Order of Border
足枷の縄を引かれ、クロエはサキに連行されていた。目的地は彼女の私室だ。不自由さを誤魔化そうと、不死者は黙する背中を茶化す。
「大変だねえ。情報収集のためとはいえ、おれとの共同生活を余儀なくされるなんて」
「上層部の命令だ。当然のことだろう」
悪ふざけへの反応は芳しくなかったが、結果としてサキは足を止めた。その場の扉をいい加減に開ける。ここが彼女の住む場所か、と覗き込んだ、その光景にクロエは愕然とした。
「なんだよ、この部屋」
未知なる一室は、とにかく散らかっていた。
床を埋め尽くす書類と様々な道具。そこかしこに脱ぎ捨てられた衣服。あらゆるものが散らばって、足の踏み場がない。壁沿いに並ぶ棚の戸はどれも半端に開いたまま。ふと目をやった部屋の隅、積み上げられた本の横には、なぜか胡椒の瓶が転がっている。
あまりの惨状に、白髪の男は目で抗議した。白衣の女は平然と開き直る。
「文句があるなら独房に行け」
行けと言われても、現状クロエに決定権はない。仕方なく室内に足を踏み入れた。
「ここで何してろって言うんだよ」
「適当に休んでいればいい」
放り投げるように言い、サキは僅かに見える床を器用に渡り歩く。クロエの足枷に繋がる縄を適当な位置に固定すると、そのまま部屋の奥へと行ってしまった。
「休むっつってもなあ。煙草でもあれば吸うけど、何しろっていうんだか」
とりあえず、目についたソファに横になる。結っていた髪をほどいて目を閉じた。しばらくすると、どこからか規則的な音がする。続いて、サキの声。
「なら、私の代わりに料理でもしたらどうだ」
聞こえていたのは食材を切る音らしい。野菜だろうかという憶測は、本来クロエにとってどうでもいいことだった。
「いいだろそんなの。不死者は食べなくても死なねえし」
「そうか。生憎だがもう二人分の材料を切ったところだ。文句は言わずに残さず食べろ」
有無を言わさぬ口ぶりに、クロエは一度まばたきをした。
「……食べたら死ぬってわけでもないんだ、ありがたくいただくよ」
不死者を生かすだけなら食事は不要だ。帝国の研究者ともあろう人物が、まさかこの単純な事実を見落としはしないだろう。ならば一体どうして、クロエの食事を用意するのか。サキの腹の内はさっぱり読めない。
包丁の音は、湯が煮える音に変わっていく。見知らぬ場所ですぐ眠れるわけもなく、クロエは己の置かれた状況に思いを巡らせた。
少なくとも雨風をしのげる居場所はある。実験にさえ耐えられれば、暮らしに困りはしないだろう。とはいえ、長居に気乗りはしなかった。囚われの身など気持ちのいいものではない。だが、仮に脱走するとして、どうやって?
瞼の裏には暗闇が広がっていて、僅かな光はちらついて消えていく。掴めない苛立ちが沸き立って、思いついた文句をそのまま吐いた。
「先に言っとくけど、バケモノに餌付けは通用しないぜ」
「お前は本当に、自分がバケモノだと思っているのか?」
サキの青黒い目がクロエを射抜く。――違和感。
「何も知らない奴が見たら、珍しい色の人間だろうに」
湯が沸く音の合間に、鍋の中をかき混ぜる音が聞こえる。紛れもなく調理中だ。しかし台所に立っているはずの女は、目の前でクロエを覗き込んでいた。
身体を起こして気配を伺う。この部屋にいるのはクロエとサキだけだ。代わりに、妙なものが目についた。青い紐状の、なにか。
太さは人間の腕の半分ほど。伸縮する材質らしく、蛇のようにうねって台所へと伸びている。均一な青いものが、包丁を使って野菜を切り、鍋で具材を煮込んでいるのだ。
そして――その奇妙な物体は、女の腕から生えていた。
「……嘘だろ」
「ああ、そういえばこれを見せたのは初めてか」
絶句するクロエに対して、サキはどこか得意気だった。
彼女の話すところによると。この青い物体は「半生命スライム状変化物質」で、「スライム」と呼ばれている。そしてサキは、移植されたスライムを触手として使役する改造人間なのだという。彼女はその改造方式を完成させた張本人で、兵士に移植を施して戦場に送り出してきた。つまり。
「帝国軍はこういう研究もしているということだ」
改造人間として、触手を操る兵器研究者――それが、サキの真の姿なのだ。
「そんなのありかよ」
口では異論を唱えつつ、クロエは目を細めていた。
異形同士、仲良くしようとでも言えばいいのか。笑えない冗談は自嘲と共に噛み砕く。この女は、不死に見合った相手なのだ。彼女の根城であるならば、この部屋も仮住まいにはちょうどいい。
出来上がった食事が触手に運ばれてきた。研究者と実験体が二人、器の前で手を合わせる。改造人間と不死者が二人、黙々とスープをすする。サキは気にしていないようだが、クロエは一口で眉を顰めた。極端に味が薄いのだ。ちょうど足元に香辛料の瓶があったので、使わせてもらうことにした。瓶の蓋を開けながら喉で笑う。
「あんたがその気なら、しばらく厄介になるとするよ」
「随分とヒトらしい物言いをする。バケモノと名乗ったのはどの口だ?」
勝ち誇った笑みを目の当たりにして、不死者は肩をすくめた。
これではどちらが厄介か、わかったものではない。
「大変だねえ。情報収集のためとはいえ、おれとの共同生活を余儀なくされるなんて」
「上層部の命令だ。当然のことだろう」
悪ふざけへの反応は芳しくなかったが、結果としてサキは足を止めた。その場の扉をいい加減に開ける。ここが彼女の住む場所か、と覗き込んだ、その光景にクロエは愕然とした。
「なんだよ、この部屋」
未知なる一室は、とにかく散らかっていた。
床を埋め尽くす書類と様々な道具。そこかしこに脱ぎ捨てられた衣服。あらゆるものが散らばって、足の踏み場がない。壁沿いに並ぶ棚の戸はどれも半端に開いたまま。ふと目をやった部屋の隅、積み上げられた本の横には、なぜか胡椒の瓶が転がっている。
あまりの惨状に、白髪の男は目で抗議した。白衣の女は平然と開き直る。
「文句があるなら独房に行け」
行けと言われても、現状クロエに決定権はない。仕方なく室内に足を踏み入れた。
「ここで何してろって言うんだよ」
「適当に休んでいればいい」
放り投げるように言い、サキは僅かに見える床を器用に渡り歩く。クロエの足枷に繋がる縄を適当な位置に固定すると、そのまま部屋の奥へと行ってしまった。
「休むっつってもなあ。煙草でもあれば吸うけど、何しろっていうんだか」
とりあえず、目についたソファに横になる。結っていた髪をほどいて目を閉じた。しばらくすると、どこからか規則的な音がする。続いて、サキの声。
「なら、私の代わりに料理でもしたらどうだ」
聞こえていたのは食材を切る音らしい。野菜だろうかという憶測は、本来クロエにとってどうでもいいことだった。
「いいだろそんなの。不死者は食べなくても死なねえし」
「そうか。生憎だがもう二人分の材料を切ったところだ。文句は言わずに残さず食べろ」
有無を言わさぬ口ぶりに、クロエは一度まばたきをした。
「……食べたら死ぬってわけでもないんだ、ありがたくいただくよ」
不死者を生かすだけなら食事は不要だ。帝国の研究者ともあろう人物が、まさかこの単純な事実を見落としはしないだろう。ならば一体どうして、クロエの食事を用意するのか。サキの腹の内はさっぱり読めない。
包丁の音は、湯が煮える音に変わっていく。見知らぬ場所ですぐ眠れるわけもなく、クロエは己の置かれた状況に思いを巡らせた。
少なくとも雨風をしのげる居場所はある。実験にさえ耐えられれば、暮らしに困りはしないだろう。とはいえ、長居に気乗りはしなかった。囚われの身など気持ちのいいものではない。だが、仮に脱走するとして、どうやって?
瞼の裏には暗闇が広がっていて、僅かな光はちらついて消えていく。掴めない苛立ちが沸き立って、思いついた文句をそのまま吐いた。
「先に言っとくけど、バケモノに餌付けは通用しないぜ」
「お前は本当に、自分がバケモノだと思っているのか?」
サキの青黒い目がクロエを射抜く。――違和感。
「何も知らない奴が見たら、珍しい色の人間だろうに」
湯が沸く音の合間に、鍋の中をかき混ぜる音が聞こえる。紛れもなく調理中だ。しかし台所に立っているはずの女は、目の前でクロエを覗き込んでいた。
身体を起こして気配を伺う。この部屋にいるのはクロエとサキだけだ。代わりに、妙なものが目についた。青い紐状の、なにか。
太さは人間の腕の半分ほど。伸縮する材質らしく、蛇のようにうねって台所へと伸びている。均一な青いものが、包丁を使って野菜を切り、鍋で具材を煮込んでいるのだ。
そして――その奇妙な物体は、女の腕から生えていた。
「……嘘だろ」
「ああ、そういえばこれを見せたのは初めてか」
絶句するクロエに対して、サキはどこか得意気だった。
彼女の話すところによると。この青い物体は「半生命スライム状変化物質」で、「スライム」と呼ばれている。そしてサキは、移植されたスライムを触手として使役する改造人間なのだという。彼女はその改造方式を完成させた張本人で、兵士に移植を施して戦場に送り出してきた。つまり。
「帝国軍はこういう研究もしているということだ」
改造人間として、触手を操る兵器研究者――それが、サキの真の姿なのだ。
「そんなのありかよ」
口では異論を唱えつつ、クロエは目を細めていた。
異形同士、仲良くしようとでも言えばいいのか。笑えない冗談は自嘲と共に噛み砕く。この女は、不死に見合った相手なのだ。彼女の根城であるならば、この部屋も仮住まいにはちょうどいい。
出来上がった食事が触手に運ばれてきた。研究者と実験体が二人、器の前で手を合わせる。改造人間と不死者が二人、黙々とスープをすする。サキは気にしていないようだが、クロエは一口で眉を顰めた。極端に味が薄いのだ。ちょうど足元に香辛料の瓶があったので、使わせてもらうことにした。瓶の蓋を開けながら喉で笑う。
「あんたがその気なら、しばらく厄介になるとするよ」
「随分とヒトらしい物言いをする。バケモノと名乗ったのはどの口だ?」
勝ち誇った笑みを目の当たりにして、不死者は肩をすくめた。
これではどちらが厄介か、わかったものではない。