[10]炎


 シオンはすぐに見つかった。夜が降ろした闇の中、魔物と森を焼く炎は遠くから見てもそれとわかった。魔物たちは炎に触れたものから燃えては消える。彼の袖は肘のあたりまで焼け落ちてしまっている。淀んだ黄金の瞳に、もう光はない。

 一瞬、手遅れだと思った。それでも、ウィリアムは諦めを振り払い、炎を避けて前に進む。
「やめろ!」
 熱の中、枯れていく声を厭わずに叫んだ。
「もう自分を傷つけるな! 誰が何を言おうがお前は賢者様を助けた!」
 ウィリアムにはもう、言葉を選ぶ余裕はない。
「オレはお前の味方をする。お前はひとりじゃないんだよ!」
 必死になって、めちゃくちゃなことを言った。どの言葉にもシオンが反応するそぶりはなかった。ただ炎を放ちながら、人形のように突っ立って、うわ言のように何かを呟いている。
「あの人のため――それが俺の……俺は……」
 ついに炎は、少年の身体を飲み込んだ。滅びの火は、その主をも焼き尽くそうとしている。
「お前まで! いなくなることないだろ!」
 いくら叫んでも、ウィリアムの声はシオンに届かない。
(どうしたらあいつを止められるんだ)
考える前に体は動いていた。懐に手を入れ、胸元の鍵を握りしめる。扉を開けて、覚醒する――魔王の力を、目覚めさせる。
(このチカラを守りに使えば、あの炎でも死なない)
 扉を開ける感覚がする。ウィリアムの髪色が変わり、目が赤く光っていく。溢れ出る魔力を全て盾にして、燃える少年に真正面から突っ込んだ。
「お前がしたいのは、こんなことじゃないはずだ! お前にはやりたいことが、目指すものがあるんじゃないのか!」
 熱い身体を抱きとめる。二人の少年が、炎に包まれている。シオンの小さな声を、ウィリアムは耳元で捉えた。
「俺は、俺の望みは……」
 彼は燃えながら迷っている。その身体の熱を確かめながら、ウィリアムはそっと答えた。
「わからなくていい。いつか見つかるんだ。このままいなくならないでくれ!」
 その一瞬、黄金の瞳が炎と共に揺らいだ。

 ――扉を開く感覚。

 意識の世界に、二人の魂が浮いていた。魔王の力が二人を、ふたりきりにしたようだった。
「もう、終わりにさせてくれ」
 シオンの魂が、ちからなく呟いた。言葉はまっすぐ、ウィリアムに向けられていた。
「俺がいなくなることで、やっと完結するんだ。あのひとの戦える世界が」
「いやだ」
 強く鋭く言い切って、無理やり意識を向けさせた。今ここにいる自分に。今目の前にいるウィリアムに。
「お前が賢者様とどうなろうが、オレはどうでもいい。でも、お前がこんな道を選ぶなら、何をしてでも止めてみせる」
「お前はどうして、俺をここまで追いかけるんだ」
 虚ろな声は、いまにも沈んでしまいそうで、けれど意識の奥まで響く。もう放してくれと、目が言っている。だがウィリアムは離さない。
「じゃあお前はどうして、賢者様のために命を張った?」
 ウィリアムはシオンの肩を掴み、シオンはゆっくりと目を見開いた。
「大切なひとを大切にしたい、それはオレもお前も同じなんだよ。きっとな」
心が聞こえて、声が届いた。今までぼんやりとしか感じ取れなかった彼への気持ちを、確かな言葉として丁寧に紡いでいく。どうか、この糸を掴んでくれますようにと。
「オレはお前に助けられたり、気づかされたりした。お前のやり方が間違ってたときも、憎もうとしてどうしても憎めなかった。――オレはたぶん、お前に笑ってほしいんだよ」
「わら、って」
 炎に照らされて、ぐらりと回る世界。その暗転の中で。
「俺も……俺は……」
 ――ただあの人に、笑ってほしかった。
 ウィリアムは確かに、その呟きを聞いた。

 意識の世界が消え果て、現実の身体で地面に倒れ込む。辺りを包んでいた炎が一斉に消えた。魔力の気配を探れば、火種も残っていない。安堵する暇もなく、伏したままのシオンを見る。
(ひどい火傷だ)
 満身創痍の痛々しさを庇いたかったが、力を使い切ったのは自分も同じだった。
(早く、リンのところに行かないと)
 暴走の反動だろうか、シオンは気を失っている。彼を抱えようと屈んだところで、ウィリアムの気力も限界に達した。
「一緒に、行かなきゃ」
 体中が痛んで起き上がれない。それでも、呼びかける声だけが続く。
「オレは……仲間だよ」
 その返事を聞く前に、ウィリアムの意識は途切れた。
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