[10]炎
訓練をする気にもならず、かといって自室へ戻る理由もない。ウィリアムはとぼとぼと基地内を彷徨っていた。この建物を賢者が建てたのか、と、意味のない感慨にふけっていたとき。廊下の真ん中に小さな人影。誰かが、ウィリアムの前で立ち止まった。
「こんにちは」
「……おう」
普通なら、そのまま通りすぎるはずの距離感。けれど相手はウィリアムの正面を動かなかった。見上げてくる少年の、お団子のように結われた金糸の髪、黄金の瞳には見覚えがあった。
「前に見たな。オレに何か用か?」
「きみが、三番隊のウィリアムだね。ぼくはクレフ。最近一番隊になったんだ」
少し前――魔物の大襲撃のあとに、墓地ですれ違った少年だ。彼こそが、新しい一番隊のメンバー。つかみどころのない、どこか不思議な雰囲気を醸し出している。その空気のまま、迷いなくクレフは言った。
「知りたい人がいるんだ」
唐突だった。
「その人はすごい力を持っていて。ぼくから見てとっても強い。けれどいつもどこかで無理をして、それをやめようとしないんだ」
迷いがちな視線は、ウィリアムの周囲を揺蕩っていた。けれどその奥にある探求心は、きっと本物だ。
「ぼくは、その理由が知りたい」
その一言だけを、強い語調で吐き切った。クレフはそれから黙っている。返事を待っているのだ。
――強くて、無理をしがちで、知れなくて。
「知りたい、か」
ウィリアムは、その場にいない、恩も罪もある相手を想った。
「オレにもいるよ、知りたい奴」
シオンのことだが、名前は出さなかった。ウィリアムはなぜだか、いつも、彼とのことを秘密にしたがっていた。
「助けてもらったことも、その逆もきっとある。そんな相手だ。知りたいことは何も話してくれなくて、オレはたぶん……そいつが、心配なんだ」
「ぼくはその人に憧れてる。ぼくと同じものを持って、それを生かしている人」
想う相手は違うだろうが、気持ちの裏にある心の向きはきっと同じだ。状況が理解できないまま、それでも二人は一瞬、互いをわかりあった。
「きみと話せてよかった。また、お話しようね」
ウィリアムの隣をすり抜けるように、クレフは自然な所作で去っていった。ほとんど初対面だったが、それにしては奇妙な会話だ。
「何だったんだ……?」
取り残された気持ちで、ウィリアムは訝しげにその背を見つめるのだった。
◇◆◇
それからしばらくたったある日。二人きりの会議室で紅茶を飲みながら、ユンが思い出したように言った。
「そういえばあいつ、そろそろ出陣できるようになるみたいだよ」
ユンが「あいつ」と呼ぶのはシオンのことだろう。賢者から言い渡された謹慎が解かれるらしい。
「本当はもっと厳しい罰にしてもいいだろうけど。とうさまはたぶん、あいつが特別だって見てわかったんだよ。だからもう鎖を外すことにしたんだ。あのひと、そういうこと、するんだ」
ユンはぶつぶつと続けた。娘だからわかるのか、彼女自身にそういう才能があるのか。どちらにせよ、ウィリアムが考えたことは一つだ。
(だとしたら、シオンは)
彼が討伐に戻るのを許可されたなら、真っ先に、夜の魔物を片付けにいくだろう。それが彼の習慣だった。一番隊としての討伐が始まるより早く動き出すはずだ。
労ったらいいのか、手助けすればいいのか、ウィリアムにはわからない。それでも、シオンに会いに行きたいということだけは明確だった。
――そして、夜。討伐隊基地を囲む森を駆け巡り、ウィリアムは重い熱を感じた。
(なんだ、この気配……魔法?)
目を凝らしてみると、何かが燃えている。
(行ってみよう)
静寂に吸い込まれていくように、ウィリアムは歩を進めた。
夜の魔物とすれ違うこともなく、火元に辿り着く。この火事は炎魔法によるもので間違いなかった。――こんな時間に魔物退治をしている人間なんて、一人しか思いつかない。
(シオン? けどなんで、火を?)
隠れて様子を窺おうとしたが、シオンの姿が見えると、その選択肢は打ち消された。
「おい!」
声をかけずにはいられなかったのだ。
シオンの腕が、燃えている。
通常、魔法の炎は魔法陣から出現する。けれど今のシオンは、自分の腕から直接炎を放っている。
「お前……その手! 火傷してるじゃないか」
「それがどうした」
当然のこととでも言うように、シオンはどこにもいかない台詞を投げた。魔法陣を使うのではなく、直接手から炎を出す。そんなことをしたら、もちろん手を痛めるだろう。それだけじゃない。負担のかかる魔法を使い続ければ、命を危険にさらすことになる。彼は身をもって知っているはずだ。
「言っただろう。あの人を害するものは、全て排除する。手段は選ばない」
振り返ったシオンの、普段は真一文字に結ばれている唇は、まるで微笑みのように歪んでいた。
「こんにちは」
「……おう」
普通なら、そのまま通りすぎるはずの距離感。けれど相手はウィリアムの正面を動かなかった。見上げてくる少年の、お団子のように結われた金糸の髪、黄金の瞳には見覚えがあった。
「前に見たな。オレに何か用か?」
「きみが、三番隊のウィリアムだね。ぼくはクレフ。最近一番隊になったんだ」
少し前――魔物の大襲撃のあとに、墓地ですれ違った少年だ。彼こそが、新しい一番隊のメンバー。つかみどころのない、どこか不思議な雰囲気を醸し出している。その空気のまま、迷いなくクレフは言った。
「知りたい人がいるんだ」
唐突だった。
「その人はすごい力を持っていて。ぼくから見てとっても強い。けれどいつもどこかで無理をして、それをやめようとしないんだ」
迷いがちな視線は、ウィリアムの周囲を揺蕩っていた。けれどその奥にある探求心は、きっと本物だ。
「ぼくは、その理由が知りたい」
その一言だけを、強い語調で吐き切った。クレフはそれから黙っている。返事を待っているのだ。
――強くて、無理をしがちで、知れなくて。
「知りたい、か」
ウィリアムは、その場にいない、恩も罪もある相手を想った。
「オレにもいるよ、知りたい奴」
シオンのことだが、名前は出さなかった。ウィリアムはなぜだか、いつも、彼とのことを秘密にしたがっていた。
「助けてもらったことも、その逆もきっとある。そんな相手だ。知りたいことは何も話してくれなくて、オレはたぶん……そいつが、心配なんだ」
「ぼくはその人に憧れてる。ぼくと同じものを持って、それを生かしている人」
想う相手は違うだろうが、気持ちの裏にある心の向きはきっと同じだ。状況が理解できないまま、それでも二人は一瞬、互いをわかりあった。
「きみと話せてよかった。また、お話しようね」
ウィリアムの隣をすり抜けるように、クレフは自然な所作で去っていった。ほとんど初対面だったが、それにしては奇妙な会話だ。
「何だったんだ……?」
取り残された気持ちで、ウィリアムは訝しげにその背を見つめるのだった。
◇◆◇
それからしばらくたったある日。二人きりの会議室で紅茶を飲みながら、ユンが思い出したように言った。
「そういえばあいつ、そろそろ出陣できるようになるみたいだよ」
ユンが「あいつ」と呼ぶのはシオンのことだろう。賢者から言い渡された謹慎が解かれるらしい。
「本当はもっと厳しい罰にしてもいいだろうけど。とうさまはたぶん、あいつが特別だって見てわかったんだよ。だからもう鎖を外すことにしたんだ。あのひと、そういうこと、するんだ」
ユンはぶつぶつと続けた。娘だからわかるのか、彼女自身にそういう才能があるのか。どちらにせよ、ウィリアムが考えたことは一つだ。
(だとしたら、シオンは)
彼が討伐に戻るのを許可されたなら、真っ先に、夜の魔物を片付けにいくだろう。それが彼の習慣だった。一番隊としての討伐が始まるより早く動き出すはずだ。
労ったらいいのか、手助けすればいいのか、ウィリアムにはわからない。それでも、シオンに会いに行きたいということだけは明確だった。
――そして、夜。討伐隊基地を囲む森を駆け巡り、ウィリアムは重い熱を感じた。
(なんだ、この気配……魔法?)
目を凝らしてみると、何かが燃えている。
(行ってみよう)
静寂に吸い込まれていくように、ウィリアムは歩を進めた。
夜の魔物とすれ違うこともなく、火元に辿り着く。この火事は炎魔法によるもので間違いなかった。――こんな時間に魔物退治をしている人間なんて、一人しか思いつかない。
(シオン? けどなんで、火を?)
隠れて様子を窺おうとしたが、シオンの姿が見えると、その選択肢は打ち消された。
「おい!」
声をかけずにはいられなかったのだ。
シオンの腕が、燃えている。
通常、魔法の炎は魔法陣から出現する。けれど今のシオンは、自分の腕から直接炎を放っている。
「お前……その手! 火傷してるじゃないか」
「それがどうした」
当然のこととでも言うように、シオンはどこにもいかない台詞を投げた。魔法陣を使うのではなく、直接手から炎を出す。そんなことをしたら、もちろん手を痛めるだろう。それだけじゃない。負担のかかる魔法を使い続ければ、命を危険にさらすことになる。彼は身をもって知っているはずだ。
「言っただろう。あの人を害するものは、全て排除する。手段は選ばない」
振り返ったシオンの、普段は真一文字に結ばれている唇は、まるで微笑みのように歪んでいた。