[2]目覚める闇
事件が起きたのは、あくる日。
続く討伐の舞台は、近郊の街だった。魔物の襲撃に悩まされており、討伐隊に依頼が来たのだ。結界部隊が市街地に結界を張り、その外側を討伐隊が進む。
現れた魔物たちは、似たり寄ったりな気配と形をしている。ウィリアムは調子よく剣を振る。身体に任せるようにして、魔物たちをばらばらにしていく。迫りくる最後の一体さえも、真上から叩き切って一撃で仕留めるほどだ。今日の敵は、弱い――このときには既にそう確信していた。
「こんなもんかな。さんきゅ」
魔物自身の脆さもそうだが、何よりリンの強化魔法が有難かった。ユンと背中合わせになり、ジェシカの援護射撃の隙を縫うように敵を撃破していく。仲間も進歩を肌で感じているのか、目と目が合って微笑みを交わす。そのとき四人の耳が、あるはずのない存在を捉えた。
――ぱらぱらと降ってくる、乾いた音。
違和感に顔を上げる。拍手だ。誰かが拍手している!
(いったい誰が、)
視線を巡らす。その男は、木の上にいた。
「はァい、そこまで」
夕日のような橙色の髪。長い前髪で右目が隠れている。片方だけの鋭い眼光、そして歪んだ笑み。
ゆるやかにフェードアウトしていく打音に愉しみはあれど、魔物と戦う意思はみられない。服装からすると武装した旅人だろうか。けれど、何故ここに? 全身に走る戦慄は、それがただの疑いで終わらないことを予感させた。
小型の魔物たちが湧き出てくるが、彼は気にも留めない。祝うように両手を広げ、
「さて、討伐隊のみなさん。お祭りといこうじゃないか」
その手が振り上げられると同時に、空気が変わった。正確には、変わったのは敵の動きだった。空を覆う蝙蝠型の魔物たちは、一斉に四人を見る。次々に軋んだ金切り声をあげたかと思うと、彼らは与えられた獲物に揃って牙を剥いた。先程までとは比べ物にならないほどの禍々しい邪気が溢れ出す。背筋が凍る。
怯んだ一瞬は大きな隙だった。速い。一つその羽が空を打つだけで、男の周辺にいたはずの魔物たちがすぐ傍に迫る。蝙蝠の爪をなんとか凌ぐと、魔物はまた元の、男を守るような位置に戻っていく。すぐさま剣を構え直し、そのとき鋭い痛みが走る。
いつのまにか背後に回っていた二対の爪が、ウィリアムの肩口を引き裂いたのだ。これまでの敵にはなかった、戦略を備えたような動き。そして、目の前でぎらつく知らない人間の目。
「あんた、一体なんなんだよ!」
男は呑気な様子で、こめかみをコツンと叩く。そうだな、と唸る姿は、まるで戦場には似つかわしくない。男の返答を待つように、魔物たちが動きを止めている。いやな予感がした。
「お前らはこいつらの敵。オレ様はこいつらの味方、ってとこかね」
「味方、って。まさか、お前が」
男はにやりと笑みを返す。大きく手を広げて、芝居がかった口調で語り始めた。
「さぁてここで問題だ! 普段の雑魚とは違って、ずる賢くてさらに強い魔物たち。こんな恐ろしい出来事は、一体誰の仕業でしょうか?」
男はそこで、目の奥をギラリと光らせる。
「正解は――オレ様でした! パチパチパチパチ、なんちゃって」
わざとらしい抑揚が鼓膜をずるりと抜けていく。それは、つまり。真実が染み込んでいくにつれ、瞳孔が開く。この場にいる魔物全てがこの男の指揮下にある。何故? いつから? どうやって?身震い。徐々に足元が崩れていく、そんな錯覚に奥歯をぎゅっと噛みしめる。
「ふざけやがって……!」
思った以上に低い声が出た。
「いつまでもそう言ってられるかな、カラフル野郎」
熱。痛み。全てを遮断される。宙にいたはずの歪な魔が、右脚に喰らいついている。なんとか振り払い、改めて全身に警鐘を打つ。膝の裏を流れ落ちていく生ぬるさが気に障った。
傷に気づいたリンがウィリアムの元に向かおうと駆け、阻まれる。黒い空が波打つ――そこでようやく、四人は自分たちがどんな局面に立たされているかを知った。
数が、多すぎる。
「さあさあ、そろそろ死人も出ちゃってるかなー」
くっくと笑いながら手を叩く様は、どこまでもふざけている。胸中に怒りを蓄えつつ、彼の戯れに誰も答えられずにいた。
声も届く、姿も見える、そんな距離にいるのに、連携の一つも取れないなんて! 地を蹴ろうと踏みしめると、ずきり、傷口に走る痛みが好きにさせてくれない。血の匂いがする。手負いは自分一人に終わらない。むしろ、皆それぞれに爪痕や噛み痕を増やしながら戦っている。限界は、近い。
――窮地。その言葉が相応しかった。
(こんな、わけのわからないやつに)
晩餐を嗜むように、満足げに細められた目。見下ろされてかっとなる。この男に阻まれるのか。強くなれたはずなのに。追いたい背中を見つけたのに。記憶を集められると、信じたのに。
(オレはまだどこにも辿りついちゃいない。自分が何者か思い出してもいない)
そのために戦っていたはずなのだ。ならば、このままここで倒れてなんか――いられない!
「やらせるかっ!」
傷の枷を引きちぎり、眼前の存在に振り絞った全力をぶつける。
瞬間、意識が遠のいた。
電流が走る。火が点る。風が吹く。目が醒める。冴えわたる。胸の奥から湧き上がる、この力。知っている。感覚に導かれるまま、歩を進める。見慣れた金色が待っている。差し込まれた鍵を回す。
そして――扉を、開く。
続く討伐の舞台は、近郊の街だった。魔物の襲撃に悩まされており、討伐隊に依頼が来たのだ。結界部隊が市街地に結界を張り、その外側を討伐隊が進む。
現れた魔物たちは、似たり寄ったりな気配と形をしている。ウィリアムは調子よく剣を振る。身体に任せるようにして、魔物たちをばらばらにしていく。迫りくる最後の一体さえも、真上から叩き切って一撃で仕留めるほどだ。今日の敵は、弱い――このときには既にそう確信していた。
「こんなもんかな。さんきゅ」
魔物自身の脆さもそうだが、何よりリンの強化魔法が有難かった。ユンと背中合わせになり、ジェシカの援護射撃の隙を縫うように敵を撃破していく。仲間も進歩を肌で感じているのか、目と目が合って微笑みを交わす。そのとき四人の耳が、あるはずのない存在を捉えた。
――ぱらぱらと降ってくる、乾いた音。
違和感に顔を上げる。拍手だ。誰かが拍手している!
(いったい誰が、)
視線を巡らす。その男は、木の上にいた。
「はァい、そこまで」
夕日のような橙色の髪。長い前髪で右目が隠れている。片方だけの鋭い眼光、そして歪んだ笑み。
ゆるやかにフェードアウトしていく打音に愉しみはあれど、魔物と戦う意思はみられない。服装からすると武装した旅人だろうか。けれど、何故ここに? 全身に走る戦慄は、それがただの疑いで終わらないことを予感させた。
小型の魔物たちが湧き出てくるが、彼は気にも留めない。祝うように両手を広げ、
「さて、討伐隊のみなさん。お祭りといこうじゃないか」
その手が振り上げられると同時に、空気が変わった。正確には、変わったのは敵の動きだった。空を覆う蝙蝠型の魔物たちは、一斉に四人を見る。次々に軋んだ金切り声をあげたかと思うと、彼らは与えられた獲物に揃って牙を剥いた。先程までとは比べ物にならないほどの禍々しい邪気が溢れ出す。背筋が凍る。
怯んだ一瞬は大きな隙だった。速い。一つその羽が空を打つだけで、男の周辺にいたはずの魔物たちがすぐ傍に迫る。蝙蝠の爪をなんとか凌ぐと、魔物はまた元の、男を守るような位置に戻っていく。すぐさま剣を構え直し、そのとき鋭い痛みが走る。
いつのまにか背後に回っていた二対の爪が、ウィリアムの肩口を引き裂いたのだ。これまでの敵にはなかった、戦略を備えたような動き。そして、目の前でぎらつく知らない人間の目。
「あんた、一体なんなんだよ!」
男は呑気な様子で、こめかみをコツンと叩く。そうだな、と唸る姿は、まるで戦場には似つかわしくない。男の返答を待つように、魔物たちが動きを止めている。いやな予感がした。
「お前らはこいつらの敵。オレ様はこいつらの味方、ってとこかね」
「味方、って。まさか、お前が」
男はにやりと笑みを返す。大きく手を広げて、芝居がかった口調で語り始めた。
「さぁてここで問題だ! 普段の雑魚とは違って、ずる賢くてさらに強い魔物たち。こんな恐ろしい出来事は、一体誰の仕業でしょうか?」
男はそこで、目の奥をギラリと光らせる。
「正解は――オレ様でした! パチパチパチパチ、なんちゃって」
わざとらしい抑揚が鼓膜をずるりと抜けていく。それは、つまり。真実が染み込んでいくにつれ、瞳孔が開く。この場にいる魔物全てがこの男の指揮下にある。何故? いつから? どうやって?身震い。徐々に足元が崩れていく、そんな錯覚に奥歯をぎゅっと噛みしめる。
「ふざけやがって……!」
思った以上に低い声が出た。
「いつまでもそう言ってられるかな、カラフル野郎」
熱。痛み。全てを遮断される。宙にいたはずの歪な魔が、右脚に喰らいついている。なんとか振り払い、改めて全身に警鐘を打つ。膝の裏を流れ落ちていく生ぬるさが気に障った。
傷に気づいたリンがウィリアムの元に向かおうと駆け、阻まれる。黒い空が波打つ――そこでようやく、四人は自分たちがどんな局面に立たされているかを知った。
数が、多すぎる。
「さあさあ、そろそろ死人も出ちゃってるかなー」
くっくと笑いながら手を叩く様は、どこまでもふざけている。胸中に怒りを蓄えつつ、彼の戯れに誰も答えられずにいた。
声も届く、姿も見える、そんな距離にいるのに、連携の一つも取れないなんて! 地を蹴ろうと踏みしめると、ずきり、傷口に走る痛みが好きにさせてくれない。血の匂いがする。手負いは自分一人に終わらない。むしろ、皆それぞれに爪痕や噛み痕を増やしながら戦っている。限界は、近い。
――窮地。その言葉が相応しかった。
(こんな、わけのわからないやつに)
晩餐を嗜むように、満足げに細められた目。見下ろされてかっとなる。この男に阻まれるのか。強くなれたはずなのに。追いたい背中を見つけたのに。記憶を集められると、信じたのに。
(オレはまだどこにも辿りついちゃいない。自分が何者か思い出してもいない)
そのために戦っていたはずなのだ。ならば、このままここで倒れてなんか――いられない!
「やらせるかっ!」
傷の枷を引きちぎり、眼前の存在に振り絞った全力をぶつける。
瞬間、意識が遠のいた。
電流が走る。火が点る。風が吹く。目が醒める。冴えわたる。胸の奥から湧き上がる、この力。知っている。感覚に導かれるまま、歩を進める。見慣れた金色が待っている。差し込まれた鍵を回す。
そして――扉を、開く。