[10]炎

 賢者が復活してからか、謹慎を言い渡されてからか、いつからか――明らかにシオンは変わった。その頃にはもう、ウィリアムが結界の外に行けば、シオンは同じ場所で待ってくれていた。賢者のいいつけに従っているらしく、そこに戦いの形跡はなかった。
いつのまにか恒例となった夜の密会。その中で彼は、これまでなら絶対に言わなかったことを、その内側を、少しずつ晒している。
 ある夜のこと。人目に付かない木立で、珍しくユンの後ろ姿を見つけて、声をかけようとして、止まった。そこにシオンがいたからだ。
「――それで、とうさまはキミのお師匠様ってことで良いんだね?」
「そうだ。間違いない。剣も魔術も、先生から教わった」
「どうやって出会ったの?」
 何故かユンが、シオンの過去を聞き出している。

「魔法が使えなくなって、盗賊団に捨てられた俺を、拾ってくれたのがあの人だ」
 ――魔法が使えない。魔力を操ることができない。そんな状況に、ウィリアムは一つだけ心当たりがあった。記憶の中。突き刺さった手。
(オレがシオンの魔力を奪ったんだ)
 スナッチは本来奪う力だ。まだウィリアムがスラム街の一角で暮らしていたとき。トラスダンジュを盗賊たちが襲撃した、あの事件だ。あのときに、ウィリアムはシオンと邂逅した。それがきっかけで、彼は魔法を失った。
 ――そこまでわかれば、もう、訊いてしまうしかない。ユンも同じように思ったのだろう、鋭い言葉で切り込んだ。
「盗賊団を皆殺しにしたのは、とうさまのため?」
 不可解だった。賢者と盗賊に、どう接点がある? 殺戮の現場を、ウィリアムは見ていなかった。何より、多くの命を奪った凶行の理由を、彼の口から聞きたかった。息を殺す。きっとウィリアムが聞いていると、知ったまま会話を続けている。
「黙っちゃだめだよ。取引なんだから」
 星に雲がかかり、空が翳る。
「俺が先生のところにいたとき、一度盗賊団と再会した」
 そこで語られたのは、シオンが最後に斬り続けていた相手の話だ。
「盗賊団の頭領――俺が殺したあの男。奴は呪いの術を会得していた。自分の命を削って、相手を死へ導く禁忌の術だ。対象は凍ったように眠り、やがて死に至る。その術を、俺に放った」
「それって、」
 ――面影が、重なる。
「先生は俺を庇って倒れた。……だから、俺だけの力で、あのひとを取り戻した。それだけのことだ」
 盗み聞きをしながらも、動けなくなった。。
かつて、シオンは盗賊団に捨てられた。その後賢者に拾われた。そして盗賊団と再会した際に、賢者に庇われて生き残った。だから、そのひとを命がけで助けるために、古代治癒術を使った。結果、賢者は蘇り、その代償としてシオンのことを忘れてしまった。――その事実については、納得できた。
けれど、ウィリアムは混乱した。まず賢者の実態がわからなくなった。だって、シオンと賢者の間の関わり合いには、実の娘であるユンの存在が影も形もない。次に、問いに対する答えがないことに気が付いた。賢者を取り戻した今になって、盗賊団を殺した理由を、彼はまだ明かしていない。
ひとつの爪痕が、真相を問おうとする本心を邪魔していた。同じだったのだ。――庇われた気持ちが、ウィリアムにはわかる。
(シェリーは、どんな気持ちでオレを助けたんだ)

「あの人を害する者はすべて排除する。だから、俺はあの連中を殺したことは後悔していない」
「とうさまをもう一度呪うとか、そういうことを言われたんだね?」
「否定はしない」
ユンの恐ろしい洞察で、シオンの過去が暴かれていく。ウィリアムにとって、それ以上に気にかかったのは。
(辛くないのか、忘れられて)
 隠れているウィリアムの心を読んだように、ユンは続ける。
「キミは現状をどう思うの?」
「どうだっていい」
 辛いに決まっている、とウィリアムは思った。自分が、大切な人に忘れられてしまったら。助けたい相手に拒絶されてしまったら。

明らかにシオンは変わった。けれど重要な部分は変わっていなかった。ウィリアムが一番知りたがっていることは――つまり、彼の気持ちは、ちらりとも見せてくれないのだ。
(こいつ、笑ったことあるのかな)
 それは素朴で愚かで、そして単純な疑問だった。

◇◆◇

 重い気分が頭から抜けないまま、もう数日になる。
 ふらりと立ち寄った書庫には、人がいなかった。ウィリアムはそのまま机に突っ伏し、目を閉じた。――まだ、納得がいかなかった。賢者はシオンのことを覚えていない。シオンのしたことは正しいことではない。だが、シオンが賢者に否定された今、彼が賢者のためにしてきたことは、一体。
(オレがあいつだったら、耐えられない)

「なに考えてるのさ」
 思考の隙間に入り込んできたのは、半ば気遣うようなユンの声。
「ユン……なんでお前がこんなところに?」
「ボクも同じことを聞くところだった。古代魔導の本を探しにきたんだ」
 目をやると、ユンの手には目的らしい分厚い本があった。それより、と彼女は、周りに人気がないことを窺ってから、こちらをまっすぐ見て囁く。
「シオンのこと、考えてたんじゃないの」
 やはり、先日の盗み聞きはバレていた。どころか、ユンはきっとウィリアムに、わざと聞かせたのだろう。
 ウィリアムが彼を思いやって賢者に食いかかったことを、ユンは知っているようだった。その男がシオンの師でありユンの父であるなら、彼女とふたりとの関係は複雑極まりない状況だろう。ぼんやり思案していたウィリアムの耳に、意外な言葉が届く。
「キミは今、それを考えるべきかな」
 え、と顔を上げると、ユンの視線は思った以上に真剣なものだった。
「ふたりには、きっとふたりなりの関係が、考えがあるはずだ。……ボクらには入れない、何かがある。そう思った方がいいよ」
 投げやりな説教のようだった。そういえば、抱えた魔導書の古代文字を、ユンは読めないはずだ。
「その本、どうするんだよ」
「ボクには、本当にやらなきゃいけない、大切なことが見つかったんだ。……今のキミにも、彼らのことより大切なことがあるでしょ? 誰かのことより、自分のことに集中したらどうかな」
「それは……」
 それはそうだ、と言うことは簡単だ。けれどウィリアムには、まだひっかかることがいくつもある。じゃあね、と挨拶を残してユンが部屋を出て行っても、とうとうウィリアムには、彼女の言うことを受け入れられなかった。
 ユンの意見は間違っていないだろう。彼らのことは、ウィリアムの力ではどうにもできない、何よりシオン本人がどうさせてもくれない問題だ。――でも、とウィリアムは考える。考えてしまう。あのときシオンは、どんな顔をしていただろう。きっと、自分がこれまでに見たことのない表情だ。
 溜息を吐き出しても、まだ胸の奥には重いものが詰まっていた。大事なことをいくつも忘れている気がした。
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