[5]善か悪か、敵か味方か

 討伐隊基地周辺には、絶えず魔物が蠢いている。今のところは結界や守護魔法のおかげで抑えられているが、増えすぎた魔物たちはいつ下町に流れ出すかもわからない。基地を守るための戦いは、討伐隊にとっての主要任務だ。
「前に二体、空から三体来るわ! ウィリアムとユンは地上の敵をお願い!」
「飛んでる奴らは?」
「任せて!」
 声と同時に、白い矢が空間を裂いた。三発的中。ジェシカによって翼を撃ち抜かれた敵は音を立てて地に落ちた。すぐさまウィリアムが攻勢に移る。
「負けてられないな!」
 雷を纏った刃が、這いつくばる敵を引き裂いていく。圧倒的な効率。このまま全ての魔物を倒してしまえるような気さえした。だからといって、気を緩めるほど甘くはない。

「これで今来たのは全部倒したかな。欠片は僕が集めておくね」
「オレも手伝うよ」
「大丈夫だよ。ウィリアムは休んでいて」
 やるって、いいよ、と押し問答が続く。お互いを思いやった結果が噛み合っていないのだ。

そのとき、だれか別の声が遮った。
「三番隊か。今日もなかよしこよしだな」
 いかにも魔法使いというあの帽子。自信に満ちた語り口。ドロシーだ! 
「あんたたちがいるなら他をあたろうかな。被らないほうがいいだろ」
 一度はすれ違おうとした彼女だったが、未だ白い弓が残るジェシカの手元に目を止めた。何かを言おうとして、口ごもる。
「ところで、その、あのさ。えっと、なんというか」
 ドロシーがここまで言いよどむのは珍しい。そこでウィリアムははたと思い出す。そういえばドロシーは、もともとシルヴィに会いたがっていた。本題を前にして何度も口を噤む彼女に、一同は首をかしげる。やがて耐えかね、あるいは覚悟を決め、ドロシーは地面に問いかけた。
「あたしのこと、覚えてるか?」
 誰の目を見ていたわけでもなかったが、相手がジェシカであることは明らかだ。ユンはふたりを漆黒の瞳に映し、やがて頷いた。
「やっぱいいんだ、なんでもないよ! 昔ちょっかい入れてただけの困った子供さ。覚えてなくたっていい」
 立て板に水。こなれた早口で勢いに任せて押し流そうと言葉を並べてる。
「あたしだって同じだもの! 髪も切ったし名前も変えた。帽子だって昔はかぶっちゃいなかった。わかんないのも無理は――」
 途切れた声。割り込んできた黒いなにか。赤い液体が飛び散った。鉄の匂いがする。

「このッ……!」
 急降下してきた鳥の魔物。ドロシーに直撃した鋭い爪が、ぎらり、つややかに光る。
(気配が、なかった……?)
 慌てていた彼女だけでなく、その場にいた誰もが襲いくる凶刃に気がつかなかったのだ。続く一撃を身をひねって逸らす。
「ちっ、すばしっこい奴!」
 応戦しようとしたドロシーだったが、魔法では敵に追いつかない。なりふり構わずウィリアムは前に出る。
「速攻で決める!」
 まだ残っていた雷の気配が剣の軌跡にひらめく。駆け出して、敵の首を一閃! それで全てが片付いた。
「すごーい! ウィリアム、強くなったよね!」
 ユンのちゃちな拍手に、素朴な音が混ざる。こぼれ落ちた欠片。輝きが響く。地面をこするように拾い上げると、それは探し物である証拠に手に馴染んだ。
「これはオレのでいいよな」
 答えも聞かず銀の欠片を左手で取り込む。返事や反応はない――それどころではなかったのだ。
「ドロシー、あなた、血が……!」

 突進してきた魔物の爪は彼女のこめかみを切り裂いていた。頭の傷口をおさえる指の間から、だくだくと血が溢れて止まらない。
「大したことないさ。あたしとしたことが、あんたらなんかに気を取られるなんて」

 痛いだろうに余裕を繕ってみせる、そんなドロシーに赤いローブの少年がおずおずと歩み寄る。
「僕でよかったら治療できるけど、治癒術は大丈夫かな」
「い、いいよそんなの」
 ドロシーとしては、同志ながらも競争相手でもある三番隊に頼りたくはなかった。そもそもひとの好意に甘えるなんて「らしくない」のだ。三角帽子に一歩引かれて、リンは目で追いすがった。彼にも治癒術師の意地がある。
「でも、やっぱり傷は治した方が」
「いいってば!」
 ぱしん。伸ばした手を跳ね除けられるまま、リンはその場に座り込む。地面に吸われるようだった。
「僕なんかじゃ、やっぱり力になれないよね」
 リンは自分のこととなるといつもこうだ。本気で俯いているのでドロシーはぎょっとした。
「ああもう、そういう意味じゃない! さっさと治してよ! もういいよ!」
 投げやり気味な答えは、それでもイエスに変わりはない。リンの頬は、それを聞くなり太陽に照らされたようにぱあっとほどけていった。
「よかった。じゃあ、じっとしててね」
揺れる袖。光を帯びる魔方陣の刺繍。治癒術を発動させるや否や、リンの顔つきは憂いの振れ幅をなくした。まっすぐに目的だけを見ている深緑。まじまじと無遠慮なのは、それだけ彼が真剣に向き合っているからだ。治すべき傷と。ドロシーと。時を忘れるほどに、彼女は森の静けさを封じ込めた水晶に見入っていた。

「治ったはずだよ。ほら、女の子の顔に傷なんてない方がいいよ」
 まだ吸い込まれているようで、ドロシーはしばらくぼうっとしていた。何の反応も示さない相手に、リンの顔つきが曇っていく。
「だ、駄目だった、かな?」
 見慣れた弱気が瞳に影をさす。もちろん駄目ではない。いつもなら間を持たせる会話なんて滝のように溢れてくるはずなのに、その憎まれ口に戸が立ってうまく動かない。結果、素直に告げるしかなくなった。
「いや、えっと……ありが、とう」
 慣れない単語に、僅かに頬を染めて。
「どういたしまして」

 二人の暖かいやりとりは場の空気を和ませていた。それに気づいて、当のドロシーはぶんぶんと首を振る。
「って、あああ! 何やってんだ、あたしは!」
「あっ、待ってよ……、行っちゃった」
 ここであった出来事をかき消すように嵐のような勢いで走っていってしまう。見送る暇もなく消えていった後ろ姿に、ジェシカは思い出を重ねてみた。
 ――こわいなら助けてって言ってみなよ!
「うふふ」
思い当たる影がひとつ。ぶっきらぼうで悪戯ばかりして、でもきっと仲良くなりたいと思ってくれていた。そんな少女がかつてシルヴィの近くにいた。
「きっと彼女は、素直になれないだけの女の子なのよ」
 いきいきと目が輝くのが自分でもわかった。いつもは武器を取り戦っている隊員たちは、そうでなければ息をしている人間なのだ。だからこそ、力が湧いてくる。
「さて、そろそろ私たちも行きましょうか」
 この手に力があるならば、戦うのみだ。
3/16ページ