[11]魔法使い


 最近ウィリアムが寝坊がちなのは、あれからシオンとの深夜の戦闘が再開されたからだった。シオンはウィリアムを叩きのめしながら「反応が遅い」やら「相手の様子を読む気がない」と痛い指摘を飛ばしてくる。彼の言葉や動きはウィリアムの身体に染みついていき、気づけば魔物との戦いで役に立っていた。大事な訓練だからと自分に言い訳をして、ウィリアムは夜な夜な部屋を抜け出していた。

 しかし、今日ばかりは寝坊をするわけにはいかなかった。朝、下町を魔物が襲う、という、明確な予告が来ていたからだ。実力を買われて最前線に配置された三番隊は、周囲を警戒しながら予測を立てていた。
「誰かが意図的に、ここを襲うと宣言した――ってことは、『奴ら』だろうな」
「ボクもそう思う。ティアラかマルクか、それとも……」
 そのとき、誰かが四人の前に降り立った。名前を挙げた誰でもなく、けれどよく知る姿。
「久しぶりだな、三番隊」
 紅い長髪、橙の瞳、長身瘦躯のその男。
「……ルビウス!」
 忘れもしない。討伐隊を裏切った天才――。本当に彼は、敵になってしまったのだ。
「お前、どうしてそっち側についてるんだ!」
「簡単な話だ。滅ぼす側になれば、滅ぼされない。生きるためさ」
 言い聞かせるように、つまりは見下して、ルビウスは続けた。
「こんな世界なんていらない、滅ぼしてやる。あそこはそんな集団なんだ。だからそっち側についてさえいれば、世界と共倒れしないですむ」
 肩をすくめて、目で嘲笑う。見下すような表情は、討伐隊にいた頃よりも余計神経を逆撫でしてくる。
「オレは生き残る。ただそれだけだ。そのためだけにあっちを選んだ。討伐隊なんて所詮人間の集まり。魔王の強大なチカラに逆らえやしない」
 そこで一瞬、誰の言葉も止まった。はっとして目を見開いて、勇気を振り絞った声が響く。

「ねえ、ルビウス。話を聞いて」
 ああ? と、天才が雑な返事をした。核心を突く言葉を、言い出したのはリンだった。
「本当は、あんな人たちの味方、していたくないんじゃないの?」
「何言ってんだ?」
 冷たい返答と共に火球を飛ばす。その場で防いで、リンは叫ぶ。
「きっと君にも、守りたいものがあるはずだよ! 討伐隊にいたとき、君は一度女の子を助けたよね?」
 ルビウスの目つきが、次第に鋭くなっていく。だからどうした、と声を尖らせた返事にも、リンは臆しない。
「君は自分自身だけじゃない、誰かを守ることができるひとなんだよ」
「守る守るって、さっきからうるさいんだよ! その程度の力で!」
 赤い魔弾が、リンの胸へ一直線。まともに攻撃を受けたリンは思い切り吹き飛んだ。三人が名前を叫ぶ。
「リン! ……ルビウス、お前! やっぱりお前はオレたちの敵なんだな……!」
 致命的な一撃だった。駆け寄ろうとするジェシカを、次の魔弾が止める。リンは少しも動かない。
「逆に今まで気づかなかったのかよ。裏でいろいろしてたのに」
 怒りのままにウィリアムは剣を構え、魔法陣も描き出す。だが、それらが動き出す前に、弱弱しくも確かな声が聞こえた。

「……たしかに」
 倒れたはずのリンが、ゆっくり、しかし突然立ち上がったのだ。
「たしかに……僕が誰かを守るのは、力不足かもしれない」
 焼け焦げたローブの胸元に、なにかが光っている。
「でも、誰かを守ることは、誰かに守ってもらうことでもあるんだ!」
 ルビウスが、リンを見つめて目を見開く。
「オレが外した? いや、確実に当てたはず……」
 彼の胸からは煙が出ている。魔弾を受けた証拠だ。それでも、リンは生きている。
 ――その懐に、手作りのお守りが輝いていた。不器用で、けれど確かに発動した防御魔法。リンの命を救った首飾り。
「オーブリの、子供たちからもらったんだ。僕が助けた人が、今度は僕を助けてくれた」
「それは、――っと」
 一瞬の隙に、ウィリアムはルビウスを狙って斬りかかった。しかし相手は流石に天才だ、狼狽のさなかでも攻撃は受け止められる。
「素直に投降した方がいい。お前はいま、四人に囲まれてる」
「囲まれた程度で捕まるようじゃ、二流だな」
 四人を相手に、ルビウスが選んだのは転移魔法だった。

「逃げる気か!」
「不利だから、そりゃな」
 その姿が消える寸前、ルビウスはリンを振り返って言った。
「誰かを守るなんて話は――守り切ってから言うことだ」
「それって――待ってルビウス! 君は――」
 そこで天才はその場を去り、三番隊だけが残された。
「守り切るって、まさか」
 かつての討伐隊員、裏切り者を逃した三番隊は、しばらくの間黙り込んだ。沈黙を破ったのは、草の上に座り込んだリンだった。
 虚空を、ルビウスが消えていったその場所を見つめて、呆然としながら話し出す。
「前に……ルビウスのこと、大切な人に似ていると、言ったことがあるよね」
 三人がそれぞれの相槌を打つ。
「彼は本当に、その人なのかもしれない。きっとそうだ」
 消えてしまったはずの親友。彼とよく似た悪人。けれど、ふたりは、同じひとりの人間だ。
「それって――」
 どれほど複雑だろうかとウィリアムが声をかけたが、リンはそれをも遮った。
「僕が言ったんだ。生き残ってほしい、って。だから彼は、きっと」
 吹き始めた風が、森の葉をさらさらと鳴らしていた。
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