[5]善か悪か、敵か味方か
――単独任務当日。木々に埋もれるようにして、森の奥にそれはあった。
「ここがヴェノモーヴ研究所、で、いいのか」
大きな建物だったが、あちらこちらがすっかり綻びている。人の手が関わらなかったからか、魔物のせいなのか。辛うじて、看板の字は読み取ることができた。
「ええ、ここで合ってるわ。ティアラって人が所長だったみたい」
「魔物どころか、何もいなさそうだけど」
などと零しながらも、ユンはユンで張り切って、ぴょんぴょんと跳ねている。一方、ジェシカは用心深く様子を伺い、リンはというと怪訝にウィリアムを振り返る。
「本当に大丈夫なの? どこもおかしくない?」
「平気だよ。行こうぜ!」
本当はどこかがおかしかったのかもしれない。うるさいほどの鼓動が肉体を急かす。一刻も早く、腰の剣を――腕を振るいたくてたまらない。誰よりも早く駆けて、軋む扉を押し開けた。
――戦え。戦え。その力を目覚めさせろ。
頭の奥で響くその言葉が、どうしてかウィリアムを捕らえて放さなかった。
◆◇◆
四人を迎えた部屋が、呼応して白く照らされる。
「勝手に明るくなった! すごーい」
広がる光景は、討伐隊では見ることのないものだった。散りばめられた未知が視界をくすぐる。
「見て見て、これなんだろう?」
「言われてみれば、見たこともないものばっかりね」
研究所の構内には他にも似たような装置が並べられていた。ガラス管と紐で作られたものがその多くを占めている。少なくとも討伐隊では見たことがない、目的も仕組みもわからない研究道具たち。あるいは、これら自体が研究対象なのか。その意味が見えてこないのはこれらが自分たちの遥か先を行く存在だからだ。
「こんなにすごい施設が、どうして捨てられてしまったんだろう」
リンが疑問を零すのも、ユンが浮き足立つのも尤もだった。見たことのないものばかりが溢れている。
(これだけの技術が、何故今まで知られていなかったのかしら)
隠されていたのか、あるいは忘れられたのか、認められなかったのか。ジェシカもいくつか仮説を立ててはみたが、考えたところでどうにもならなかった。
そんな様子を気にも留めず、ウィリアムは先に進む。今の彼にとっては、知らない器具も技術もただの背景にすぎなかった。力を奮うべき相手がいないなら等しく無意味だ。
――戦いたい。頭の声は、いつのまにか心の声になっていた。
「行こうぜ。次の部屋からも気配はしない」
苛立ちを込めて体重をぶつけると、重い扉はあっけなく開いた。
待ち構えていたのはひときわ広い実験室だった。角には書類の山ができている。部屋全体が先ほどの装置のようで、中心にそびえる柱を中心に、壁には巨大なガラス管が並んでいた。透明な液体で満たされている、その中に浮かんでいるものは――。
その正体が見えたとき、血の気が引いた。
「う、腕……?」
人間の、二の腕から先。生の色を失いただのモノと化したそれを視界に認めることができず思わず目を背ける。
「なんだよ、この部屋……!」
腕に限らず、そこには身体の一部が閉じ込められていた。足、指、眼球、恐らく臓器であろうもの――。ご丁寧に、一つの空間に一つずつ保管されている。
異様な状態にそれぞれが困惑する中、リンだけが最初の「それ」と相対し続けていた。魅入られたわけではない。もがくことも許されないほどがっしりと捕えられていたのだ。
「人体、実験……」
声に漏らした事実が、唇の隙間から入り込む。堪えた吐き気が頭蓋に回って、脳内のありとあらゆる配線を引っ掻き回した。このままではいけない。本能的にすべてを抑え込んで、リンは自らを律する。
(だめだ。しっかりしなきゃ)
こっそり術を発動させ、袖から溢れる緑色の光を全身に染み渡らせる。馴染みの治癒術は外傷向きで、この手の異常にはそれほど効き目がない。そんなことはとっくに知っていたが、今は膝を折っていられる状況ではないのだ。幸い、まだ誰にも気づかれてはいない。なんとか身体を支え、仲間が見る先に目を凝らした。いやな予感がする。
あの虫唾が走る壁から逸らした視線は、自然と場の中枢に集まっていた。部屋全体を支えるようにそびえ立つ大きな柱。天井へと線や紐が伸びているさまは柱というよりは大樹のようだ。よく見ると、外面には光る模様が刻まれている。規則的に装置を飾るその線は、確かな意味を持っていた。
「これ、魔法陣になってるわ」
「なんのための道具なんだろうね」
だが、自分たちにはその意味を理解できない。
きらり。ふいに、天井に光が走った。張り巡らされた魔法陣が輝き火花を散らす。四人の思考を遮り、辺りを眩しく照らした。
「な、何が起きたんだ?」
記された術に力がうねり、見覚えのある黒い霧を放つ。霧――魔力の塊が凶暴な獣を形成するまで、そう長くはかからなかった。
「魔物がうようよいるって、そういうこと」
真っ先にユンが事態をつかんだ。これこそが、と討伐隊の勘が告げている。
「装置が暴走して、なんでか魔物が出てきてたんだな」
「きっとここが棄てられたのもそれが原因ね。これじゃあ、実験どころじゃないもの!」
覚悟はずっとできていた。標的がこちらを向くのと同時に、それぞれ武器を構える。
「任務開始だ。行くぜ!」