Order of Border

 ――死への恐怖がこの身を人たらしめるのかもしれない。
 サキが抑揚のない声で読み上げたのは、彼女の手にある革表紙の本の一節だった。その響きにクロエはゆっくりとまばたきをする。
「懐かしいフレーズだな」
「著者、クロエ・スタンリー。お前の書いた本だろう、古本屋に売っていた」
 そう。実はクロエは作家であった。巧みな言い回しを得意とする随筆家として、長すぎる人生を切り売りしていたのだ。著書の中では自分が不死者であることも明らかにし、何もかも包み隠さず綴っていた。
「そんな目立つことをしているから、こうして軍に捕まるんだ」
 ごもっともである。クロエは頷くと、にやりと口の端を上げ、わざとらしい笑いを作った。
「わざわざ引用してきたくらいなんだから、思うことがあるんだろ」
「死への恐怖を持つものこそがヒトである――なら私や軍の改造兵士たちはどうなる? 改造された身としてみな死を厭わず、あるいは死を恐れることを諦めた者たちだ」
「そういえばあんたも、もともとは実験体だっけ」
 半分忘れていたが、彼女はヒトとそうでないものの境界に執心している。突きつけられた疑問は、当時だったら真面目に取り合ったかもしれない。が、かの一節は遥か昔に考え出したものだ。彼女のような例外に出会ってしまった以上、それほど正しいとは思えない。というのも、クロエから見たサキの存在感は、これまで出会い別れてきた人間とさして変わりがないのだ。
「腕から触手生やしても、それを料理に使ってるようなやつのこと――おれは、なんだかバケモノだとは思えなくなってきたよ」
 食べるし寝るし。付け足したが、返事はなかった。いくら人間扱いされたところでサキは満足しないらしく、露骨に話題を変える。

「ところで。もう一つ、本の中で気になった点がある。お前の他に不死者がいるのか?」
「いるよ。不死者のくせに死にたがりでかわいそうなジャックくんとか」
「不死者と死、か。……どうなんだ、お前は。永遠に奪われた死について、どう思う」
 盟友の名前を出してはみたが、サキは聞き流してクロエに話を振った。以前引き時を誤って彼女の事情に踏み入った、その意趣返しを兼ねているのかもしれない。ならば隠すのは道理ではない。観念してクロエは明かす。

「おれはね、いまでも死ぬのが怖いよ」
 語る本心は、過去に紡いだどの書にもはっきりとは刻んでいない。これまで体験してきた仮初の終焉を思い返すと、いつだってそこには恐怖があった。
「何度死んでも、何度殺されても。今度こそ本当に『死んで』しまうんじゃないかって、怖くなる」
 死。
 永遠の暗闇、過去現在未来すべての喪失、本来あらゆるものに訪れる終幕のとき。あるいは言葉では表せぬその感覚。
 存在を思うだけで身体が震える。クロエは空気と自分とを馴染ませるようにそっと手と手を握り合わせた。そうしていると、サキが本を読む姿勢のまま静かに言った。
「すまなかったな。何度も殺して」
「……いやいや。サキさんはそれが仕事なんでしょ?」
 クロエの皮肉めいた否定が嘘であったことは、サキの目には明らかだろう。一方クロエにとって、サキの謝罪は本心だった――やはり彼女はヒトの心の持ち主だ、と思いたかった。
 死を持たぬ者が死を恐れるなど滑稽ではないか。クロエは自らを嘲ったが、だからといって怯える本能を変えられるわけでもない。浮いた息だけが乾いた唇に残る。サキはクロエの矛盾を笑わず、それ以上何も聞いてこない。頭の中では、謝られたという事実が何の結論も落とさずに巡っていた。
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