Order of Border
「結局お前は死なないだけで、それ以外はただの人間なのだろう?」
女は不死者を振り返り、淡々と己の意を述べた。
不死者クロエは手足を拘束され、硬い台に寝かされていた。金属をすり合わせる音が聞こえる。これから生身の肉体に刃物を入れられるのだろう。
どうしてこんな事態になったのかは明白だ。不死の力を求める帝国によって、サンプルとして捕らわれたのだ。それからずっと、不老不死の解明と称して様々な実験を繰り返されている。つい先程も効かない薬を注射されたところだ。相手の強大さを知るクロエは、抵抗をとっくに諦めていた。
クロエが持つ、不死者特有の白い髪と赤い目。それらを隠そうともせず、この物騒な国に近づいたのが間違いだったのだ。ふっと考えてから、視界の端に映る女のことを思い出した。
――不死である他は、単なる人間。その評を述べた人物こそが、いままでクロエを切り刻んでいた研究者だ。名をサキという。
囚われの身となって数日経つが、彼女のことはよくわかっていない。軍の命令で不死者を管轄することになった研究者。今のクロエにとって、知るべきことはそれだけで十分だった。
白くて無感動な実験室。動けない以上できることもなく、すぐそばにいる女を見つめる。
研究対象へと真剣に向き合う学者の姿。肩より上で無愛想にうねる黒髪は、毛先だけ海のような青に染まっている。肌はなめらかで、驚くくらい睫毛が長い。眼鏡の奥で不思議に光る蒼黒い双眸が、ぐっとこちらに近づいて、思わず息を詰まらせてしまいそうになる。手袋越しでもわかる細い指は、ギラリと磨かれた刃を握っていて――。
そして、その切っ先が、クロエの首を切り裂いた。
本日三回目の暗転。
撒き散らされた血飛沫はやがて収束し、傷口は元通りに塞がっていく。その様子を静かに眺めて、研究者――サキはしみじみと呟いた。
「何らかの魔術が関わっている可能性は高いが、再現性はないだろうな」
不死の男が目を開けると、白衣の女はさらさらと万年筆を走らせているところだった。クロエは不満げに口を挟む。黙れと命じられてはいなかったのだ。
「おい、いきなり首は流石に痛いって。せめて言ってからやってくれよ」
「加えて、意識を取り戻すのが異常に早い。従来考えていた不死者の特性からは逸脱した現象だ」
色のない報告は、なおさら彼をうんざりさせる。
「それはやられ慣れてるからだよ。こうやって捕まっていろいろされるのも初めてじゃない。異端審問とか拷問とか、長生きしてるといろいろ大変なんだよ」
「そうか。特記事項に追加しておこう」
「労いの一言くらいは欲しかった」
「ああわかった、大変だったな」
サキはこちらを振り向くことなく言い捨てた。実験結果をまとめるべく、書類にかかりっきりになっているのだ。その味気なさに、釘を刺しておきたかった。
「大変も大変だよ。なんたっておれはバケモノだからな」
ヒトの形をしていながら、死を持たぬ存在。「ちがう」モノ。異なるせいでヒトによって排斥されるモノ。
「バケモノを自称、と。なるほど、いいデータが採れそうだ」
挑発を受けない、サキの淡泊な振る舞い。どうしてかクロエは目を惹かれ、研究者をまじまじと見つめた。
――恐怖。憎悪。あるいは羨望、もしくは憐憫。いままで自分に向けられた、様々な感情のどれとも違う。特性を当然に扱われる感覚が少しばかり新鮮で、不死者はついと問うてみた。
その瞳が自分に向ける感情は何なのか。
「しいて言うなら、『興味』はあるな」
彼女は答える。薄い唇が三日月のような弧を描く。ぎゅんと縮み、引き絞られる視線。レンズ越しのまなざしは、肩書きや立場のヴェールを脱ぎ捨てて、サキそのものを見せつける。
「クロエ――不死の者。果たして我々は、お前を『ヒト』と呼べるのか。私はそれに、興味がある」
軍の命令で人体を解剖する冷徹博士。相手は明らかに信用ならない。けれども。
「わかったよ。じゃああんたの好きにすればいいさ」
そんな顔をされたら、うっかり頷いてしまいたくなる。
女は不死者を振り返り、淡々と己の意を述べた。
不死者クロエは手足を拘束され、硬い台に寝かされていた。金属をすり合わせる音が聞こえる。これから生身の肉体に刃物を入れられるのだろう。
どうしてこんな事態になったのかは明白だ。不死の力を求める帝国によって、サンプルとして捕らわれたのだ。それからずっと、不老不死の解明と称して様々な実験を繰り返されている。つい先程も効かない薬を注射されたところだ。相手の強大さを知るクロエは、抵抗をとっくに諦めていた。
クロエが持つ、不死者特有の白い髪と赤い目。それらを隠そうともせず、この物騒な国に近づいたのが間違いだったのだ。ふっと考えてから、視界の端に映る女のことを思い出した。
――不死である他は、単なる人間。その評を述べた人物こそが、いままでクロエを切り刻んでいた研究者だ。名をサキという。
囚われの身となって数日経つが、彼女のことはよくわかっていない。軍の命令で不死者を管轄することになった研究者。今のクロエにとって、知るべきことはそれだけで十分だった。
白くて無感動な実験室。動けない以上できることもなく、すぐそばにいる女を見つめる。
研究対象へと真剣に向き合う学者の姿。肩より上で無愛想にうねる黒髪は、毛先だけ海のような青に染まっている。肌はなめらかで、驚くくらい睫毛が長い。眼鏡の奥で不思議に光る蒼黒い双眸が、ぐっとこちらに近づいて、思わず息を詰まらせてしまいそうになる。手袋越しでもわかる細い指は、ギラリと磨かれた刃を握っていて――。
そして、その切っ先が、クロエの首を切り裂いた。
本日三回目の暗転。
撒き散らされた血飛沫はやがて収束し、傷口は元通りに塞がっていく。その様子を静かに眺めて、研究者――サキはしみじみと呟いた。
「何らかの魔術が関わっている可能性は高いが、再現性はないだろうな」
不死の男が目を開けると、白衣の女はさらさらと万年筆を走らせているところだった。クロエは不満げに口を挟む。黙れと命じられてはいなかったのだ。
「おい、いきなり首は流石に痛いって。せめて言ってからやってくれよ」
「加えて、意識を取り戻すのが異常に早い。従来考えていた不死者の特性からは逸脱した現象だ」
色のない報告は、なおさら彼をうんざりさせる。
「それはやられ慣れてるからだよ。こうやって捕まっていろいろされるのも初めてじゃない。異端審問とか拷問とか、長生きしてるといろいろ大変なんだよ」
「そうか。特記事項に追加しておこう」
「労いの一言くらいは欲しかった」
「ああわかった、大変だったな」
サキはこちらを振り向くことなく言い捨てた。実験結果をまとめるべく、書類にかかりっきりになっているのだ。その味気なさに、釘を刺しておきたかった。
「大変も大変だよ。なんたっておれはバケモノだからな」
ヒトの形をしていながら、死を持たぬ存在。「ちがう」モノ。異なるせいでヒトによって排斥されるモノ。
「バケモノを自称、と。なるほど、いいデータが採れそうだ」
挑発を受けない、サキの淡泊な振る舞い。どうしてかクロエは目を惹かれ、研究者をまじまじと見つめた。
――恐怖。憎悪。あるいは羨望、もしくは憐憫。いままで自分に向けられた、様々な感情のどれとも違う。特性を当然に扱われる感覚が少しばかり新鮮で、不死者はついと問うてみた。
その瞳が自分に向ける感情は何なのか。
「しいて言うなら、『興味』はあるな」
彼女は答える。薄い唇が三日月のような弧を描く。ぎゅんと縮み、引き絞られる視線。レンズ越しのまなざしは、肩書きや立場のヴェールを脱ぎ捨てて、サキそのものを見せつける。
「クロエ――不死の者。果たして我々は、お前を『ヒト』と呼べるのか。私はそれに、興味がある」
軍の命令で人体を解剖する冷徹博士。相手は明らかに信用ならない。けれども。
「わかったよ。じゃああんたの好きにすればいいさ」
そんな顔をされたら、うっかり頷いてしまいたくなる。
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