[11]魔法使い
――生き残ってほしい。
その言葉のためだけに、ルビウスが「滅ぼす側」に回ったとしたら、リンはきっとつらいだろう。あの目、あの声、あの日リンは確信していた。かつて自分を守ってくれたという親友が、いまのルビウスと同一人物だと。
今思えば、リンはどこからきて、どうして討伐隊にいるんだろう。どうして頑なに、右腕を見せようとしないんだろう。信頼はしているし仲間だという認識に嘘はない。けれど――。
(なんで秘密にしているんだろう)
受け止める準備は、いつだってできているのに。
討伐のないある日、きまぐれに訓練室に寄った。前日の夜、シオンにこてんぱんにされてから、少しでも追いつきたくなったのだ。
数人がそれぞれの練習をする中で、ひどく見知った顔があった。
「あれ、ウィリアム?」
ユンだった。素手で魔法陣を描いては消し、描いては消しを繰り返していた。
「珍しいな。ユン、どうしてここに」
「魔法の練習」
「魔法の?」
ユンといえば、闇雲に剣を振り回しているイメージだったが――最初から魔法を使おうとしているのは珍しいな、と素直に思った。その矢先に、
「そろそろ言わなきゃだめだよね。ボク、魔法使いになるんだ」
突然の告白だった。
「魔法剣士を辞めて、ね」
隠しきれない悲しみが、言葉の底に滲んでいた。
すれ違うように逃げていったユンを、ウィリアムは静かに追いかける。気づかれているだろう、それでもこっそりと後を追った。
寂しげに響く言葉を耳に受けたなら、それを放っておけるウィリアムではない。
◇◆◇
ユンは様々な道を通って、少しずつ景色のいい高い丘に向かっていた。目的地に行こうとしたというおり、導かれたように、迷っていた。方向音痴と認めた通りの危なげな道のりに、途中でウィリアムは何回も声をかけそうになった。それでも黙ったままでいたのは、ユンが泣きそうな目をしていたからだ。
やがて森を抜け、小高い丘には、なぜかリンがいた。仲間二人から身を隠すウィリアムに気づかず、あるいは知らないふりをして、二人はそのまま会話を始めてしまう。
(盗み聞きは、よくないかもしれないけど)
仲間の様子を知りたいというのは、悪い気持ちではないはずだ。
「何してるの?」
先に話しかけたのはユンだった。答えるリンも別の意味で浮かない顔をしていた。
「考えてたんだ。ルビウスの、こと」
先の戦いで、リンはあの紅い男がかつての親友と同一人物だと確信していた。優しかった友が冷酷に変わり、しかも自分たちを裏切った。
「違う人だって、思いたかったけど。でも、本人だ。あの頃と変わってしまった、本人なんだ。それが、わかっちゃって」
景色を見つめるリンの隣に、ユンは膝を抱えて座る。
「そうだよね。一度本当のことに気づいちゃうと、もう見ないフリなんてできないんだ。……ボクは、選ばれなかったって。そういう、こととか」
ユンの返事に、リンは静まった。
ウィリアムは陰で頷いていた。戻れなくなったひとが、間違えてしまいそうで怖かった。きっと大丈夫だとわかってはいるが、時に真実はひとを壊す。――シオンのときのように。
「リン君? どうしたの?」
「……大丈夫かな、って。ずっと思ってるんだ。最近ジェシカと何かしているでしょう。でも何も言ってくれないから」
ユンは何も言わず、リンを待っていた。丁寧に選び出した言葉で語りかけるまで。
昼間の気持ちいい風が、草葉を揺らす。一陣が通りすぎたところで、ようやくリンは口を開いた。
「ユンは、思ったことをいつも言ってくれる。いいことでも、悪いことでも。今も同じだよ。いつもみたいに言った方がいい。……僕が、聞くから」
最後の一言で、ふっと何かの糸が切れた。ユンが涙を零しているのだと、遠目で見てもわかった。
「どうしたら。どうしたらいいかな、リンくん。どうしたら楽になるかな。ボク、言いたいことがいっぱいあって、どうすればいいかわからないよ……」
目をこすりながら、飾らず、誤魔化さず、ただユンは泣いていた。子供のようだ、いやユンは少女だ。泣いたっていい、誰だって。
「思ったこと、言ってみればどうかな。せっかくこんな、見晴らしのいいところにいるんだから。叫んじゃおう」
「叫ぶ?」
「そう。ここから。きっとすっきりすると、思うから」
わかった、と立ち上がって、ユンはすうっと息を吸って――腹の底から叫んだ。
「とうさまのバカ!」
隠れながら、ウィリアムはびくりとした。声量と内容に少し驚いたのだ。賢者本人に聞こえていやしないかと不安になる。
「……ほんとだ、すっきりした」
ユンはそのまま座り直し、そっとリンの耳元に近づいた。
「考えてることがあるんだ。ボクね、とうさまに……」
耳打ちまでは、流石にこちらからは聞こえない。kれど、二人の顔つきから、未来が明るい方へ傾いたのだとわかった。
「……それ! すごく素敵だと思う!」
溢れるように、リンが絶賛する。
「僕は……言えなかったけど、ユンには魔法の才能があると思うんだ。これまで何度か。咄嗟に強い魔法を出していたじゃないか。それを磨けば、普通の魔法剣士よりずっと強くなる」
「うん。……リン君ならそう言ってくれる気がしてた。ありがとう」
立ち上がったユンは、もう泣いてはいなかった。
「ボク、行ってくるね。とうさまのところに」
「いってらっしゃい」
帰り際、やはりウィリアムに気づいていたユンは、こちらに赤い目でウインクした。
(オレに、何かできることはないのかな)
仲間のために、導いたり、語り掛けたり、何か――。