[9]二重の力
使命。目的。一番大切にしていたもの。そのために、シオンは命を捨てた。すべての事実が、ウィリアムを打ちのめしていた。視線を彷徨わせた窓の外は真っ暗だ。
自分は、彼の覚悟を軽んじていた。謝らなきゃ。彼が目を覚ましたら、真っ先に――。
(目を、覚ますのか?)
彼が倒れた原因はわかっている。魔力の枯渇だ。無理をすれば命に関わるということは知識としても知っていた。実際に、今もシオンの身体からは生の気が薄れるばかりだ。
「みんな……ちょっといいか?」
呼ばれた仲間たちは、ウィリアムの傍まで来てくれた。ベッドに力なく横たわる少年を見て、リンがああ、とため息をつく。
「まだ生きているんだね。でも、魔力不足だ。このままじゃ」
きっと、死んでしまう。言外の意味は伝わっていた。
「なんとかならないのか?」
あるかもしれない可能性に食らいつく。シオンをここで死なせるわけにはいかないのだ。握った拳が震えた。
「魔力の回収は、自分の意思がなければできない。外部から力を与えるような術が、すぐに見つかるとは思えないわ」
「どっちにしろ、自力じゃ回復できないところまできてるよ。ねえ……ウィリアム、どうしてそんなにこいつを復活させたいのさ?」
気遣いの目を向けるリンやジェシカとは違い、ユンは棘を隠そうともしない。ウィリアムには、その棘を咎めるほどの器量はなかった。ただ、そこにあるのは想いだけ。
「言わなきゃいけないことが、あるんだ」
僅かに震える彼の胸に、手を伸ばす。このまま彼がいなくなってしまったら。それを想像すると、胸に真っ暗な影が落ちる。彼と過ごした時間は、長かった。
――よくわからないけど、ほっとけない。人間としてのシオンに対して、ウィリアムはそう考えていた。彼が生死の狭間を彷徨ういまこのときになって、ようやく「わからない」の中身に気づけたのだ。
もちろん、拭えない悔いもある。シェリーを失ったときだ。ウィリアムはあれさえなければ――もう少し自分が強ければ、シオンが彼女を殺すこともなかったのだと思っている。人殺しを許したわけではない。けれど、彼がウィリアムの命を幾度か救っているのも事実。
(だから、信じていいと思った)
近づきたい、知りたいと思ったきっかけはウィリアム自身の記憶だった。が、次第にシオンそのものに興味を持っていった。きっと、彼が「使命」を隠し続けていたからだ。生来の性なのか、ウィリアムは彼に手を貸したいと思うようになっていた。彼が、片翼の鍵について教えてくれたように。
(放っておけない、はずだったんだ)
いまになってようやく気が付いた――自分は自覚しているよりずっと、彼を好いていたのだ。
ただ、失うのは嫌だと思った。
「だから、死なせたくないんだ」
導かれるように、彼の胸元に左手を置く。
突然、空気が澄んだ。
祈りながら触れた左手は、記憶にない光を称え、シオンの胸に吸い込まれていく……ように、他者には見えた。
「手が、刺さった……?」
リンの声も、息を呑んだ周囲の空気も、今のウィリアムには伝わらない。世界には、眼前の少年と自分しかいなかった。
音が消え、景色が消える。その中心で、自分が息をして、シオンが眠っている。
意識の中であろう不思議な空間で、ウィリアムはただ彼の目覚めを願っていた。左手で、救いのありかを手繰りながら。
何かが指先に当たる。器の縁に似た感触。恐ろしいほどに乾ききった、死の気配。
(頼むから)
ウィリアムは左手に意識を集中させた。ひび割れた器を、そっと水で満たしていく感覚。丁寧に、間違えずに、確実に。
(どうか、目を覚ましてくれ)
器から手を放す。その動きはまるで、眠る少年の胸から手を引き抜くようだった。
「どう、なったんだ?」
我に返ったウィリアムは、今の状況が理解できなかった。ただ、シオンの顔色と息遣いが随分とまともになった、ということは感覚でわかった。必死だったのだ。まだ意識の焦点が定まらない。
「オレ、どうしたんだ?」
自分は果たして、何をした? 疑問符の続きを、治癒術師が引き継いでくれる。
「君が、自分の魔力を彼に移したんだ。透けた左手を突き刺して。これなら魔力が安定すれば目を覚ますよ」
つまり、知らず知らずのうちに、ウィリアムはシオンに魔力を分け与えたことになる。だが――。
「……でも、いったいどういう仕組みでそうなったのか――」
「少しいいか?」
リンの言葉を遮って、男がひとり割り込んだ。つややかな黒髪をした、長身の男。知らないわけはなかった。
「はじめまして、だな。私はアルカディア。賢者と呼ばれている。シュバルトから話は聞いたよ。君が三番隊のウィリアムくんだね?」
――咄嗟に返事ができなかった。
シオンが隠していた離れの小屋で、静かに眠っていた人物。金眼の鎖剣士がすべてを捧げた相手。一度世界を救った偉人が、すぐそこにいる。
「……はじめまして。オレが、ウィリアム……です」
突然さを感じさせないやわらかい眼差しで、賢者は四人を見渡した。その目が一点に止まる。
「そうか、ユンもいるんだったな」
黒髪二人の視線がかち合った。ユンは普段からは想像もつかない細い声で、絞り出すように呟く。
「……とうさま」
「えっ?」
素っ頓狂な声をあげたのはジェシカだ。リンも目を丸くして、賢者とユンとを見比べている。
――ユンは賢者を、父と呼んだ。