[5]善か悪か、敵か味方か
「ウィリアム、大丈夫だった? 何か妙なこととかなかった?」
結局、一行は基地へ戻る坂を上っていた。単独任務の準備は果たせなかったが、状況はそれどころではなかった。
「戦えるし、たぶん大丈夫だろ。助けてくれてありがとな」
「当たり前よ、無事でよかったわ」
受け取った鍵がいつも通り胸元で揺れる。太陽の残滓を受けて光る片翼のそれを見て、ようやく夢から覚めた気がした。
「でもどうして、あんなとこに閉じ込められてたの?」
「マルクに会って、斬りかかってから何も覚えてねえんだ」
ユンの問いかけに頭を抱えながら答える。要するに、あの男にしてやられたのだ。最初から自分を捕えるために動いていたに違いない。
「そっちこそ、よく助けに来れたな」
「ああ、それね。貴方が下町に行ったところまではルビウスが教えてくれたのよ」
言われるがまま探しに向かったはいいが、そのとき既にウィリアムの姿はなかった。三人を導いたのは――。
「あとは偶然なの」
下町を手分けして探したときに、道に迷ったユンが怪しげな洞穴を見つけたという。合図を見て集合した三人は、魔力を辿って奥まで辿り着いたのだ。
「あの子が方向音痴じゃなかったらどうなっていたことか」
えへへ、とユンが笑いピンクのリボンが揺れる。一方で、リンは赤いフードで表情を隠すように俯いていた。
「本当にどうなっていたんだろう。洞穴の魔法陣、今まで見たことがなかったんだ。何かを企んでいたとしたら……」
「企んでるだろうね。マルクがキミを狙ったってことは、キミが特別だってことかもしれない。どうしてかはわかんないけど」
一転して真剣な顔になったユンだったが、彼女が当然返ってくると思っていた次なる疑問を誰かが発することはなかった。いったい何を思い出したのか、当事者であるウィリアムが黙りこんでいたからだ。
硬くて苦いものを何度も飲み込もうとするような、難しい顔。地面を――恐らくはそれより下にある何かを見つめる目の奥は、まっくろに凍りついていた。痛いほど握りしめた拳を震わせて、
「言ってたんだ。あいつ」
一度零してしまうと、もう吐き出すしかなかった。
「討伐隊の人を、ころしたって。魔物をつかって、何人も」
何回も見てきた忌むべき笑顔で。
「聞いたら、いてもたってもいられなくなって。頭がごちゃごちゃしてきて、訳が分からなくて」
それから誰もが言葉を失った。ざくざくと草を踏む音だけが薄闇に続く。
流れていく風景が見慣れたものになる頃、重苦しい決意がゆっくりと、しかし確実に沈黙を破った。リンの声だった。
「やっぱり、彼らを止めないと。何がしたいのかはわからないけれど、酷いことをしているのは確かなんだ」
木々を揺らす風を受けて、治癒術師のローブが揺らぐ。足取りは遅くとも、深緑の瞳は誰より前を向いている。リンの横顔に迷いはなく、こちらもなにかを言わなければならない気がしたのだった。
「けどあいつ、いつも突然消えちまうよな」
「あれは転移魔法よ。発動を阻止さえできれば捕まえられるのに、一体どうやって……」
景色に溶けていく姿を思い出し、ジェシカは唇を噛んだ。描かれた魔方陣を破ってしまえばどんな術でも不発に終わる。だが彼が消えていく直前まで肝心の印が見当たらないのだ。並大抵の人間では、それが転移魔法であることすら気がつかないだろう。
「わからないことだらけだな」
敵のことも、自分のことも。ため息をついたウィリアムのもとに蘇るのは、裕福な暴漢とシェリーの声なき悲鳴、そしてちぎれそうなほどの痛みだった。あのとき、銀髪の少女が助けに来てくれなければ――。
(死んでたかもしれない)
マルクの操る魔物に蹂躙された者たちは、あれ以上の苦しみを味わったのだろうか。自らの無力さを噛みしめたまま。
少女が割り込んできてからの記憶は、思い返してもまだ形にならない。彼女のぶつけてきたなにもかも貫いて進む正義は、姿ごとジェシカに重なった。今だって同じだ。仲間が来なかったら、きっと命の保証はなかった。
(助けられっぱなしじゃ、いられないな)
思い直したそのとき。
――戦え。
ウィリアムは胸の奥から響く言葉を聞いた。自分にしか聞こえていない、知らない声。時折こちらに呼びかけてくるあの鍵の声ではない。
思い直して、顔を上げた。太陽が残した光は少しずつ薄れていき、木々の立ち並ぶ山道も夜の闇に沈みつつあった。凶暴であるという夜の魔物に行き合わぬよう、四人は上り坂を足早に行く。肩で息をしながらリンは俯いた。
「……ねえ、こんなことになったけれど、研究所には行くの……?」
「ああ、予定通り明日行く。オレならなんともないよ、それより急ごうぜ」
でも、と引き留める会話を振り切って、ウィリアムは基地を目指すべく地を蹴った。
「あっ、待ってよー!」
――戦え。
謎の声の言う通り、激しい戦闘を繰り広げればよかったのだろうか。マルクを逃がしたくはなかった。あの男が自分にそうしたように、一撃で相手の意識を奪ってしまえば。身の内に眠る魔力――扉を開くあの力を覚醒させれば、可能だったかもしれない。もしくは、ジェシカを中心に繰り広げた連携の輪に、自分も入ることができていたら。
(そうだ。オレ、あの場所で……戦いたかったんだ)
飛ぶように流れる風景の合間に、ぼんやりとそんなことが浮かんだ。有り余った力はウィリアムをぐんぐん加速させる。熱いものがぐるぐると廻っていく。
そうして彼は走る。またしても仲間を置き去りにしてしまったことにも、今まさに燻っている力こそが異常であることにも――何一つとして気づかぬまま。
結局、一行は基地へ戻る坂を上っていた。単独任務の準備は果たせなかったが、状況はそれどころではなかった。
「戦えるし、たぶん大丈夫だろ。助けてくれてありがとな」
「当たり前よ、無事でよかったわ」
受け取った鍵がいつも通り胸元で揺れる。太陽の残滓を受けて光る片翼のそれを見て、ようやく夢から覚めた気がした。
「でもどうして、あんなとこに閉じ込められてたの?」
「マルクに会って、斬りかかってから何も覚えてねえんだ」
ユンの問いかけに頭を抱えながら答える。要するに、あの男にしてやられたのだ。最初から自分を捕えるために動いていたに違いない。
「そっちこそ、よく助けに来れたな」
「ああ、それね。貴方が下町に行ったところまではルビウスが教えてくれたのよ」
言われるがまま探しに向かったはいいが、そのとき既にウィリアムの姿はなかった。三人を導いたのは――。
「あとは偶然なの」
下町を手分けして探したときに、道に迷ったユンが怪しげな洞穴を見つけたという。合図を見て集合した三人は、魔力を辿って奥まで辿り着いたのだ。
「あの子が方向音痴じゃなかったらどうなっていたことか」
えへへ、とユンが笑いピンクのリボンが揺れる。一方で、リンは赤いフードで表情を隠すように俯いていた。
「本当にどうなっていたんだろう。洞穴の魔法陣、今まで見たことがなかったんだ。何かを企んでいたとしたら……」
「企んでるだろうね。マルクがキミを狙ったってことは、キミが特別だってことかもしれない。どうしてかはわかんないけど」
一転して真剣な顔になったユンだったが、彼女が当然返ってくると思っていた次なる疑問を誰かが発することはなかった。いったい何を思い出したのか、当事者であるウィリアムが黙りこんでいたからだ。
硬くて苦いものを何度も飲み込もうとするような、難しい顔。地面を――恐らくはそれより下にある何かを見つめる目の奥は、まっくろに凍りついていた。痛いほど握りしめた拳を震わせて、
「言ってたんだ。あいつ」
一度零してしまうと、もう吐き出すしかなかった。
「討伐隊の人を、ころしたって。魔物をつかって、何人も」
何回も見てきた忌むべき笑顔で。
「聞いたら、いてもたってもいられなくなって。頭がごちゃごちゃしてきて、訳が分からなくて」
それから誰もが言葉を失った。ざくざくと草を踏む音だけが薄闇に続く。
流れていく風景が見慣れたものになる頃、重苦しい決意がゆっくりと、しかし確実に沈黙を破った。リンの声だった。
「やっぱり、彼らを止めないと。何がしたいのかはわからないけれど、酷いことをしているのは確かなんだ」
木々を揺らす風を受けて、治癒術師のローブが揺らぐ。足取りは遅くとも、深緑の瞳は誰より前を向いている。リンの横顔に迷いはなく、こちらもなにかを言わなければならない気がしたのだった。
「けどあいつ、いつも突然消えちまうよな」
「あれは転移魔法よ。発動を阻止さえできれば捕まえられるのに、一体どうやって……」
景色に溶けていく姿を思い出し、ジェシカは唇を噛んだ。描かれた魔方陣を破ってしまえばどんな術でも不発に終わる。だが彼が消えていく直前まで肝心の印が見当たらないのだ。並大抵の人間では、それが転移魔法であることすら気がつかないだろう。
「わからないことだらけだな」
敵のことも、自分のことも。ため息をついたウィリアムのもとに蘇るのは、裕福な暴漢とシェリーの声なき悲鳴、そしてちぎれそうなほどの痛みだった。あのとき、銀髪の少女が助けに来てくれなければ――。
(死んでたかもしれない)
マルクの操る魔物に蹂躙された者たちは、あれ以上の苦しみを味わったのだろうか。自らの無力さを噛みしめたまま。
少女が割り込んできてからの記憶は、思い返してもまだ形にならない。彼女のぶつけてきたなにもかも貫いて進む正義は、姿ごとジェシカに重なった。今だって同じだ。仲間が来なかったら、きっと命の保証はなかった。
(助けられっぱなしじゃ、いられないな)
思い直したそのとき。
――戦え。
ウィリアムは胸の奥から響く言葉を聞いた。自分にしか聞こえていない、知らない声。時折こちらに呼びかけてくるあの鍵の声ではない。
思い直して、顔を上げた。太陽が残した光は少しずつ薄れていき、木々の立ち並ぶ山道も夜の闇に沈みつつあった。凶暴であるという夜の魔物に行き合わぬよう、四人は上り坂を足早に行く。肩で息をしながらリンは俯いた。
「……ねえ、こんなことになったけれど、研究所には行くの……?」
「ああ、予定通り明日行く。オレならなんともないよ、それより急ごうぜ」
でも、と引き留める会話を振り切って、ウィリアムは基地を目指すべく地を蹴った。
「あっ、待ってよー!」
――戦え。
謎の声の言う通り、激しい戦闘を繰り広げればよかったのだろうか。マルクを逃がしたくはなかった。あの男が自分にそうしたように、一撃で相手の意識を奪ってしまえば。身の内に眠る魔力――扉を開くあの力を覚醒させれば、可能だったかもしれない。もしくは、ジェシカを中心に繰り広げた連携の輪に、自分も入ることができていたら。
(そうだ。オレ、あの場所で……戦いたかったんだ)
飛ぶように流れる風景の合間に、ぼんやりとそんなことが浮かんだ。有り余った力はウィリアムをぐんぐん加速させる。熱いものがぐるぐると廻っていく。
そうして彼は走る。またしても仲間を置き去りにしてしまったことにも、今まさに燻っている力こそが異常であることにも――何一つとして気づかぬまま。