[9]二重の力


 シオンは既に医務室を後にしていた。すっかり夜も更けて、廊下の人気も少なくなっていた。こういうとき、彼はどこにいるだろう。これまでの経験からすると。
(結界の外か)
 迷わず基地を飛び出し、覚えのある場所を次々と探る。そう時間のかからないうちに、彼は見つかった。
「シオン! お前、もう大丈夫――」
「どうして生かした」
 え、と声が出た。
「俺が消えてようやく、すべてが終わるはずだったのに」
 今までに見たことのない表情をしていた。今にも溶けてしまいそうな氷のよう。きっとそれは、今まで隠してきた姿なのだ。
「お前は、俺を憎んでいるだろう。それなのに、どうして」
 言われてみれば、不思議な話だ。シェリーを殺したのは間違いなくシオンなのに、ウィリアムは彼の命を救いたがった。こちらにしてみれば、それには明確な理由があった。
「謝りたかったんだ、お前に」
 シオンが顔を上げる。いつものような、ウィリアムを拒む堅牢な態度はどこにもなかった。
「賢者様のこと、誤解してた。お前の使命の重さも、何も知らなかった。なのに知ったような口を聞いて、たぶんお前を傷つけた。だから、謝りたかった。……本当に、ごめん」
「それだけか?」
 想像以上に冷たい声が返ってきた。何かを押しつぶした声だった。
「ただそれだけのために、お前は俺を生かしたのか?」
「そうだよ。……死ぬなよ」
 泣きそうな声になった。彼が言う「使命」の全貌は、まだ把握しきれていない。けれどその一部に自身の死が含まれるなら、それはとても悲しいことだと思ったのだ。
 死んでほしくない。ウィリアムの言葉に、シオンは是も非も返さなかった。前にも言葉のない時間はあったが、二人の間にこれほど重い沈黙が落ちたのは初めてかもしれない。
 耐え切れなくなったのは、もちろんウィリアムの方だった。なるべく彼の傷に触れぬよう、自然体を装う。
「お前、これからどうするんだ?」
 本当に聞きたいことは、彼と賢者との関係だ。だが、今それに触れたところで、きっと望んだ答えは得られないだろう。本質を外した問いに、間を置かず返事が来る。
「再編された一番隊に配属されるらしい」
 自死に繋がる言葉が出てこなかったことにまず安堵した。それから、いくつもの重みを実感する。討伐隊の中でもトップクラスのチーム。そこに入るだけの実力が、シオンにはある。
「よかったな」
「何がだ」
「仲間ができて。でも、やっぱりオレも、お前と一緒に戦いたかったなあ」
「夜に結界の外まで来ておいて」
最初からそのつもりじゃなかったのか、とシオンは、語調とは裏腹に疲れ切った様子だった。迷いのない太刀筋も、相手の動きを読む正確さも、その鋭さに変わりはないのに。ひとつ気になるとすれば――シオンは、一度も魔法を使うそぶりを見せなかった。
あれだけの技を発動して、魔力不足で倒れたばかりなのだから、魔法を使う余力なんてあるはずがない。

 夜の魔物と戦うにつれて、ウィリアムは普段の空気を取り戻してきた。そもそも、ウィリアムは命の危機を数度シオンに救われている。同じことをしただけなのだから、自分の選択は――彼を生かしたことは、間違っていないはずだ。
 相変わらず戦績に興味のないシオンは、もう魔力を回収する気もなくなったらしい。全ての後片付けをウィリアムに任せ、辺りの木に背を預けていた。空っぽな目をしていた。
「ところで、今の一番隊って、お前とドロシーとカノンと、あとは誰なんだ?」
 この問いかけも、その場しのぎだ。使命を終えたシオンが、行き場を失ったのだとは思いたくなかった。今この疑問を尋ねるのに、違和感はないだろう。隻腕となったヒューゴが戦線離脱したという話は聞いていた。ルビウスが姿を消した今、四人組になるには席が一つ空いている。

「クレフという、年下の魔法使いだ」
「そうなのか」
 シオンは何も滲ませずに、目の前の問いにだけ答えた。クレフ。聞いたことのない名前だ。
「俺と同室になるらしいが、まだろくに会話もしていない。気になるなら、自分から会って決めろ」
 投げやりな答えだった。機嫌が悪い、どころの話ではないだろう。死の覚悟を覆されたのだ。何を言われても仕方がない。
「そうするよ。……また、一緒に戦おうな」
とだけ返事をして、その場を後にした。
 伝わっただろうか。生きていてほしいという願いが。失いたくない想いが。いま届かなくてもいつか、いつか二人で分かり合えるときが来ると信じていた。
 だからウィリアムは見落とした。シオンの中に芽吹いていた、滅びの火種を。

◆◆ 第九章 二重の力 完 ◆◆
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