Order of Border
サキとクロエは連れ立って、帝国の訓練場にいた。中二階に立つと、訓練を続ける帝国兵の姿を一望できる。
全身から触手を生やし、互いに争い合う改造兵士たち。鉄の匂いが絶えることはなく、赤い液体があちこちで飛び交う。彼らの傷は軽いものならばすぐ消えていくが、大怪我を負い運ばれていく者もいる。
クロエが一通り見下ろすと、真横で腕を組んでいたサキが口を開いた。
「これが、改造兵士の戦闘訓練だ。そう怖気づくな、自我も意識も持っている。彼らがこちらを襲うことはない」
「想像はついてたけど、かなりエグいな」
「観たいと言ったのはお前だろう」
訓練とはいえ、死を呼ぶやりとりを直視したくはない。だが、そこには同時に目を逸らしてはならないものがある。自分を管理する女――サキはやはり、帝国の危険な軍事研究者なのだ。改めてその現実を、頭に刻みつける。
傷つけられない日々に慣れて、なくしかけていた敵意を取り戻す。そのためにクロエはここに来た。いつか飼われる立場に見切りをつけ、この帝国を後にする。であれば、まずは目の前にいる女を障害として認識すべきなのだ。
「あんたが主犯格なんだろ? こんなにたくさんの血が流れて、なんとも思わないのか」
「これが軍にとって、必要とされていることだ」
しばしの沈黙が二人を包む。軍人としてのサキを見るのが目的だったはずで、その意志は果たされつつある。けれど。心に茂る黒い茨が、内側から胸を引っ掻く。
「見たくないなら帰ればいい」
黙り込む不死者を案じてか、白衣の女は静かに声をかける。が、言葉と態度は相変わらずで、まるで突き放すようだった。
「帰るって、あの散らかったあんたの部屋にか」
「ああ。今回の視察はあくまでお前の希望だ。私の業務は入っていないから、いつでも引き上げられる」
「いや、このままで大丈夫――」
まだここにいる。と、言いかけたときだった。
ひとりの兵士が、クロエの前に躍り出た。真紅の触手をうねらせ、血走った眼で敵を睨む。触手の先を鋭利な刃に変化させると、彼はまっすぐ迫ってきて――。
鮮血が溢れ、脳髄に痛みが走る。ざっくりと斬られた腹部は、不死者の性質によって徐々に治っていく。けれど。クロエは引きずられたように叫ぶ。
「おれたちのことは襲わないんじゃなかったのかよ!」
「被験体の暴走か。やむを得ない、こちらで処分する」
周囲に告げるや否や、サキは自らの触手を解き放った。切っ先となった青い帯が、赤い触手の生えた四肢をすべて絶ち切る。一瞬の出来事だった。
切り落とした肉体の破片を繋ぎ、サキは兵士の皮膚を縫い合わせていく。その手さばきの見事さといったら。彼女の技量を確信したのはこのときだ。
感心する不死者を尻目に、科学者は白衣を翻し部下に指示を出す。部下たちもまた触手を生やし、倒れた兵士を丁寧に持ち上げた。
「自己修復作用だけでは間に合わない。すぐに運んで治癒にあたれ、何があっても死なせるな」
怒気の篭った声は、初めて知る色をして骨まで響く。一刻を争う事態に、彼女はただ懸命だった。サキにとってあの兵士は、ただの検体ではない。命あるものなのだ――。示された事実に胸を撫で下ろす自分がいて、クロエは僅かに首をかしげた。
「満足したか」
一連の処理を終えて、サキは相手を見ずに言った。
「まあな。人をモノとして扱う軍事研究が、この国の望むことだってのは嫌というほどわかったよ」
それがなければ、眼下の光景が繰り広げられることはなかったはずだ。ただ――クロエは考えずにはいられない。
(けど、あんた自身はどうなんだ。サキ……)
臓腑を過ぎた奥の問いは、繰り返しても声にならず、身に焦げついて離れなかった。
全身から触手を生やし、互いに争い合う改造兵士たち。鉄の匂いが絶えることはなく、赤い液体があちこちで飛び交う。彼らの傷は軽いものならばすぐ消えていくが、大怪我を負い運ばれていく者もいる。
クロエが一通り見下ろすと、真横で腕を組んでいたサキが口を開いた。
「これが、改造兵士の戦闘訓練だ。そう怖気づくな、自我も意識も持っている。彼らがこちらを襲うことはない」
「想像はついてたけど、かなりエグいな」
「観たいと言ったのはお前だろう」
訓練とはいえ、死を呼ぶやりとりを直視したくはない。だが、そこには同時に目を逸らしてはならないものがある。自分を管理する女――サキはやはり、帝国の危険な軍事研究者なのだ。改めてその現実を、頭に刻みつける。
傷つけられない日々に慣れて、なくしかけていた敵意を取り戻す。そのためにクロエはここに来た。いつか飼われる立場に見切りをつけ、この帝国を後にする。であれば、まずは目の前にいる女を障害として認識すべきなのだ。
「あんたが主犯格なんだろ? こんなにたくさんの血が流れて、なんとも思わないのか」
「これが軍にとって、必要とされていることだ」
しばしの沈黙が二人を包む。軍人としてのサキを見るのが目的だったはずで、その意志は果たされつつある。けれど。心に茂る黒い茨が、内側から胸を引っ掻く。
「見たくないなら帰ればいい」
黙り込む不死者を案じてか、白衣の女は静かに声をかける。が、言葉と態度は相変わらずで、まるで突き放すようだった。
「帰るって、あの散らかったあんたの部屋にか」
「ああ。今回の視察はあくまでお前の希望だ。私の業務は入っていないから、いつでも引き上げられる」
「いや、このままで大丈夫――」
まだここにいる。と、言いかけたときだった。
ひとりの兵士が、クロエの前に躍り出た。真紅の触手をうねらせ、血走った眼で敵を睨む。触手の先を鋭利な刃に変化させると、彼はまっすぐ迫ってきて――。
鮮血が溢れ、脳髄に痛みが走る。ざっくりと斬られた腹部は、不死者の性質によって徐々に治っていく。けれど。クロエは引きずられたように叫ぶ。
「おれたちのことは襲わないんじゃなかったのかよ!」
「被験体の暴走か。やむを得ない、こちらで処分する」
周囲に告げるや否や、サキは自らの触手を解き放った。切っ先となった青い帯が、赤い触手の生えた四肢をすべて絶ち切る。一瞬の出来事だった。
切り落とした肉体の破片を繋ぎ、サキは兵士の皮膚を縫い合わせていく。その手さばきの見事さといったら。彼女の技量を確信したのはこのときだ。
感心する不死者を尻目に、科学者は白衣を翻し部下に指示を出す。部下たちもまた触手を生やし、倒れた兵士を丁寧に持ち上げた。
「自己修復作用だけでは間に合わない。すぐに運んで治癒にあたれ、何があっても死なせるな」
怒気の篭った声は、初めて知る色をして骨まで響く。一刻を争う事態に、彼女はただ懸命だった。サキにとってあの兵士は、ただの検体ではない。命あるものなのだ――。示された事実に胸を撫で下ろす自分がいて、クロエは僅かに首をかしげた。
「満足したか」
一連の処理を終えて、サキは相手を見ずに言った。
「まあな。人をモノとして扱う軍事研究が、この国の望むことだってのは嫌というほどわかったよ」
それがなければ、眼下の光景が繰り広げられることはなかったはずだ。ただ――クロエは考えずにはいられない。
(けど、あんた自身はどうなんだ。サキ……)
臓腑を過ぎた奥の問いは、繰り返しても声にならず、身に焦げついて離れなかった。