Order of Border

 クロエは頭を抱えた。胸が重い。目の前にある一冊の本は、彼にとって禁書に他ならないからだ。かつて遠い過去に行われた、人工生命の開発実験。近頃になってある国で再現されたというその記録を、どういう経緯かサキが手にした。
「私の技量なら、これ以上の精度で同様の実験を行うこともできる。帝国で似た素材を扱ったことがあるんだ」
 彼女は普段より得意気で、いまにも歌い出しそうなくらいだった。だが、その奥底にあるのは歯止めのかけられない激流だ。叩きつける眩しさに、目を開けていられず、がたり。椅子が飛ぶ。
「もう、やめろ!」
 卓に手をつき立ち上がる。空の灰皿が揺れた。叫ぶ喉は焼けるように痛い。けれど、構わない。忌むべき扉へと続く、サキの苛烈を遮らずにはいられなかった。つまりはクロエが恐れる死を。彼自身を包含する、この世界の死を。拒まずには。

「あんたは知らないと思うけどな、神はいるんだ」
 荒い言葉で対象を殴る。噛みつきながら、クロエはサキの目に値踏みされていた。沁み出た水が足元を攫う。寒さに怯んでも後には退けない。身構えると、冴え渡る語り口が立ちはだかる。
「知っている。神は世界を作り、魂を造り、魔法を造った。すべての源だ」
「魂の創造をしていいのは神だけだ。ヒトが踏み込んでいいところじゃない。神は人工生命への怒りで世界を滅ぼしたことがあるんだ」
 忘れない。忘れられるはずがない。かつてクロエが片棒の一端を担いだ研究こそ、世界滅亡のきっかけであった。人工生命という存在は、下界に住む人類にとって許されないこと。いまの世界で完成させれば、再び裁きが訪れる。敷かれた前提は不死者の味方だ。そのはずなのに。

「だが既に、魔導人形は発明されている。あれも人工の魂だ。今更私を止めたところで、神の怒りとやらは収まらないだろう。前にも言ったはずだ」
「それはそうかもしれない、けど……まだ、引き返せるかもしれない」
「違うな。いまになって手を引いても、魔導人形が造られたという事実は消えない。ならばあとは前に進むだけだ。毒を食らわば皿までと言うだろう」
「やっぱり、毒なんだろ! だったら、触らないほうがいいに決まってる」
「毒であろうとなかろうと、私は己の命題を果たすだけだ」
「だめだ、サキ。やめてくれ。それは、いけないこと、なんだ……」
 言葉が、続かない。
 そもそもなぜ、自分はサキを止めるのか。クロエはもうわからなくなっていた。禁忌とは、禁忌であるというだけで否定されるはずのものだ。本来なら理論で支えるまでもない。だが、それでは眼前の女には勝てない。

「ああ、そういうことか。お前は、真理を求めることを咎だと言うんだな」
 心臓が止まる錯覚。境界線の向こうから、彼女は一直線にこちらを貫き暴く。目が、仕草が、声が。サキが。全てが。クロエを砕く。
「わかってるなら、どうして」
 零れ出たのは剥き出しの本音だった。きっと自分は、彼女の切っ先を受け止められない。その証拠にクロエは、次の問いに対する解を見出せなかった。

 ――もしも禁断の研究が、神から世界を守るためのものだとしたら?
「そんなこと、できるはずが」
 歯切れの悪い反論が、何も残さず消えていく。答えを持たないということは、それだけで弱い。
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