[5]善か悪か、敵か味方か

 一通り敵を屠って、ウィリアムは剣を下ろした。傍ではユンが額の汗を拭っている。
「案外、強くなかったね」
「あっという間だったな」
 思わず手に力が篭った。己の内に膨れ上がる熱はこの程度では到底収まらない。まだまだこの剣を振り回していたいのに。
「もっと骨のある奴が出てくると思ってた。欠片も出さないし、まるでなりそこないの魔物だな」
 言葉を交わしながら振り向くと、ジェシカは異常に気づいていた。
「リン、大丈夫? 具合が悪そうだけど」
 呼ばれた方はしまったという顔をして震えていた。物々しい空気がのしかかって息苦しさがつのる。油断すればちぎれた人体が目に入ってくるのだ。
「ここ、気色悪いもんね。無理はよくないよ」
 心配する声を受けて彼はゆるゆると首を横に振り、何かに気づいて顔を上げた。焦点のあわない目で告げたのは、問いへの答えでも仲間への返事でもなかった。
「なにか、来る」
 カツン、彼の声を追う音が響いた。一定のリズムは誰かの歩調を示す。三番隊以外の何者かが、ここにいる!

「そこに誰かいるの?」
 丸い目を尖らせたユンの問いに、
「ええ。いるわよ」
 足音の主は姿を現した。碧の瞳をした大人の女性。くすんだ金髪は高い位置でひとつに結われている。身にまとった黒いドレスの上からでもその抜群なスタイルが見て取れる。きらびやかな髪飾りが、この空間には異質だった。

「あんた、ここの研究所の人なのか」
「三代目の所長よ、看板に書いてあったでしょ? もうここは使ってないんだけどね」
 金髪碧眼の女――ティアラは自然に笑う。棘が肌に触れたようにちくりとした。親しげに話すこの女は、しかし眼前に広がるおぞましい光景を作り上げた人物なのだ。慣れているからなのかおかしいとも感じていないのか、彼女がこの場のすべてに動じる気配はない。
「あら、髪が二色のの坊や。それ、どうしたの? 根元から髪を染める技術なんて、この私でも知らないのよ」
「どうだっていいだろ、そんなこと!」
 眺められて、反吐が出そうになる。噛みつきそうになる衝動を、白い帽子が遮った。
「ここ、魔物の研究をしてたの? それとも人間?」
「魔物っていうか、魔力全般ね。今でも余所でしてるわ。私、向こうでは発明姐御って呼ばれてるのよ」

「それって……」
 発明姐御。何気ない単語がひっかかり、ジェシカは首を捻った。どこかで誰かが同じようなことを言っていた気が――。
 ――姐さんの新発明、特別に頂いたわけよ。
 符合した。
 トラスダンジュで出会った仇敵が、橙の髪を風に酔わせながらそんなことを口走っていた。魔物を召喚する道具を手にして。
もし彼が言う「姐さん」が、目の前にいる女のことだとしたら。唾を呑む。浅く息を吸い、疑いの矛先を仰ぎ見る。
「貴方、マルクと手を組んでいるの?」

 口に出したその名が空気を変えた。ふたりに視線が集まり緊張が走る。が、相対するティアラの調子は乱れない。
「マルクちゃん? ええっと、確かあの子はフリーランスよ。発明品を買ってくれたことはあるけど」
 距離を詰めた問いから逃げることなく、女はあっさりと明かした。平然とした表情がより場違いに見えてくる。彼女はただの研究者なのか、それとも。
「彼は魔物を操って人を襲っているのよ。わかっていて加担したの?」
「さあ? でもそんなことができたらすごいわね。そうしたら装置が暴走しても、ここを棄てなくて済んだのに」
 決定的な言葉はない。だが、こちらの神経が擦り切れそうになるあの余裕は、同種だ。
「油断しないで。この人、『あっち側』だ」
 凶暴な魔物を持ち運びして利用できる技術。そんなものを作り出し、悪意と殺意の持ち主に力をもたらした。本人は誤魔化しているが、つまりそういうことだ。

 気づかれたことを察したのか、ティアラが動いた。さりげなく魔の印を結ぶ。あまりの自然さに誰もが反応できなかった。描かれているのは、装置のものと同じ魔方陣。呼応して仕掛けが回り出す。根元に口をあけた柱になにか黒いものが放り込まれ、そして、同じように闇の霧が溢れ出した。

「この装置は、暴走してたんじゃない」
水中を浮き上る気泡のようにリンが呟く。現に響いた声によって四人は確信を分かち合う。あれは、元から魔物を生み出すために作られた装置なのだ。

 造られたのは怪鳥をかたどった大きな魔物。獣型も飛び出して四人を取り囲む。かかってくる圧は先程とは比べ物にならない。肌にびりびりと走る感覚がひっきりなしに警告してくる。敵は本物だと。いつも以上だと。

 仲間たちが身構える中、ウィリアムはぞくぞくと背を打つ熱気にただ震えていた。
(これだ)
 今なら。この状況なら、全力で戦える。燻っているものをすべて放ってぶつけられる。いつのまにか最前線に立って、女の囁きを聞いた。
「あら、楽しそうじゃない」
 自分のことだとすぐに悟った。そうだ。いま自分は、笑っている。

 がちゃり。
 思い至ったその瞬間、胸の奥で錠が外れた。
 扉が開く。押し込んでいたものが瞬く間に爆ぜる。魔力が漲る。それまで敵を見据えていた「自分」が、闇に引きずり込まれて沈んでいく。力の波が世界を覆っていく心地よさに身を任せ、何も見えなくなり――やがて意識は閉ざされていった。

「ウィリアム……?」
 その変貌を目にした仲間の声は、もう彼には聞こえない。
 覚醒した力が彼の身体を満たす。何度も窮地を救ってきた謎の力。だが、これまでとは何かが違う。
「この、力は」
 眠る力を覚醒させた少年を目の当たりにして、ティアラが初めて表情を崩した。
 少年の髪は藍の面影をなくすばかりか燃えたつように逆立つ。敵を見据える表情には色も熱もない。双眸にも感情はなく、真紅に染められた瞳は爛々と煌々と輝いて――牙を剥く魔物のそれとよく似ていた。
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