[6]真実のかけら

「おいおい、あの程度の魔物に苦戦でもしたのか?」
 ルビウスの声だ。間延びした語り口はいつもどおり癇に障る。引きずられるように振り向いて目くじらを立てたはいいが、それはウィリアムへの言葉ではなかった。天才が見やるのは、面識があるらしい孤高の鎖剣士だった。
「まさか。一体も逃がしてない」
「だったらその体たらくはどうなんだよ」
 つられてシオンを見れば、歪んだ立ち姿。確かに万全ではなさそうだった。手負いなんてらしくない、とまで考えて、ウィリアムは思い出した。考えもなく割り込んで、舌が勝手に否定を漏らす。
「違う。あいつ、前から足を怪我してた」

 へえ、とルビウスが顎に手をあてる。無遠慮に、少年の足を視線で探る。傷の持ち主は目でこちらを咎めていたが、その棘を気にかけている場合ではない。まだ治っていなかった、ということは。
「お前、医務室にも行ってなかったのかよ」
「戦闘は終わった。敵は捕らえたんだろ、問題はないはずだ」
「捕らえた? 逃げたんじゃなくてか」
 紅髪の男は意外なところをつつく。ウィリアムは見たままの事実を告げた。
「そうみたいだ。いま、ジェシカのとこにいる」
 ウィリアムが答えると、ルビウスはもういなかった。二人を交互に伺うリンを横切って、乾いた世界に赤い風が吹く。いったい何を気にして、どこへ行ったのか――呆気にとられつつ、さりげなく彼に続こうとしたシオンを目ざとく捕まえた。戦いに影響が出るほどの大事に至っているのなら。

「痛くないのか。見せてみろ」
「どうして」
「いいから」
 不意打ちの足払いを決めると、おかしいことに相手はあっけなく崩れた。シオンが身を起こすより先に手を伸ばす。左足首のすこし上。傷の場所は目に焼き付いている――元はといえばウィリアムを庇ったせいなのだ。裾を捲ると包帯の上からでも滲む赤が見てとれて、眉を顰める。
 ちらと周囲をうかがうと、リンがまだ近くにいてくれた。手招きすると、遠慮がちに傍に寄る。そっと包帯を外すと同時に、傷口に二人分の影が落ちた。
 瞠目する。
「ど……どうしてこんなになるまで放っておいたの?」
 リンの語気からは気遣いが聞こえていたが、シオンには通じていないだろう。
「放ってはいない。構うな」
「オレがほっとけないんだよ。誰かを見捨てるなんて」
 こんなことを言えたのも、この場所だからかもしれない――ウィリアムは頭のどこかで思う。
 幼い日の自分は、この地とよく似た場所で苦しみの中に生きていた。それでも守るものがあり、いくつか差し伸べられた手もあった。討伐隊もそんな「手」のうちひとつになるはずだ。まして彼は同じ基地で暮らす仲間なのだ。そうなりたいとウィリアムが決めた。だからここで彼を放置する道理はない。

「リン、頼めるか」
「えっ、僕?」
「普通に治療してなんとかなる傷じゃないだろ」
 ウィリアムにとってはいつものことだったが、リンはためらった。しばらく続いた押し問答を、シオンは何も言わず眺めている。この手の口論で折れるウィリアムではないということは、その場の誰にもわかっていた。
「これだけの怪我を治すとしたら、反動で辛くなるかもしれないけど……。それで、いいの?」
「勝手にしろ」
 間をおかず答えたシオンは諦めが早いたちらしくどこかなげやりだ。こくりと頷いて合図のあと、袖が光る。術者は息を呑み感覚を研ぎ澄まし、患者は息を詰めて顔を伏せた。

 静寂が世界を支配する。鳥が飛び立ってから羽ばたくまでの僅かな時間で、氷が水になるまでの長い時間。その間ウィリアムはじっとシオンを見た。表情もわからず声もしないけれど。
(そんなに、苦しいものなのか?)
 のたうち回る指先が、全てを物語っていた。

 やがてリンは無言で腕を下ろす。息を思い出してから、シオンはまっすぐに立ち上がる。一瞬、俯きかけた少年と視線を合わせた。なにかを含んだ目で右袖の魔法陣をとらえる。
「随分と優秀な治癒術師だな」
 掠れた声を残して、より不安定になった足取りで背を向ける。傷は治った。それですべてが解決したなら、彼の目元はなぜ歪んでいた?
 目の前で起こったことがのみこめなくて、後を追えない。遠ざかる影は闇夜に紛れ、あっという間に消えていく。

「いったいなんなんだ、あいつ」
 わからない。暗闇のように大きくて重いかたまりを残されて、なんだかひとりになった気がする。月が、岩肌が、活気を知らない廃墟が、名も知らぬ故郷に重なった。幻を打ち消すように、リンが重い口を開く。
「ウィリアム。これが本当に、治癒術なのかな」
 何を言われたのかわからず、聞き返す代わりに緑の瞳を探る。
「あんなにも痛みを与えてしまうものが、本当に癒しの術だと思う?」
 死角からの問いかけに、ウィリアムはただ舌を乾かした。吐ききるようにリンは続ける。
「僕は――そうは、考えたくない」
 絞り出した声が、いやに耳に残って離れてくれなかった。

 傾いた月がさびれた村を照らす。
 もしかしたら自分は、リンを、シオンを追い込んだのかもしれない――村の修繕作業を黙々とこなしているうちに、ふと、そう感じた。ジェシカのことだって、ユンに止められなければ、何を言っていたか。
 思いを巡らせてみれば、リンの真意も、ジェシカの翼も、シオンの傷も、タバサをどうするかということさえも、何一つ切り出せないままだ。そしてそれがいいことなのかどうか、今のウィリアムにはわからないのだった。
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