[10]炎
翌朝。ウィリアムの他には誰もいない、討伐隊付近の森。朝露の輝きとは裏腹に、ウィリアムは暗い闇の迷路に迷い込んでいた。
「……なあ、オレ、どうしたらいいんだろう」
話しかけた相手は、無機質な鍵だった。――が、それ以外の返事が振ってきた。
「教えてやろうか?」
木の上から、声。ざっと降りたその男は、蛇のような目つきでウィリアムを見据える。
「マルク! また何かしに来たのか!?」
まず、剣を抜いて身構えた。ウィリアムが戦闘態勢に入っても、マルクは余裕そうに肩をすくめる。
「ウィリアムくんが知りたいのは、そのチカラについてだろ?」
間違ってはいない。確かに気になってはいた。そのことを考えた方がいいと、仲間に助言もされていた。けれど何の前触れもなく、この男が持ち出してくる話題にしては、おかしい。
「お前がなんでそれを教えられる立場にいるんだよ。オレのチカラの、何を知ってるっていうんだ」
「さて、交換条件だ。教えてもらう」
返事をせず、マルクは話を進める。
「もう一つの鍵はどこだ?」
――目的は、それか。自分が鍵の持ち主だと知られた以上、狙われる可能性があるのだと今わかった。ユンが、自分のことを考えろと言ったのはそういう意味か。
だが、答えるわけにはいかない。渡すわけにはいかない。自分の鍵も、もう片方の鍵をシオンが持っているという事実も。
「知らないなら質問変えるか。――シオンくんは、どうしてる?」
見抜かれたか、と息が揺らぐ。鍵と彼との繋がりを隠しながら、ウィリアムは精一杯の低い声で聞き返す。
「なんでいきなりそんなこと、」
「昔に躾けた子犬がどう育ったか、気になるだろ」
「――は?」
どういうことだ、と聞くまでもなく、マルクは流暢に語った。
「わかんないだろうから簡潔に説明してやろう。あの坊やはオレが拾ってオレが使ってたのさ。で、使えなくなったから捨てた。死んだとばかり思っていたが、なぜか生きてる。だから単純に気になった。オッケー?」
一度に言われて、理解より先に怒りが来た。
「……お前、ひとのことをどう思ってるんだ! 使うとか捨てるとか、そんな……!」
「どうして生き残って、どうして今になって盗賊団を殲滅したのか。知りたいのはそこさ。あの掃き溜めみたいな集団も、いつまで残ってるかわからないと思って抜けてきたが……まさかあいつに滅ぼされるとはねえ」
確かに、知っている。マルクが求める情報を、ウィリアムは持っている。ただ、そのカードを切ろうとは到底思えなかった。
(こんな奴に、なにか言うものか)
かといって、この男を無視できないのも事実だった。ここで剣を抜いたところで、マルクに対処できるだろうか。考え始めたそのとき――棘のある声が沈黙を裂いた。
「お前も、あの連中と同じ運命を辿りたいようだな」
一番待っていた、けれど一番来てほしくなかった相手がそこにいた。
「シオンくん。聞かせてくれるかな? 生き残った理由をさ」
マルクの背後から、魔物の鳴き声がした。蝙蝠型の敵が数体。ウィリアムが剣を構えると、
「断る」
魔物が燃え尽きた。
シオンの左手が燃えている。この炎が全ての魔物を焼き切ったのだ。
「あーらら。遊ばせてはくれないみたいだな」
魔物が消えてもなお残る、熱。ウィリアムには覚えがあった。
(あのときと、同じだ)
手からそのまま発される炎、焼けていく皮膚、それをものともしないシオン。最近見た、彼の無理な戦い方だった。ウィリアムは思わず目を逸らす。
マルクは手を叩いて笑った。
「でも、盗賊団はシオンくんが滅ぼした。どんな事情があれど、その事実は変わらない。結局、あんたも、オレと同じ部類の人殺しなんだよ」
ウィリアムは言葉が出ない。マルクの考えは正しい。けれど、シオンを悪だと認めたくない自分が心の奥にいた。
「わかっている」
まっすぐに返答するシオン。その腕にはまだ火が残っている。
「炎の病……か。放っておいてもくたばるな。楽しかったぜ、坊や」
マルクはそのまま姿を消した。言い残した台詞はどこか不気味だ。冷や汗が背中を伝う――いや、これは冷や汗ではない。暑いのだ。
シオンが放った炎が、まだ周辺で燃え続けていた。彼の腕から迸る火。それはシオン自身をも焼く狂気の炎であった。焦がしているのだ――その身を。
ゆっくりと振り返って、シオンは言った。
「俺は、どうすればよかったんだろうな」
深い沼の底にあるような、後悔と絶望。ウィリアムが感じ取ったのは、その重苦しい暗さだった。
「……なあ、オレ、どうしたらいいんだろう」
話しかけた相手は、無機質な鍵だった。――が、それ以外の返事が振ってきた。
「教えてやろうか?」
木の上から、声。ざっと降りたその男は、蛇のような目つきでウィリアムを見据える。
「マルク! また何かしに来たのか!?」
まず、剣を抜いて身構えた。ウィリアムが戦闘態勢に入っても、マルクは余裕そうに肩をすくめる。
「ウィリアムくんが知りたいのは、そのチカラについてだろ?」
間違ってはいない。確かに気になってはいた。そのことを考えた方がいいと、仲間に助言もされていた。けれど何の前触れもなく、この男が持ち出してくる話題にしては、おかしい。
「お前がなんでそれを教えられる立場にいるんだよ。オレのチカラの、何を知ってるっていうんだ」
「さて、交換条件だ。教えてもらう」
返事をせず、マルクは話を進める。
「もう一つの鍵はどこだ?」
――目的は、それか。自分が鍵の持ち主だと知られた以上、狙われる可能性があるのだと今わかった。ユンが、自分のことを考えろと言ったのはそういう意味か。
だが、答えるわけにはいかない。渡すわけにはいかない。自分の鍵も、もう片方の鍵をシオンが持っているという事実も。
「知らないなら質問変えるか。――シオンくんは、どうしてる?」
見抜かれたか、と息が揺らぐ。鍵と彼との繋がりを隠しながら、ウィリアムは精一杯の低い声で聞き返す。
「なんでいきなりそんなこと、」
「昔に躾けた子犬がどう育ったか、気になるだろ」
「――は?」
どういうことだ、と聞くまでもなく、マルクは流暢に語った。
「わかんないだろうから簡潔に説明してやろう。あの坊やはオレが拾ってオレが使ってたのさ。で、使えなくなったから捨てた。死んだとばかり思っていたが、なぜか生きてる。だから単純に気になった。オッケー?」
一度に言われて、理解より先に怒りが来た。
「……お前、ひとのことをどう思ってるんだ! 使うとか捨てるとか、そんな……!」
「どうして生き残って、どうして今になって盗賊団を殲滅したのか。知りたいのはそこさ。あの掃き溜めみたいな集団も、いつまで残ってるかわからないと思って抜けてきたが……まさかあいつに滅ぼされるとはねえ」
確かに、知っている。マルクが求める情報を、ウィリアムは持っている。ただ、そのカードを切ろうとは到底思えなかった。
(こんな奴に、なにか言うものか)
かといって、この男を無視できないのも事実だった。ここで剣を抜いたところで、マルクに対処できるだろうか。考え始めたそのとき――棘のある声が沈黙を裂いた。
「お前も、あの連中と同じ運命を辿りたいようだな」
一番待っていた、けれど一番来てほしくなかった相手がそこにいた。
「シオンくん。聞かせてくれるかな? 生き残った理由をさ」
マルクの背後から、魔物の鳴き声がした。蝙蝠型の敵が数体。ウィリアムが剣を構えると、
「断る」
魔物が燃え尽きた。
シオンの左手が燃えている。この炎が全ての魔物を焼き切ったのだ。
「あーらら。遊ばせてはくれないみたいだな」
魔物が消えてもなお残る、熱。ウィリアムには覚えがあった。
(あのときと、同じだ)
手からそのまま発される炎、焼けていく皮膚、それをものともしないシオン。最近見た、彼の無理な戦い方だった。ウィリアムは思わず目を逸らす。
マルクは手を叩いて笑った。
「でも、盗賊団はシオンくんが滅ぼした。どんな事情があれど、その事実は変わらない。結局、あんたも、オレと同じ部類の人殺しなんだよ」
ウィリアムは言葉が出ない。マルクの考えは正しい。けれど、シオンを悪だと認めたくない自分が心の奥にいた。
「わかっている」
まっすぐに返答するシオン。その腕にはまだ火が残っている。
「炎の病……か。放っておいてもくたばるな。楽しかったぜ、坊や」
マルクはそのまま姿を消した。言い残した台詞はどこか不気味だ。冷や汗が背中を伝う――いや、これは冷や汗ではない。暑いのだ。
シオンが放った炎が、まだ周辺で燃え続けていた。彼の腕から迸る火。それはシオン自身をも焼く狂気の炎であった。焦がしているのだ――その身を。
ゆっくりと振り返って、シオンは言った。
「俺は、どうすればよかったんだろうな」
深い沼の底にあるような、後悔と絶望。ウィリアムが感じ取ったのは、その重苦しい暗さだった。