[7]二人の運命
曖昧。思い出せない。それらの響きは、まるで何かを隠しているように聞こえた。ウィリアムの胸の奥で、暗い炎が大きくなっていく。
「思い出せないんじゃなくて、言えないんじゃないか」
怒りのままに切りかかる。相手はその一撃を受けず、敢えて後ろに跳んだ。ウィリアムの剣が彼に追いつく頃には、シオンは再び地を蹴って跳び、真上からこちらを狙う。重力と技術が重なった大技を、ウィリアムはなんとか受け止める。雨に濡れて、頬に張り付く髪がもどかしい。
「習慣って、なんだよ。命を奪うことの意味がわかってたのか」
シェリーを奪われた。記憶だって誰かに奪われたのかもしれない。失う痛みは、ウィリアムの心に強く刻まれている。
「未来。希望。仲間。世界。死ぬってことは、そういうのが全部奪われるってことだ。討伐隊は、理不尽に奪われる人々を守り、救うための組織なんだ」
まくしたてるウィリアムは、開きかけた扉に気づかない。
「でもお前は違う。お前は魔力さえ手に入ればそれでいい、そうだろ?」
剣と剣がぶつかり合い、金属音が幾度も鳴いた。強い雨の中、場違いの舞のように。その合間に、シオンは刃物より鋭い目と声にウィリアムを追い詰める。
「魔力は目的でなく手段だ。それ以上言うことはない」
なんで、とウィリアムは繰り返した。
「本当は、わかりたかった。お前を理解して、仲間になりたかった」
覚悟をして、深く切り込んだ。しかし一撃は受け流され、衝撃はこちらに返ってくる。
「だから、よりにもよってシェリーを殺したのがお前だなんて、信じたくない」
何度聞いても、シオンは求めている回答をくれない。たった一言でもいいのに。自分は正義だとか、もう誰も殺さないとか、そういう言葉が欲しいのに。
(言わないってことは、本当に人殺し……)
彼が違う道を歩いているとしても、せめて言い訳くらいは聞きたかった。けれど、シオンには答える気配がない。トラスダンジュで彼が民間人を無視してから、ずっと積もり続けていた心の中の黒い炎。その穢れた灼熱が、唇から溢れた。
「信じたくないけど……でも、人から全てを奪って反省もしない奴が、誰も助けないでただ戦ってるだけの奴が、討伐隊にいる資格は――ない!」
思い切ったウィリアムの言葉が、シオンの真ん中を貫いた。長い睫毛と共に、彼の瞼が伏せられる。
「わかっている。だが――俺は使命のためなら、何だって犠牲にするつもりだ」
そのとき、ウィリアムに異変が起きた。
「だから、なんで、お前が……オレ、は、」
感情が爆発し、覚醒の扉が開きかける。二色の髪は一色に、紫の瞳は赤に。意識のすべてが戦意に塗り潰されていく。息が浅くなる。視界が歪む。細く意識を繋いだまま、ウウ、と唸る。
「お前、目が」
ウィリアムの赤くなった瞳。それを見たシオンのたった一瞬の驚愕は、暴走した少年にとっては大きな隙だった。
まず自分の剣を手放し、シオンの手から彼の剣を無理矢理引き剥がした。次に、チョーカーで飾られた白い首に手をかける。
扉の端に落ちていた、狂った衝動。――この男さえいなくなれば、板挟みからは解放される。
「大切な人を失った痛みを、奪われた悲しみを! お前は知らずに、シェリーを殺した! それなのに……!」
もはやそこに理性はなかった。ぎりり、と軋む音がする。あと少し。あと少しで――。そのとき、強い力で腹を蹴られた。浅い覚醒は終わり、はっきりとした意識が戻ってくる。
「あれ――オレ、いま、何を」
ウィリアムは両手を見つめた。覚醒したときの記憶が、悪い夢のようにぼんやりとわかってきた。シオンは咳き込み、呼吸を整えてから吐き捨てる。
「俺を殺して、復讐でもするつもりだったのか? とんだ矛盾だ」
濡れた髪の毛から雫が落ちる。一滴の雨粒が、誰の肌を伝ったものなのかもうわからない。
「違う……あれは、オレじゃない」
「……あの力か。厄介だな」
シオンの首に残った赤い痕を見れば、覚醒した自分のやったことは明確にわかる。自我を奪われた自覚があるなら、尚更。だがその暴力は、ウィリアムの望んだ行為ではない。
「オレは……違う。人殺しには、ならない。オレが創るのは――」
「俺のすべきことは、お前には関係ない。だが――」
それぞれの意志は、雨音にかき消されて届かない。そのままウィリアムは雨にさらされた剣を拾う。シオンも剣から鎖を伸ばし、引き寄せた柄を握り直した。再開される剣戟。
「すべてが終わったら、望み通りお前の世界から消えてやろう。ただ、今の俺には使命がある」
「その使命って、一体なんなんだよ?」
「どうして俺の使命と懺悔に、お前が割って入るんだ」
斬撃はすべて受け流され、時折反撃や突きが返ってくる。懺悔。気にかかった言葉は、互いに攻撃を捌いている間に遠ざかってしまった。彼の刃はウィリアムを拒んでいる。まるで知られるのを恐れるかのように。それは剣士にしかわからない交わり方で、剣で切り込む度に相手の魂を感じ合う。それでもウィリアムは、あえて言葉にして答えた。
「お前に近づきたいからだ。手を結んで、仲間としていろんな感情を分かち合いたかった。だから知りたかった。なんでシェリーを殺したのか。やらされたのか、やりたくて殺してたのか。オレはお前に、本当のことを教えて欲しかったんだよ!」
全身全霊の力を振り絞って、ウィリアムはシオンの手首を狙った。ウィリアムは忘れていた。この相手に重い一撃を繰り出すのが、悪手の中の悪手であることを。
「身勝手だな」
炸裂するカウンター。ウィリアムの力を全て返して、名の刻まれた剣に衝撃を与える。手から抜けていく柄。首に突きつけられた切っ先。勝負は終わったが、彼はそれ以上ウィリアムを傷つけることはなかった。
「身勝手なのはわかってる。でもオレは、お前を憎むことができないみたいなんだ。だから、悪いのはお前じゃなく、お前にそうさせた盗賊団だ。そう思っていいか」
剣を拾いながら、ウィリアムは訊く。シオンはその様子をぼうっと眺めて、ようやく答えをくれた。
「さあ、どうだろうな。お前が信じたいものを信じればいい、それだけの話だ」
会話が途切れたそのとき、二人は同時に構えた。
「思い出せないんじゃなくて、言えないんじゃないか」
怒りのままに切りかかる。相手はその一撃を受けず、敢えて後ろに跳んだ。ウィリアムの剣が彼に追いつく頃には、シオンは再び地を蹴って跳び、真上からこちらを狙う。重力と技術が重なった大技を、ウィリアムはなんとか受け止める。雨に濡れて、頬に張り付く髪がもどかしい。
「習慣って、なんだよ。命を奪うことの意味がわかってたのか」
シェリーを奪われた。記憶だって誰かに奪われたのかもしれない。失う痛みは、ウィリアムの心に強く刻まれている。
「未来。希望。仲間。世界。死ぬってことは、そういうのが全部奪われるってことだ。討伐隊は、理不尽に奪われる人々を守り、救うための組織なんだ」
まくしたてるウィリアムは、開きかけた扉に気づかない。
「でもお前は違う。お前は魔力さえ手に入ればそれでいい、そうだろ?」
剣と剣がぶつかり合い、金属音が幾度も鳴いた。強い雨の中、場違いの舞のように。その合間に、シオンは刃物より鋭い目と声にウィリアムを追い詰める。
「魔力は目的でなく手段だ。それ以上言うことはない」
なんで、とウィリアムは繰り返した。
「本当は、わかりたかった。お前を理解して、仲間になりたかった」
覚悟をして、深く切り込んだ。しかし一撃は受け流され、衝撃はこちらに返ってくる。
「だから、よりにもよってシェリーを殺したのがお前だなんて、信じたくない」
何度聞いても、シオンは求めている回答をくれない。たった一言でもいいのに。自分は正義だとか、もう誰も殺さないとか、そういう言葉が欲しいのに。
(言わないってことは、本当に人殺し……)
彼が違う道を歩いているとしても、せめて言い訳くらいは聞きたかった。けれど、シオンには答える気配がない。トラスダンジュで彼が民間人を無視してから、ずっと積もり続けていた心の中の黒い炎。その穢れた灼熱が、唇から溢れた。
「信じたくないけど……でも、人から全てを奪って反省もしない奴が、誰も助けないでただ戦ってるだけの奴が、討伐隊にいる資格は――ない!」
思い切ったウィリアムの言葉が、シオンの真ん中を貫いた。長い睫毛と共に、彼の瞼が伏せられる。
「わかっている。だが――俺は使命のためなら、何だって犠牲にするつもりだ」
そのとき、ウィリアムに異変が起きた。
「だから、なんで、お前が……オレ、は、」
感情が爆発し、覚醒の扉が開きかける。二色の髪は一色に、紫の瞳は赤に。意識のすべてが戦意に塗り潰されていく。息が浅くなる。視界が歪む。細く意識を繋いだまま、ウウ、と唸る。
「お前、目が」
ウィリアムの赤くなった瞳。それを見たシオンのたった一瞬の驚愕は、暴走した少年にとっては大きな隙だった。
まず自分の剣を手放し、シオンの手から彼の剣を無理矢理引き剥がした。次に、チョーカーで飾られた白い首に手をかける。
扉の端に落ちていた、狂った衝動。――この男さえいなくなれば、板挟みからは解放される。
「大切な人を失った痛みを、奪われた悲しみを! お前は知らずに、シェリーを殺した! それなのに……!」
もはやそこに理性はなかった。ぎりり、と軋む音がする。あと少し。あと少しで――。そのとき、強い力で腹を蹴られた。浅い覚醒は終わり、はっきりとした意識が戻ってくる。
「あれ――オレ、いま、何を」
ウィリアムは両手を見つめた。覚醒したときの記憶が、悪い夢のようにぼんやりとわかってきた。シオンは咳き込み、呼吸を整えてから吐き捨てる。
「俺を殺して、復讐でもするつもりだったのか? とんだ矛盾だ」
濡れた髪の毛から雫が落ちる。一滴の雨粒が、誰の肌を伝ったものなのかもうわからない。
「違う……あれは、オレじゃない」
「……あの力か。厄介だな」
シオンの首に残った赤い痕を見れば、覚醒した自分のやったことは明確にわかる。自我を奪われた自覚があるなら、尚更。だがその暴力は、ウィリアムの望んだ行為ではない。
「オレは……違う。人殺しには、ならない。オレが創るのは――」
「俺のすべきことは、お前には関係ない。だが――」
それぞれの意志は、雨音にかき消されて届かない。そのままウィリアムは雨にさらされた剣を拾う。シオンも剣から鎖を伸ばし、引き寄せた柄を握り直した。再開される剣戟。
「すべてが終わったら、望み通りお前の世界から消えてやろう。ただ、今の俺には使命がある」
「その使命って、一体なんなんだよ?」
「どうして俺の使命と懺悔に、お前が割って入るんだ」
斬撃はすべて受け流され、時折反撃や突きが返ってくる。懺悔。気にかかった言葉は、互いに攻撃を捌いている間に遠ざかってしまった。彼の刃はウィリアムを拒んでいる。まるで知られるのを恐れるかのように。それは剣士にしかわからない交わり方で、剣で切り込む度に相手の魂を感じ合う。それでもウィリアムは、あえて言葉にして答えた。
「お前に近づきたいからだ。手を結んで、仲間としていろんな感情を分かち合いたかった。だから知りたかった。なんでシェリーを殺したのか。やらされたのか、やりたくて殺してたのか。オレはお前に、本当のことを教えて欲しかったんだよ!」
全身全霊の力を振り絞って、ウィリアムはシオンの手首を狙った。ウィリアムは忘れていた。この相手に重い一撃を繰り出すのが、悪手の中の悪手であることを。
「身勝手だな」
炸裂するカウンター。ウィリアムの力を全て返して、名の刻まれた剣に衝撃を与える。手から抜けていく柄。首に突きつけられた切っ先。勝負は終わったが、彼はそれ以上ウィリアムを傷つけることはなかった。
「身勝手なのはわかってる。でもオレは、お前を憎むことができないみたいなんだ。だから、悪いのはお前じゃなく、お前にそうさせた盗賊団だ。そう思っていいか」
剣を拾いながら、ウィリアムは訊く。シオンはその様子をぼうっと眺めて、ようやく答えをくれた。
「さあ、どうだろうな。お前が信じたいものを信じればいい、それだけの話だ」
会話が途切れたそのとき、二人は同時に構えた。