[5]善か悪か、敵か味方か
討伐隊基地である屋敷は小高い山の上に立っている。下町とはその山を下りたところにある商店街の呼び名だ。ユンやジェシカが行ったという話は聞いたが、こうして実際に来てみるのは初めてだった。
「よっ、兄ちゃん。派手な頭してるねえ」
うろついていると、出店に立つ中年の男に声をかけられた。
「その年で剣を持ってるってこたあ討伐隊だな。いつもご苦労さん」
「こっちでは魔物は出ないのか?」
「たまに見るんだが、いつも山に行っちまう。かえってこっちは安全なのさ」
山、といえば討伐隊基地だ。本当に、あの場所に魔物が集まっている。だとしたらルビウスが言うような秘密があるのかもしれない。
「そうだったのか、でも気をつけてな」
手を振って出店の男と別れる。藍色に紫、根元から違う二色の髪。やはりウィリアムは目立つらしく、何度か似たようなやり取りを繰り返した。長居してはいるはずだが、目的は達成されそうもなかった。
(でも準備って何をしたら)
ひととおり見て回ったはいいものの、店が多すぎてさっぱりわからない。戦いに備えるのだから武器を新調でもすればよいのだろうか。とはいえ武器屋も多く、すべて回るだけで一苦労だろう。
(みんなと一緒に来ればよかった)
後悔先に立たず。せめて知っている影がいないかと辺りを見回す。そのとき、思いもよらない姿が目に留まった。
まず気がついたのは橙の髪。簡素な布を身にまとい、身軽な服装をした若い男。赤い帯を巻いた額がこちらに向けられる。
「マルク!」
正解だとでも言うように男は振り返り、手招きをした。追わねば。考える前に足が地を蹴る。道を行く人々が驚き振り返るが、止まるわけにはいかない。あの男は敵。それも誰かを傷つけて愉悦に浸るような人物なのだ。
(安心しきってる街の人の前に、魔物を呼び出されたりなんかしたら……!)
大男をかたどったあの異形は、ウィリアム一人の力ではどうにもならないだろう。その脅威はオーブリで一度経験していた。シオンの言った通りあれがマルクの手先だとしたら、やはり村を支えていた術書を奪ったのも――。
想像と共に吐息が弾む。夢中で駆けるうちに、街から離れ人気のない荒地に辿り着いた。岩場に長い影が二つ。ようやく立ち止まった男はあの歪んだ笑みでウィリアムを迎える。目に誘われて少年は口火を切った。
「お前がなんでこんなところにいるんだ」
「遊びに来たんだよ」
「ふざけるな。討伐隊に用があるんだろ」
言われてマルクは乾いた笑いを漏らした。否定がないことをみてウィリアムは追撃する。
「人型の魔物はオーブリのときと同じだった。お前が操ってたんだろ」
「はは、だからどうしたっていうんだよ」
怪しさを保ったまま、相手は手を広げてあっさり認めた。からっとした風が足元を渦巻く。
「じゃあやっぱり、オーブリの治癒術を盗んだのも……!」
「治癒術? なんだそれ」
「とぼけるなよ」
嘘をついているのか本音なのか、マルクはきょとんと首をかしげる。
「とぼけちゃいない。ドロボーする暇があればお前らを一人でも消し炭にするさ」
蛇が這う。首元に牙を感じて後ずさろうとしたが、ぬかるみに嵌ったように足が動かない。獲物を見定めるまなざしが目の前にある。何か寒いものが、背中を駆け上っていった。
先刻の討伐が浮かんだ。魔物の爪、飛び散った血、ドロシーが受けた傷。もしあの一撃が首をとらえていたら。もたらされた想像はゆらりゆらめく炎のように、ぞっと冷えた意識を集めていく。ふたりを取りまく糸が最大限に張りつめたとき、マルクは――
「九人」
――仕掛けた。
「何が、だよ」
「俺様の魔物が殺した討伐隊の人数さ。民間人も含めればもっといる」
息が止まる。飾らない表現がウィリアムを突き刺した。口の中がひどく乾いていて干上がったようだ。歪んだ笑みに釘づけになる。
「なぁに驚いてんだよ、全員がお前らみたく魔物を倒せるわけじゃないだろ」
流しこまれてくる冷えきった何かを、されるがままに飲み込むことしかできない。
「知るはずないよな。ぬるい戦いを続けてたウラで、痛い痛いって死んでった奴がいるなんて。知りたくないよな、認めたくないよな」
目の前にレールを敷かれている。この男の言葉を聞いてはいけない。鼓動が警鐘を打ち鳴らす――もう遅い。
「けど事実だ。認めろ」
突きつけられた途端、頭の中で何かが爆ぜた。扉の向こうから漏れ出るなにかはもう歯止めがきかない。惑う少年の目が赤く染まりかけているのを見てとり、マルクはにやりとほくそ笑んだ。
「お前……!」
ぐちゃぐちゃに乱されたこころは、やがて抑えきれないところまで上り詰めた。錠はほころび、封じていたものが溢れ出す。剣を抜く。構える。駆け出す。――斬る!
「無謀だねェ」
切っ先を向けられてなお彼は笑い、次にウィリアムの視界から消え去った。行き場を失った刃がぐらつく。直後、どすり。腹に重い衝撃が走る。それが敵の一撃だと気づいたときにはもう視界が霞んでいた。
「オレは、お前と遊びに来たんだよ」
耳がとらえた戯言を最後に、意識は暗闇の底へと落ちていった。
◇◆◇
シュバルトとの相談には思ったより時間がかかった。単独任務の決行は明日。だとしたら。
「今日はゆっくり休まないとね。……あれ?」
会議室に戻ったが、未だウィリアムの姿はない。
「どうしたんだろ?」
魔物退治は早ければ早いほどいい。隊長代理によると、出発を明日の朝にしようと提案したのは他でもないウィリアムだという。だが、肝心の彼はどこにもいない。
「部屋にもいなかったよ。何をやっているんだろう」
中心にいた少年の不在は、三人しかいない会議室に奇妙な空気を醸し出していた。
「いやな予感がする」
ぽつり。突き落とすようにユンは零した。今までも、突き進むウィリアムには置いてけぼりにされている。帰りを待ったことも何度もあった。けれど。空の端は少しずつ深い赤へと染められていく。窓から入り込む風も夜の冷たさを帯びてきた。
そんな中、光るものを見つけたのはリンだった。
「ウィリアム、鍵を忘れてる……」
片翼の装飾を施された黄金の鍵。いつも彼の胸にあるはずのそれがテーブルに放置されていた。ウィリアムが頼みにしてきたものが、今は彼の手元にないのだ。
「やっぱり心配だわ。探しに行きましょう」
ここにいない仲間を思って三人は互いに頷き合う。置き去りにされた鍵は、傾いた日の光を受けて鈍くぎらついていた。
「よっ、兄ちゃん。派手な頭してるねえ」
うろついていると、出店に立つ中年の男に声をかけられた。
「その年で剣を持ってるってこたあ討伐隊だな。いつもご苦労さん」
「こっちでは魔物は出ないのか?」
「たまに見るんだが、いつも山に行っちまう。かえってこっちは安全なのさ」
山、といえば討伐隊基地だ。本当に、あの場所に魔物が集まっている。だとしたらルビウスが言うような秘密があるのかもしれない。
「そうだったのか、でも気をつけてな」
手を振って出店の男と別れる。藍色に紫、根元から違う二色の髪。やはりウィリアムは目立つらしく、何度か似たようなやり取りを繰り返した。長居してはいるはずだが、目的は達成されそうもなかった。
(でも準備って何をしたら)
ひととおり見て回ったはいいものの、店が多すぎてさっぱりわからない。戦いに備えるのだから武器を新調でもすればよいのだろうか。とはいえ武器屋も多く、すべて回るだけで一苦労だろう。
(みんなと一緒に来ればよかった)
後悔先に立たず。せめて知っている影がいないかと辺りを見回す。そのとき、思いもよらない姿が目に留まった。
まず気がついたのは橙の髪。簡素な布を身にまとい、身軽な服装をした若い男。赤い帯を巻いた額がこちらに向けられる。
「マルク!」
正解だとでも言うように男は振り返り、手招きをした。追わねば。考える前に足が地を蹴る。道を行く人々が驚き振り返るが、止まるわけにはいかない。あの男は敵。それも誰かを傷つけて愉悦に浸るような人物なのだ。
(安心しきってる街の人の前に、魔物を呼び出されたりなんかしたら……!)
大男をかたどったあの異形は、ウィリアム一人の力ではどうにもならないだろう。その脅威はオーブリで一度経験していた。シオンの言った通りあれがマルクの手先だとしたら、やはり村を支えていた術書を奪ったのも――。
想像と共に吐息が弾む。夢中で駆けるうちに、街から離れ人気のない荒地に辿り着いた。岩場に長い影が二つ。ようやく立ち止まった男はあの歪んだ笑みでウィリアムを迎える。目に誘われて少年は口火を切った。
「お前がなんでこんなところにいるんだ」
「遊びに来たんだよ」
「ふざけるな。討伐隊に用があるんだろ」
言われてマルクは乾いた笑いを漏らした。否定がないことをみてウィリアムは追撃する。
「人型の魔物はオーブリのときと同じだった。お前が操ってたんだろ」
「はは、だからどうしたっていうんだよ」
怪しさを保ったまま、相手は手を広げてあっさり認めた。からっとした風が足元を渦巻く。
「じゃあやっぱり、オーブリの治癒術を盗んだのも……!」
「治癒術? なんだそれ」
「とぼけるなよ」
嘘をついているのか本音なのか、マルクはきょとんと首をかしげる。
「とぼけちゃいない。ドロボーする暇があればお前らを一人でも消し炭にするさ」
蛇が這う。首元に牙を感じて後ずさろうとしたが、ぬかるみに嵌ったように足が動かない。獲物を見定めるまなざしが目の前にある。何か寒いものが、背中を駆け上っていった。
先刻の討伐が浮かんだ。魔物の爪、飛び散った血、ドロシーが受けた傷。もしあの一撃が首をとらえていたら。もたらされた想像はゆらりゆらめく炎のように、ぞっと冷えた意識を集めていく。ふたりを取りまく糸が最大限に張りつめたとき、マルクは――
「九人」
――仕掛けた。
「何が、だよ」
「俺様の魔物が殺した討伐隊の人数さ。民間人も含めればもっといる」
息が止まる。飾らない表現がウィリアムを突き刺した。口の中がひどく乾いていて干上がったようだ。歪んだ笑みに釘づけになる。
「なぁに驚いてんだよ、全員がお前らみたく魔物を倒せるわけじゃないだろ」
流しこまれてくる冷えきった何かを、されるがままに飲み込むことしかできない。
「知るはずないよな。ぬるい戦いを続けてたウラで、痛い痛いって死んでった奴がいるなんて。知りたくないよな、認めたくないよな」
目の前にレールを敷かれている。この男の言葉を聞いてはいけない。鼓動が警鐘を打ち鳴らす――もう遅い。
「けど事実だ。認めろ」
突きつけられた途端、頭の中で何かが爆ぜた。扉の向こうから漏れ出るなにかはもう歯止めがきかない。惑う少年の目が赤く染まりかけているのを見てとり、マルクはにやりとほくそ笑んだ。
「お前……!」
ぐちゃぐちゃに乱されたこころは、やがて抑えきれないところまで上り詰めた。錠はほころび、封じていたものが溢れ出す。剣を抜く。構える。駆け出す。――斬る!
「無謀だねェ」
切っ先を向けられてなお彼は笑い、次にウィリアムの視界から消え去った。行き場を失った刃がぐらつく。直後、どすり。腹に重い衝撃が走る。それが敵の一撃だと気づいたときにはもう視界が霞んでいた。
「オレは、お前と遊びに来たんだよ」
耳がとらえた戯言を最後に、意識は暗闇の底へと落ちていった。
◇◆◇
シュバルトとの相談には思ったより時間がかかった。単独任務の決行は明日。だとしたら。
「今日はゆっくり休まないとね。……あれ?」
会議室に戻ったが、未だウィリアムの姿はない。
「どうしたんだろ?」
魔物退治は早ければ早いほどいい。隊長代理によると、出発を明日の朝にしようと提案したのは他でもないウィリアムだという。だが、肝心の彼はどこにもいない。
「部屋にもいなかったよ。何をやっているんだろう」
中心にいた少年の不在は、三人しかいない会議室に奇妙な空気を醸し出していた。
「いやな予感がする」
ぽつり。突き落とすようにユンは零した。今までも、突き進むウィリアムには置いてけぼりにされている。帰りを待ったことも何度もあった。けれど。空の端は少しずつ深い赤へと染められていく。窓から入り込む風も夜の冷たさを帯びてきた。
そんな中、光るものを見つけたのはリンだった。
「ウィリアム、鍵を忘れてる……」
片翼の装飾を施された黄金の鍵。いつも彼の胸にあるはずのそれがテーブルに放置されていた。ウィリアムが頼みにしてきたものが、今は彼の手元にないのだ。
「やっぱり心配だわ。探しに行きましょう」
ここにいない仲間を思って三人は互いに頷き合う。置き去りにされた鍵は、傾いた日の光を受けて鈍くぎらついていた。