[6]真実のかけら
ウィリアムがその印に踏み込むと、張り付けられたように動けなくなった。刹那、ざわめきに囚われる。騒いでいるのは、体中を巡る魔法の源、そして心。
動いたのはなにかを流し込む術だった。今にも破裂しそうなものはおそらく覚醒の扉で、それこそがタバサの目的だった。姿を見せない少女の声は、まるで耳元で囁かれたかのように少年の頭蓋に染み込み響き渡る。
「あなたのなかにある力を見せて。確かめたいの」
幻を見せるほどの圧迫感。扉の向こうにあるなにか大きなものが、足元の魔法陣から駆けあがってくる。
「やっぱり」
タバサの声がはっきりと、でも遠くで聞こえる。胸の奥に湧き出てくる気配。彼女が求め、ウィリアムが拒んだ、覚醒の力。
扉を開けてしまえば確実にあの流れに呑み込まれるだろう。胸元の鍵を服越しに握り、恐ろしい力と衝動とを抑える。
「何かが彼を止めているの? 気持ちだけじゃどうにもならないはず」
でも、とタバサは手を振った。すべての魔物が、軋みながら戦う少年に向く。
「なにがなんでも引き出すわ。この子たちもそれでいいって」
ウィリアムに群れる魔物たちが思わせるのは、窮地に幾度も訪れた覚醒だ。研究所で暴走したあの魔力。思考と引き換えに大きな力を得て、敵も味方も滅ぼす能力。
(あの力を使えば、これだけの魔物も倒せるんだろう)
だが、目的は敵を倒すことでなく、村を傷つけないことなのだ。
思考はもはや、身体が続ける戦いとは別のところにあった。ぶつかりあう剣と牙。おろそかになった脚が襲われて痛む。覚悟が傾いでいく。
(この状況なら、たとえ敵の狙い通りになってもあの力を使うべきかもしれない)
自分を縛るこの魔法は、ウィリアムを覚醒させるためのものだ。ただの罠ではないと、踏み込んだ瞬間に気づいていた。
「ええ。扉を開けるの。そうすれば、あなたもあの子たちにとっても、大切ななにかがわかるわ」
現実と想像の境界がみるみるうちにぼやける。タバサの声は自分自身をも導くようにゆらめいている。
そのとき、混濁する思考に水平線が割り込んだ。
なにかの確信を得た白い矢が閃く。ジェシカだ。目の前の魔物が額を貫かれ、一撃で霧散した。どうしたの、と放心した声はユンのものだろうか。そのわずかな時間だけが、瞬間を焼き付けるようにゆっくりと進んでいく。
「聞こえる? ウィリアム、力のことは気にしなくていい」
答える余裕はなかった。けれど凛とした声はまっすぐに耳を通って、頭の奥まで突き抜ける。
「貴方は私が止める」
(……わかった)
返事は言葉にしなくても伝わった。少なくともそう信じられた。だからウィリアムはしがみついていた鍵を手放した。遠ざかっていく現実との間を、魔力であろう流れが埋めていく。
落ちる直前、純白の光が視界を染めた。黒い影が蒸発し、空の色さえ変えてしまいそうな不思議な気配が辺りに満ちる。薄れゆく意識の中で最後に見たものは、銀色に光る翼。
ウィリアムを覆う闇の手を、白い光が切り裂いた。
銀色の翼が夜空を覆う。羽ばたくごとにひらめく、純なる白い魔法の波動が地を撫でる。
天使の鼓動たるそれこそが、力に呑まれかけていた自分を救ったのだ。その証拠に、胸元には微笑みを受けたような暖かさがある。
清廉なる白銀は、漆黒の空によく映えた。その光の、この翼の持ち主は。
「ジェシカ……?」
二色のままの髪を振り乱して空を仰ぐ。呟いた名は仲間のもの。聞きなれた声は凛として響く。
「貴方にも、誰にも、この場所をこれ以上傷つけさせない」
波打つ白い光の粉を浴びて、悪しきものたちはばらつき慄く。
「今のうちに!」
敵の隙は逃さない。動かない魔物を切り裂いて群れをひとつ退けると、風を切るジェシカが鮮明に見えた。鳥とは違い、透き通った銀の翼。清らかな力のゆらめき――。
天使とはこういう存在なのだと、ウィリアムは感覚で思い知った。
かつてジェシカがその身に宿したと言われながら、形になることがなかった天使の力。そんなものが今ここで現れるなんて。身体は戦っていても、否応なしに目がそちらに向く。
そんなウィリアムを知ってか知らずか、ジェシカ本人は疑うよりも目の前のことに思考を割いた。鋭い視線は空中の敵将へ。詠唱はいつのまにか終わっている。
――今なら、届く。
迷いのない光の刃が、タバサの足元を揺るがした。彼女の乗っていた魔物が霧となって消える。飛びそうなほどかるい身体はそのまま落ち、地上の魔物に受け止められた。タバサは、けれど、釘づけだった。
「なに、あれは――報告しなきゃ……」
ややあって零すと、手元の印に魔力を込める。反応して光るそれは、幾重もの線が精密に張り巡らされた魔方陣。その場で描いたとは思えない。最初から用意されていたもの――となると。
(転移魔法!)
遠距離の移動を可能にする高度な術。この局面で使うとしたら、それは帰還の手段。ウィリアムが気づいたとき、天使は既に動いていた。
「逃がさない。あなたには、聞きたいことがたくさんあるの」
まっさらな矢が飛んで、タバサの拠り所をひといきに砕く。有無を言わさず、追って手が伸びる。勿論、相手も黙ってはいない。
「こうなったら……!」
タバサの右手に灯る光。ジェシカも応戦する。ふたりの魔法が衝突し、轟音とともに場を揺らす。――爆発。
動いたのはなにかを流し込む術だった。今にも破裂しそうなものはおそらく覚醒の扉で、それこそがタバサの目的だった。姿を見せない少女の声は、まるで耳元で囁かれたかのように少年の頭蓋に染み込み響き渡る。
「あなたのなかにある力を見せて。確かめたいの」
幻を見せるほどの圧迫感。扉の向こうにあるなにか大きなものが、足元の魔法陣から駆けあがってくる。
「やっぱり」
タバサの声がはっきりと、でも遠くで聞こえる。胸の奥に湧き出てくる気配。彼女が求め、ウィリアムが拒んだ、覚醒の力。
扉を開けてしまえば確実にあの流れに呑み込まれるだろう。胸元の鍵を服越しに握り、恐ろしい力と衝動とを抑える。
「何かが彼を止めているの? 気持ちだけじゃどうにもならないはず」
でも、とタバサは手を振った。すべての魔物が、軋みながら戦う少年に向く。
「なにがなんでも引き出すわ。この子たちもそれでいいって」
ウィリアムに群れる魔物たちが思わせるのは、窮地に幾度も訪れた覚醒だ。研究所で暴走したあの魔力。思考と引き換えに大きな力を得て、敵も味方も滅ぼす能力。
(あの力を使えば、これだけの魔物も倒せるんだろう)
だが、目的は敵を倒すことでなく、村を傷つけないことなのだ。
思考はもはや、身体が続ける戦いとは別のところにあった。ぶつかりあう剣と牙。おろそかになった脚が襲われて痛む。覚悟が傾いでいく。
(この状況なら、たとえ敵の狙い通りになってもあの力を使うべきかもしれない)
自分を縛るこの魔法は、ウィリアムを覚醒させるためのものだ。ただの罠ではないと、踏み込んだ瞬間に気づいていた。
「ええ。扉を開けるの。そうすれば、あなたもあの子たちにとっても、大切ななにかがわかるわ」
現実と想像の境界がみるみるうちにぼやける。タバサの声は自分自身をも導くようにゆらめいている。
そのとき、混濁する思考に水平線が割り込んだ。
なにかの確信を得た白い矢が閃く。ジェシカだ。目の前の魔物が額を貫かれ、一撃で霧散した。どうしたの、と放心した声はユンのものだろうか。そのわずかな時間だけが、瞬間を焼き付けるようにゆっくりと進んでいく。
「聞こえる? ウィリアム、力のことは気にしなくていい」
答える余裕はなかった。けれど凛とした声はまっすぐに耳を通って、頭の奥まで突き抜ける。
「貴方は私が止める」
(……わかった)
返事は言葉にしなくても伝わった。少なくともそう信じられた。だからウィリアムはしがみついていた鍵を手放した。遠ざかっていく現実との間を、魔力であろう流れが埋めていく。
落ちる直前、純白の光が視界を染めた。黒い影が蒸発し、空の色さえ変えてしまいそうな不思議な気配が辺りに満ちる。薄れゆく意識の中で最後に見たものは、銀色に光る翼。
ウィリアムを覆う闇の手を、白い光が切り裂いた。
銀色の翼が夜空を覆う。羽ばたくごとにひらめく、純なる白い魔法の波動が地を撫でる。
天使の鼓動たるそれこそが、力に呑まれかけていた自分を救ったのだ。その証拠に、胸元には微笑みを受けたような暖かさがある。
清廉なる白銀は、漆黒の空によく映えた。その光の、この翼の持ち主は。
「ジェシカ……?」
二色のままの髪を振り乱して空を仰ぐ。呟いた名は仲間のもの。聞きなれた声は凛として響く。
「貴方にも、誰にも、この場所をこれ以上傷つけさせない」
波打つ白い光の粉を浴びて、悪しきものたちはばらつき慄く。
「今のうちに!」
敵の隙は逃さない。動かない魔物を切り裂いて群れをひとつ退けると、風を切るジェシカが鮮明に見えた。鳥とは違い、透き通った銀の翼。清らかな力のゆらめき――。
天使とはこういう存在なのだと、ウィリアムは感覚で思い知った。
かつてジェシカがその身に宿したと言われながら、形になることがなかった天使の力。そんなものが今ここで現れるなんて。身体は戦っていても、否応なしに目がそちらに向く。
そんなウィリアムを知ってか知らずか、ジェシカ本人は疑うよりも目の前のことに思考を割いた。鋭い視線は空中の敵将へ。詠唱はいつのまにか終わっている。
――今なら、届く。
迷いのない光の刃が、タバサの足元を揺るがした。彼女の乗っていた魔物が霧となって消える。飛びそうなほどかるい身体はそのまま落ち、地上の魔物に受け止められた。タバサは、けれど、釘づけだった。
「なに、あれは――報告しなきゃ……」
ややあって零すと、手元の印に魔力を込める。反応して光るそれは、幾重もの線が精密に張り巡らされた魔方陣。その場で描いたとは思えない。最初から用意されていたもの――となると。
(転移魔法!)
遠距離の移動を可能にする高度な術。この局面で使うとしたら、それは帰還の手段。ウィリアムが気づいたとき、天使は既に動いていた。
「逃がさない。あなたには、聞きたいことがたくさんあるの」
まっさらな矢が飛んで、タバサの拠り所をひといきに砕く。有無を言わさず、追って手が伸びる。勿論、相手も黙ってはいない。
「こうなったら……!」
タバサの右手に灯る光。ジェシカも応戦する。ふたりの魔法が衝突し、轟音とともに場を揺らす。――爆発。