本だった。いったいどこに持っていたんだろう。本を開くと、そこには人名がたくさん並んでいる。
 いきなり見せられた文字列はすぐには頭に入ってこない。けれど、その中に本当に直感で惹かれるものがあった。
「これと、これ」
 姓はクルー。名はアリサ。
「アリサ・クルー、か……いい名前じゃないか!」
「本当にそれでいいのか? もう少し思い出すのを待った方が」
「いいんです。たぶん、思い出せないから」
 これも直感だった。失った日々は戻ってこない。戦場に立ったときのことも、レイラという、大切なひとといた思い出も。それより前の、忘れ去ってしまった暮らしも。
 だとしたら、あたしはここで生きていくしかない。せっかく仲間にしてくれるって言われてるんだから、甘えてしまおうと思った。
「よくわからないけれど……あたしに、あなたたちへの敵意はありません。だから、……よろしくお願いします」
 ――それが、あたしの第二の人生の始まりだった。
22/33ページ
スキ