Order of Border
「最後のひとりを処分した」
帰ってきて早々、サキは告げた。風のない水面のようだった。居間の卓に備えられた椅子を引き、クロエに座るよう促す。それから自分はその向かいに腰を下ろし、やがて静かに語り始めた。
「彼女は――」
サキの話によると、こうだ。「彼女」は最初期に改造されたイェーガーで、先の二年戦争に投入された。戦場で倒れて姿を消し、戦死したとされている。しかし実際には生きていて、西の小王国にてギルドに拾われた。ただし生存の代償として記憶を失っており、何も知らぬままスライムの能力でギルドに貢献していたらしい。後に断片的に蘇った記憶から、失った親友の復讐のために帝国へ乗り込み――。
そして、帝国指導者であるタクトを殺した。
それからも自分が何者かわからないまま、暴走する身体を恐れていたのだという。救ってくれた仲間に迷惑をかけないこと、自分がヒトであること、それだけを祈っていた。
「だから、私は彼女の望みを叶えたつもりだ」
こんなところで、兄の死の真相が出てくるとは。零しながら暗い納得を浮かべる。
「仇討ちじゃないんだな」
「私が兄のために、そんなことをするものか」
境界の向こうに確かにあった、サキとタクトの物語。そのすべてが終わっても、クロエには彼女の心がわからなかった。きっとこれからも。永遠に。
なんとなく指の置き場が欲しくなって、煙草に火をつける。旅路で手に入れた灰皿は卓の中央に据えられていた。赤い目の男を意に介さない様子で、眼鏡の女は続ける。
「最後の改造兵士は、未だここにいる。本来なら消してもよかったが」
唯一にして最初で最後。つまりはサキ本人のことだ。だが、彼女の死は実行されなかった。それはなぜか。二人の沈黙は刹那にして破られる。
「私には、やることがある」
青い瞳の奥に灯る炎。その熱さには見覚えがある。道の断片は、帝国を出るときに聞いていた。
「やりたいことをするんだろ」
「そのつもりだ」
誰がなんと言おうと。小さな呟きは斬撃のように響いたが、些末なことだ。
「彼女は」
前置きもなしに、サキは会話をやめて宣誓をはじめた。
「彼女はヒトであり続けた。そして私は、もうヒトではない」
クロエは突き落とされた。突然だった。は、と無意味な声を漏らす。胸のあたりに冷たい石を流し込まれる感覚、その重みに引きずられて視線を落とした。もう一度顔を上げてサキを伺ったが、彼女の瞳が映す色は読み取れない。
「殺したんだ。彼女とともに、ヒトとしての私を。私はもう、ヒトである必要がない……」
クロエはただ理解した。これはサキの真意であり、変えようのない定理なのだ。白くなった煙草の灰が音も立てずに落ちて、そのまま崩れた。
帰ってきて早々、サキは告げた。風のない水面のようだった。居間の卓に備えられた椅子を引き、クロエに座るよう促す。それから自分はその向かいに腰を下ろし、やがて静かに語り始めた。
「彼女は――」
サキの話によると、こうだ。「彼女」は最初期に改造されたイェーガーで、先の二年戦争に投入された。戦場で倒れて姿を消し、戦死したとされている。しかし実際には生きていて、西の小王国にてギルドに拾われた。ただし生存の代償として記憶を失っており、何も知らぬままスライムの能力でギルドに貢献していたらしい。後に断片的に蘇った記憶から、失った親友の復讐のために帝国へ乗り込み――。
そして、帝国指導者であるタクトを殺した。
それからも自分が何者かわからないまま、暴走する身体を恐れていたのだという。救ってくれた仲間に迷惑をかけないこと、自分がヒトであること、それだけを祈っていた。
「だから、私は彼女の望みを叶えたつもりだ」
こんなところで、兄の死の真相が出てくるとは。零しながら暗い納得を浮かべる。
「仇討ちじゃないんだな」
「私が兄のために、そんなことをするものか」
境界の向こうに確かにあった、サキとタクトの物語。そのすべてが終わっても、クロエには彼女の心がわからなかった。きっとこれからも。永遠に。
なんとなく指の置き場が欲しくなって、煙草に火をつける。旅路で手に入れた灰皿は卓の中央に据えられていた。赤い目の男を意に介さない様子で、眼鏡の女は続ける。
「最後の改造兵士は、未だここにいる。本来なら消してもよかったが」
唯一にして最初で最後。つまりはサキ本人のことだ。だが、彼女の死は実行されなかった。それはなぜか。二人の沈黙は刹那にして破られる。
「私には、やることがある」
青い瞳の奥に灯る炎。その熱さには見覚えがある。道の断片は、帝国を出るときに聞いていた。
「やりたいことをするんだろ」
「そのつもりだ」
誰がなんと言おうと。小さな呟きは斬撃のように響いたが、些末なことだ。
「彼女は」
前置きもなしに、サキは会話をやめて宣誓をはじめた。
「彼女はヒトであり続けた。そして私は、もうヒトではない」
クロエは突き落とされた。突然だった。は、と無意味な声を漏らす。胸のあたりに冷たい石を流し込まれる感覚、その重みに引きずられて視線を落とした。もう一度顔を上げてサキを伺ったが、彼女の瞳が映す色は読み取れない。
「殺したんだ。彼女とともに、ヒトとしての私を。私はもう、ヒトである必要がない……」
クロエはただ理解した。これはサキの真意であり、変えようのない定理なのだ。白くなった煙草の灰が音も立てずに落ちて、そのまま崩れた。