[5]善か悪か、敵か味方か
会議室。ユンの明るい笑い声、アイスのためにリンが握ったスプーンの煌めき、ジェシカが嗜む紅茶のさわやかな香り。そんなものが討伐を終えた三番隊の日常風景となっていた。――のだが、いまいち物足りない。
「今日のウィリアム、なんか静かだよね」
本来一番騒がしい人物は、虚空を見つめたまま黙ったままだ。彼は、彼一人にしか理解の及ばない領域まで沈み込んでいた。
(いちいち寝なくても、今なら思い出せるんじゃないか?)
未だ繋がらない記憶をひとかけらでも刻み込みたかった。眠りに落ちるまで待ちきれないのだ。鍵を通した紐を首から外した。片翼をかたどった打開の象徴を握りしめると、ひやりとした感触が伝わってくる。
(教えてくれ。いまオレは、何を取り戻したんだ)
瞼を閉じると、闇が少年をとりまく。ぬるい空気も話し声も紅茶の香りもぜんぶ途切れて、時間の狭間に呑み込まれた。
重い瞼を開く。
「よかった! 気づいたのね……!」
大粒の涙が、赤く張り裂けそうにきらきらと光っている。濡れた瞳は、自分を見下ろすシェリーのものだった。
「あれ、オレ、は」
シェリーの話によると、知らない大人が結局倒れてしまったウィリアムを助けてくれたようなのだ。
「へいき? どこも、いたくない?」
無垢な問いには、ああ、と返事をしたような気がする。それよりもシェリーが泣いていることの方が気がかりだった。
「ほんとうによかった……! もう、ひとりにしないでね」
彼女はぐずぐずに崩れた声で、何度も何度も誰かの名前を、きっとウィリアムの本当の名前を呼んでいた。けれどその固有名詞だけが、靄がかかったようにかき消されていく。
「置いてかないで」
いたいけなシェリーの言葉が、今度ははっきりと胸を突く。その瞬間、ウィリアムの心はまるごと彼女のものだった。
「ぜったいよ!」
まだ目に涙を浮かべたまま、それでも約束のためにシェリーは笑っていたのだ。
「おーい! 聞いてるの?」
開いた目に映ったのは、頬を膨らませたユンの姿。ここは基地の会議室で、相変わらず紅茶は香り立っていて、仲間たちはこちらを見ている。
「どうしたんだよ、いきなり」
「どうしたんだはボクのせりふだよ! さっきからずっと呼んでるのに」
「ごめん、聞こえてなかった。欠片の中身を思い出してて」
脳裏に残る少女にまだ引き摺られている。あれはかつての記憶で、今ここにある風景ではないのに。
「だ、大丈夫? ちゃんと見えた?」
「ああ」
リンの問いかけに宛てた返事はぼやけて響く。まだ、上の空だった。
――おいていかないで。ひとりにしないで。
あちらでは思い出の少女が訴えかけてくる。こちらでは仲間たちが覗き込んでくる。回想を見て、現実を見て、開け放たれた錠がひとつ。
彼女はどこへ行った?
(なんで、いまシェリーはオレのそばにいないんだ)
気づいてしまえば、鎖のようにつながって次々に引き出されてくる。そもそもかつて自分がいたところを、どうして離れてしまったのか。記憶をなくしてから、どうして一人で戦っていたのか。故郷であるはずのあの場所は、どうなったのだ?
膨れ上がっていく謎は、感情になるまえに身体を突き動かす。
「いかなきゃ」
音をたてて立ち上がり前を向くと、窓越しに在りし日の少女が見えた。視線は頭の奥から突き抜けて追憶へ飛んでいく。
「シェリーに、会いに行かなきゃ」
彼女のもとへ行かなければ。隣にいなければ。今もどこかで、泣いているかもしれない少女の傍に。そのためにも戦って戦って戦って、手掛かりを集めて――。
「ウィリアム、落ち着いて。ええと、シュバルトさんとの話はどうなったの?」
そう、彼は三番隊のリーダーとして隊長代理から連絡を受け取っているはずだった。ユンも最初はその件を聞いていた。目の前に迫ることへの問いは、彼をいつもの立ち位置まで呼び戻す。
「そうだった! 大事なこと言われてたんだった」
大事なこと? 顔を見合わせる三人のようすに急かされて、躊躇いも前置きも吹き飛んだ。
「オレたち三番隊で、単独任務に行ってほしいって」
――三番隊で、単独任務。
「すごーい!」
真っ先に跳び上がったのはユンだった。
「単独任務って、ボクら四人だけで特別に動くんだよね? 頼まれるようになったんだ! それで、一体どんなことすればいいの?」
「下町からだいぶ南に、研究所があるらしいんだ。今は使われてなくて、人の代わりに魔物がたくさんいる。それで、オレたちがそこに行ってなんとかするって」
ウィリアムの答えになるほどとジェシカが頷く。彼女の目もまた輝いていた。
「任せられたってことは、私たちも認められているのね。任務の内容、シュバルトさんに、詳しく聞きに行ってもいいかしら」
「いいと思うよ! ボクも行く!」
「何か役に立てるかわからないけれど、僕もついていくね」
結局、四人全員が隊長代理のもとへ向かうことになった。ウィリアムは二つの部屋を往復することになるが、不満のひとつも漏らさない。そうなるまで彼はずっと、過去の自分や近い未来について考えていたからだ。
「今日のウィリアム、なんか静かだよね」
本来一番騒がしい人物は、虚空を見つめたまま黙ったままだ。彼は、彼一人にしか理解の及ばない領域まで沈み込んでいた。
(いちいち寝なくても、今なら思い出せるんじゃないか?)
未だ繋がらない記憶をひとかけらでも刻み込みたかった。眠りに落ちるまで待ちきれないのだ。鍵を通した紐を首から外した。片翼をかたどった打開の象徴を握りしめると、ひやりとした感触が伝わってくる。
(教えてくれ。いまオレは、何を取り戻したんだ)
瞼を閉じると、闇が少年をとりまく。ぬるい空気も話し声も紅茶の香りもぜんぶ途切れて、時間の狭間に呑み込まれた。
重い瞼を開く。
「よかった! 気づいたのね……!」
大粒の涙が、赤く張り裂けそうにきらきらと光っている。濡れた瞳は、自分を見下ろすシェリーのものだった。
「あれ、オレ、は」
シェリーの話によると、知らない大人が結局倒れてしまったウィリアムを助けてくれたようなのだ。
「へいき? どこも、いたくない?」
無垢な問いには、ああ、と返事をしたような気がする。それよりもシェリーが泣いていることの方が気がかりだった。
「ほんとうによかった……! もう、ひとりにしないでね」
彼女はぐずぐずに崩れた声で、何度も何度も誰かの名前を、きっとウィリアムの本当の名前を呼んでいた。けれどその固有名詞だけが、靄がかかったようにかき消されていく。
「置いてかないで」
いたいけなシェリーの言葉が、今度ははっきりと胸を突く。その瞬間、ウィリアムの心はまるごと彼女のものだった。
「ぜったいよ!」
まだ目に涙を浮かべたまま、それでも約束のためにシェリーは笑っていたのだ。
「おーい! 聞いてるの?」
開いた目に映ったのは、頬を膨らませたユンの姿。ここは基地の会議室で、相変わらず紅茶は香り立っていて、仲間たちはこちらを見ている。
「どうしたんだよ、いきなり」
「どうしたんだはボクのせりふだよ! さっきからずっと呼んでるのに」
「ごめん、聞こえてなかった。欠片の中身を思い出してて」
脳裏に残る少女にまだ引き摺られている。あれはかつての記憶で、今ここにある風景ではないのに。
「だ、大丈夫? ちゃんと見えた?」
「ああ」
リンの問いかけに宛てた返事はぼやけて響く。まだ、上の空だった。
――おいていかないで。ひとりにしないで。
あちらでは思い出の少女が訴えかけてくる。こちらでは仲間たちが覗き込んでくる。回想を見て、現実を見て、開け放たれた錠がひとつ。
彼女はどこへ行った?
(なんで、いまシェリーはオレのそばにいないんだ)
気づいてしまえば、鎖のようにつながって次々に引き出されてくる。そもそもかつて自分がいたところを、どうして離れてしまったのか。記憶をなくしてから、どうして一人で戦っていたのか。故郷であるはずのあの場所は、どうなったのだ?
膨れ上がっていく謎は、感情になるまえに身体を突き動かす。
「いかなきゃ」
音をたてて立ち上がり前を向くと、窓越しに在りし日の少女が見えた。視線は頭の奥から突き抜けて追憶へ飛んでいく。
「シェリーに、会いに行かなきゃ」
彼女のもとへ行かなければ。隣にいなければ。今もどこかで、泣いているかもしれない少女の傍に。そのためにも戦って戦って戦って、手掛かりを集めて――。
「ウィリアム、落ち着いて。ええと、シュバルトさんとの話はどうなったの?」
そう、彼は三番隊のリーダーとして隊長代理から連絡を受け取っているはずだった。ユンも最初はその件を聞いていた。目の前に迫ることへの問いは、彼をいつもの立ち位置まで呼び戻す。
「そうだった! 大事なこと言われてたんだった」
大事なこと? 顔を見合わせる三人のようすに急かされて、躊躇いも前置きも吹き飛んだ。
「オレたち三番隊で、単独任務に行ってほしいって」
――三番隊で、単独任務。
「すごーい!」
真っ先に跳び上がったのはユンだった。
「単独任務って、ボクら四人だけで特別に動くんだよね? 頼まれるようになったんだ! それで、一体どんなことすればいいの?」
「下町からだいぶ南に、研究所があるらしいんだ。今は使われてなくて、人の代わりに魔物がたくさんいる。それで、オレたちがそこに行ってなんとかするって」
ウィリアムの答えになるほどとジェシカが頷く。彼女の目もまた輝いていた。
「任せられたってことは、私たちも認められているのね。任務の内容、シュバルトさんに、詳しく聞きに行ってもいいかしら」
「いいと思うよ! ボクも行く!」
「何か役に立てるかわからないけれど、僕もついていくね」
結局、四人全員が隊長代理のもとへ向かうことになった。ウィリアムは二つの部屋を往復することになるが、不満のひとつも漏らさない。そうなるまで彼はずっと、過去の自分や近い未来について考えていたからだ。