Order of Border
「なあ、クロエ。お前の意見を聞いてみたいんだが」
サキに名前を呼ばれた。異形たる研究者が作業の手を止めるということは、それなりに大事な用事なのだろう。どうにも億劫で聞きたくない。頭のどこかが拒んだが、今更遮るのも立ち上がるのも妙だ。雨雲を覗き込む気持ちで、クロエは続きを待った。
「心とは、魂と頭のどちらにあるだろうか?」
嫌な予感は当たるものだ。
心がなければ、人はヒトではない。つまり、ヒトを真に把握するには、心の解明が必要不可欠なのだ。そして、研究職であるサキがこの話題に言及する、ということは。
「心は頭にあるが、魂がなければ機能しない……と、私は考えている」
サキは一度語り出したら返答を待たない。だからきっと気がつかないだろう。不死の身体を持つはずのクロエが、激しい眩暈に襲われていることを。
「おそらく心は物体ではなく回路だ。そして人間の肉体のどこに回路があるかといえば、それは頭だ。だが回路は、存在するだけでは動かない」
回路の中を循環するもの、そして循環物に「廻れ」と指示を与える制御者が要る。そこで求められるのが魂。魂の希釈が、魂の核の命ずるままに回路を巡り、そのときようやく心が動く。よって心の成立には、頭脳と魂、その両方が必要――。
「という認識でいるのだが、」
そこまできて、サキはようやく相手に矛先を向けた。
「作家様の視点から見て、私の説はどうだ?」
「それは、」
喉に貼りついた言葉を、彼はどうにかして吐き出す。問い質すべき真意は、是でも非でもない。
「それは、なんの研究だ」
握りしめた拳が小刻みに震える。研究者は不死者の全身を視界に収めて、いつもの乾いた笑みを浮かべた。
「わかっているようだな。お前の大嫌いな人工生命の研究さ」
告げられた刹那、クロエの意識が遠ざかる。錆びついて剥がれない過去が、脳裏で再生されていく。視界が、サキの瞳がぐらりと揺れる。
それは、ふたりの結び目を突き崩す針が、緩やかに、確かに動き始めた瞬間だった。
サキに名前を呼ばれた。異形たる研究者が作業の手を止めるということは、それなりに大事な用事なのだろう。どうにも億劫で聞きたくない。頭のどこかが拒んだが、今更遮るのも立ち上がるのも妙だ。雨雲を覗き込む気持ちで、クロエは続きを待った。
「心とは、魂と頭のどちらにあるだろうか?」
嫌な予感は当たるものだ。
心がなければ、人はヒトではない。つまり、ヒトを真に把握するには、心の解明が必要不可欠なのだ。そして、研究職であるサキがこの話題に言及する、ということは。
「心は頭にあるが、魂がなければ機能しない……と、私は考えている」
サキは一度語り出したら返答を待たない。だからきっと気がつかないだろう。不死の身体を持つはずのクロエが、激しい眩暈に襲われていることを。
「おそらく心は物体ではなく回路だ。そして人間の肉体のどこに回路があるかといえば、それは頭だ。だが回路は、存在するだけでは動かない」
回路の中を循環するもの、そして循環物に「廻れ」と指示を与える制御者が要る。そこで求められるのが魂。魂の希釈が、魂の核の命ずるままに回路を巡り、そのときようやく心が動く。よって心の成立には、頭脳と魂、その両方が必要――。
「という認識でいるのだが、」
そこまできて、サキはようやく相手に矛先を向けた。
「作家様の視点から見て、私の説はどうだ?」
「それは、」
喉に貼りついた言葉を、彼はどうにかして吐き出す。問い質すべき真意は、是でも非でもない。
「それは、なんの研究だ」
握りしめた拳が小刻みに震える。研究者は不死者の全身を視界に収めて、いつもの乾いた笑みを浮かべた。
「わかっているようだな。お前の大嫌いな人工生命の研究さ」
告げられた刹那、クロエの意識が遠ざかる。錆びついて剥がれない過去が、脳裏で再生されていく。視界が、サキの瞳がぐらりと揺れる。
それは、ふたりの結び目を突き崩す針が、緩やかに、確かに動き始めた瞬間だった。