[6]真実のかけら

 シオンのことを思いながら、果たしてどれほど歩いただろうか。
 一人で考えていても埒が明かない、いっそ聞かなかったことにしてしまおうか。ひたすらに人目を避けて、誰ともすれ違わなくなった頃にはそれがいいと納得しかけていた。ふらりと通りがかった目立たない部屋に、その姿を見つけさえしなければ。
 第三書庫と称されたその一室には、賢者のものだという大量の本が保管されている。見回した本棚には古代文字ばかりが鎮座していて、背表紙だけで目が眩みそうだ。そもそも他に図書室があるため、ここに立ち入る者は滅多にいない。そんな薄暗い部屋の端で、シオンが何かの術書を読み解いている。没頭している彼に、ウィリアムは声を潜めて話しかけた。

「ちょっといいか」
「何の用だ」
 筆記帳を閉じて、シオンはこちらを振り返る。視線が合ってしまえば、問いは頭の中に収まらない。何の前置きもなく言葉は飛び出していった。
「支援部隊の元盗賊がいるだろ」
「それがどうした」
「知り合いとかじゃないのか」
 一瞬の静寂。窓から吹き込んだ風が古びた頁を捲る。
「なんのことだか」
 ――誤魔化すつもりだ。直観でそれがわかって、ウィリアムはむきになった。
「はぐらかすなよ! お前も、ああいう連中だったのか」
 縋るような問いをシオンはあっさりと聞き流し、広げていた本を次々と片付けていく。きっと彼は、悟られていることを悟っている。
「仮にお前の言う通りだったとして、それが何になる」
「……それは」
「言っておくが、そのことは鍵とは関係ない」
 告げながら、シオンはそれを目で認めた。適当に餌を撒いて、無理やり会話を終わらせる彼のやり方。捨てられたようで無性にいらつく。
「待てよ」
 疑惑と葛藤が頭に上って、目の前をカッと熱くする。止まらない。
「やっぱり、マルクと一緒に盗賊団にいたのか」
「お前がその真偽を知ったとして、どちらにせよ無意味だ」
「でも!」
 肩を掴んだウィリアムの手を、シオンは何も言わずに振りほどく。逃がすものかと手を伸ばし、今度は腕を引っ張る。きっとまた解かれるのだろうが――。

 ――そのとき、強かなはずの身体の軸が、突然崩れた。ばさばさと音を立てて本がいくつも床に落ちる。シオンは大きくよろけて机に手をついていた。戦場での隙のない所作はどこにいったのか。本人は何事もない体を装って、散らばった本を拾い集めている。妙にぎこちない動き。偶然か必然か、ウィリアムは気づいてしまった。
「……ごめん」
 バランスを支えられなかった左脚。自分を庇った傷がそこにはあったはずなのだ。

「この前の怪我か?」
 不意打ちの問いで繋ぎとめようとしても、シオンは沈黙を貫くだけ。返事がないということはきっと肯定で同時に拒絶だ。まだ治っていないのか、痛くないのか、そんなことを聞こうとしても取り合ってくれそうにない。踏み込みすぎた、わかっている、もう遅い。それでも本能は追うのをやめてくれなかった。
「教えてくれよ。お前は――」
「諦めが悪いな」
 本をまとめて抱え、それきりシオンは振り向かなかった。
「引き際を見誤ると、取り返しのつかないことになる。心得ておけ」
 去り際の一言は忠告にも聞こえて、殊更にウィリアムを惑わせるのだった。

◆◇◆

 ウィリアムはそれから、本を捲ってみたり自主訓練に励んだりしたが、何をしてもいまひとつ身が入らなかった。気分を変えようと外に出てみても、湿り気が纏わりつくだけ。冴えない曇り空をぼんやりと見上げる。
(あいつは、どっち側なんだ)
 シオンに助けられたことは事実だ。かといって、彼が魔物に襲われた商人を見捨てたことも忘れてはいない。容赦ない言葉を何度も聞いた。それが彼の本質であるなら、ウィリアムに手を貸したことは何かの手違いなのだろうか。……深い傷を負ってまで?
(っていうか、あの怪我はまだ治ってないのか)

 そこまで考えたとき、唐突に変調が訪れた。

 ピンと糸を張るような妙な感覚。どこかで誰かが、自分を呼んでいる。
「――そこのあなた」
 空から聞こえた少女の声、その響きには覚えがあった。辺りを見回しても誰もいない。
 
 鍵の声とは違う。こっちよ。頭の中で語りかけられるような感覚は、何かの術だろうか? 少女の囁きはウィリアムをどこかへ導いていく。素直に追うと、不自然に人気がない庭に行き着いた。地面には、先日の巨大な魔物による破壊の爪痕が残っている。
 声の主はその奥にいた。
「やっと来てくれたのね」
「お前、どうしてここに」
 半透明の姿で、タバサがそこに浮いていた。ふわりと広がる髪に白いドレスも相まって、風変わりな少女は幻想的な雰囲気を醸し出している。魔法を使って姿と言葉だけをこちらに送っているようだ。

「決着をつけましょう。わたしたちは明後日、置き去りの村を襲う」
 タバサが口走ったのは明らかな宣戦布告だ。凄んでいるわけでもないのに彼女の瞳には不思議な気迫があって、ウィリアムは身じろいだ。
「どういうことだよ、それ」
「言った通りの意味よ。村をただの焼け野原にする。あの子たちにはできる。知っているでしょう。容赦はしないわ」
 感情を削ぎ落とされた無垢な相貌は、どんなに残酷な行為を唱えても変わることがない。聞き返す隙間も与えずに、予告だけを突きつける。
「あなたにその気があるなら、止めに来て。王も騎士も助けに来ない、ひとりぼっちの村に。そこですべてを決めましょう」
 言い切った途端、用が済んだとばかりにタバサの姿が薄らいでいく。
「待て! どういう――」
 伸ばした手は追いつかず、幻は解答を落とさないまま消えてしまう。抜き差しならない報せの重みと共に、ウィリアムは荒れた庭に取り残される。少女の痕跡はどこにもない。雲を吹き散らすような鋭い風が吹き始めていた。
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