[8]大戦
ウィリアムはただ、目を見開くことしかできなかった。
締め切ったカーテン。明かりのない暗い部屋。隅のベッドには何者かが寝かされているが、その人物が暮らしていた形跡はない。どころか、生活感が全くといっていいほどなかった。
そんな一室で、何よりもウィリアムの目を引いたのは、床一面に描かれた巨大な魔法陣だった。
「この術、まさか……」
既視感のある独特な刻み方は、治癒術のそれだ。わざわざリンを連れ出した理由も見えてきた。治癒術は術師が魔法陣さえ描いてしまえば、その才を持たない者でも発動できる。いつかシオンは、リンの治癒術師としての腕を評価していた。シオンはリンを連れ去って、この魔法陣を描かせたのだろう。
刻まれた印を眺めてみる。ところどころ、魔力の流れが読めない箇所があった。読めない、けれど知っている。けれどウィリアムは、この未知も知っている。ジェシカがいつも描いてきた、あの未知だ。
「古代魔術……それで、治癒術」
二つの点を結ぶと、浮かび上がってくるのはある神殿だ。オーブリの守護を司る術書は、討伐隊の来訪と共に消えている。
――つまり、この魔法陣は、オーブリの術書に記されていた治癒術なのだ。
ウィリアムは部屋のすべてを視認し、疑いようのない真実までたどり着いた。そのタイミングで、息を切らしたシオンが追い付いてきた。目を合わせずに訊く。
「お前が盗んだのか?」
確認するまでもなく、そうだろう。これまでウィリアムは、あの術書を盗んだのは仇敵マルクだと思っていた。そう思いこまされていた。そもそも最初にマルクを疑ったのは、当のシオンではなかったか。
非難の目を向けると、あっさり頷かれる。
「そうだ。あとは魔力を集めれば発動できるようになっている。まだ足りてはいないが」
「これがどういう術なのか知ってて言ってるのか」
縁の深い誰かを、どんな呪いからも解放する術。その代償に、治癒された者は術者の記憶を失う。多大な魔力と唯一の絆を代償に、大切な人を取り戻す術。
「――ほかに手段はない」
シオンはとっくに覚悟を済ませているようだった。そして、治癒術の対象は。
奥のベッドに視線が向かう。そこで眠っている人物こそ、シオンが罪を重ねてまで蘇らせようとしたひとに違いない。ただ、艶のある黒髪をしていること、成人した男性であろうこと。読み取れたのはその程度だった。
「この人は、いったい……」
「俺のすべてだ」
探った表情は、長い前髪に隠されてしまう。相手の人物がいったい誰なのか、ウィリアムには知る由もない。けれどその対象が、シオンにとっての「大切なもの」であることは理解できた。
「そう、か」
呟いて、押し黙る。彼の秘密を知って、そこからどう動けばいいのか思いつかなかった。静寂の後、先手を取ったのはシオンの方だ。
「もう、隠すこともないな。最後に教えてやる」
きっと諦めたのだろう、ぶっきらぼうな言い方だった。立ち尽くすウィリアムを、シオンはどこか遠い目で見つめている。自嘲しているようにも見えて、ウィリアムはそれを止めたかった。けれど、どうすればいいかわからない。
「この鍵は――」
そのとき、ドゴン、と、外で大きな爆発音がした。同時に、全身を駆け抜ける警鐘の響き。肌で感じる、あの気配。
「魔物が……」
ウィリアムが外へと引き返すと、闇色の影が空を埋め尽くしていくのが見えた。蠢く魔物たち。
大襲撃が、始まった。
締め切ったカーテン。明かりのない暗い部屋。隅のベッドには何者かが寝かされているが、その人物が暮らしていた形跡はない。どころか、生活感が全くといっていいほどなかった。
そんな一室で、何よりもウィリアムの目を引いたのは、床一面に描かれた巨大な魔法陣だった。
「この術、まさか……」
既視感のある独特な刻み方は、治癒術のそれだ。わざわざリンを連れ出した理由も見えてきた。治癒術は術師が魔法陣さえ描いてしまえば、その才を持たない者でも発動できる。いつかシオンは、リンの治癒術師としての腕を評価していた。シオンはリンを連れ去って、この魔法陣を描かせたのだろう。
刻まれた印を眺めてみる。ところどころ、魔力の流れが読めない箇所があった。読めない、けれど知っている。けれどウィリアムは、この未知も知っている。ジェシカがいつも描いてきた、あの未知だ。
「古代魔術……それで、治癒術」
二つの点を結ぶと、浮かび上がってくるのはある神殿だ。オーブリの守護を司る術書は、討伐隊の来訪と共に消えている。
――つまり、この魔法陣は、オーブリの術書に記されていた治癒術なのだ。
ウィリアムは部屋のすべてを視認し、疑いようのない真実までたどり着いた。そのタイミングで、息を切らしたシオンが追い付いてきた。目を合わせずに訊く。
「お前が盗んだのか?」
確認するまでもなく、そうだろう。これまでウィリアムは、あの術書を盗んだのは仇敵マルクだと思っていた。そう思いこまされていた。そもそも最初にマルクを疑ったのは、当のシオンではなかったか。
非難の目を向けると、あっさり頷かれる。
「そうだ。あとは魔力を集めれば発動できるようになっている。まだ足りてはいないが」
「これがどういう術なのか知ってて言ってるのか」
縁の深い誰かを、どんな呪いからも解放する術。その代償に、治癒された者は術者の記憶を失う。多大な魔力と唯一の絆を代償に、大切な人を取り戻す術。
「――ほかに手段はない」
シオンはとっくに覚悟を済ませているようだった。そして、治癒術の対象は。
奥のベッドに視線が向かう。そこで眠っている人物こそ、シオンが罪を重ねてまで蘇らせようとしたひとに違いない。ただ、艶のある黒髪をしていること、成人した男性であろうこと。読み取れたのはその程度だった。
「この人は、いったい……」
「俺のすべてだ」
探った表情は、長い前髪に隠されてしまう。相手の人物がいったい誰なのか、ウィリアムには知る由もない。けれどその対象が、シオンにとっての「大切なもの」であることは理解できた。
「そう、か」
呟いて、押し黙る。彼の秘密を知って、そこからどう動けばいいのか思いつかなかった。静寂の後、先手を取ったのはシオンの方だ。
「もう、隠すこともないな。最後に教えてやる」
きっと諦めたのだろう、ぶっきらぼうな言い方だった。立ち尽くすウィリアムを、シオンはどこか遠い目で見つめている。自嘲しているようにも見えて、ウィリアムはそれを止めたかった。けれど、どうすればいいかわからない。
「この鍵は――」
そのとき、ドゴン、と、外で大きな爆発音がした。同時に、全身を駆け抜ける警鐘の響き。肌で感じる、あの気配。
「魔物が……」
ウィリアムが外へと引き返すと、闇色の影が空を埋め尽くしていくのが見えた。蠢く魔物たち。
大襲撃が、始まった。