[5]善か悪か、敵か味方か
噂をすればなんとやら。隊長代理のもとへと向かう廊下で、ウィリアムはまさにその相手を見つけた。無機のように整った顔立ち、溶かせない黄金の瞳。鼓動が止まりかけた。
「あれ、シオンじゃないか……?」
隣のユンも頷いたのだから、見間違いではない。こちらに向かって歩いてきている。声をかけても名前を呼んでみても、彼はただ歩を進めるだけ。気づいていないはずがない。それなのに、いつかの呆れた一瞥さえも届けてくれない。胸に刺さった棘から、じんわり冷たいものが染み込んで動けなくなる。なんでだよ。今すぐにでも無理やりにでも掴んで問い質したい。彼の抱えるものを、言葉の意味を、何もかも総てを!
「ウィリアム、ちょっと先にシュウさんに会ってきて!」
どしん。ずいぶんと乱暴に背中を押され、ウィリアムはようやく我に返る。
「お願いね!」
落ち着け、あるいは切り替えろ、ということなのだろうか。どちらにせよ、ユンに背を向けられてしまった以上は言われた通りにするしかなかった。
さて。ウィリアムに用事を任せ、ユンは本来の目的に向き直る。
「やあ」
呼び止められ、シオンは訝しげに振り向いた。うるさく騒いでいたウィリアムの代わりに、彼よりずいぶんと小柄な少女が挑戦を投げつけている。
「ウィリアムのこと、嫌いなの?」
「お前に話す道理はない」
「たしかにそうだね」
相手がウィリアムならばとっくに返している踵を、ユンは視線だけで引き留めていた。薄く息を吸う。風がはずむ。少女はねえ、と切り出した。
「キミが戦ってるのって、キミのためじゃないよね?」
瞬間、その場に漂うすべてが醒めきった。空間はひび割れて、廊下であることを忘れてしまった。ユンの問いがつくり上げた、意味を剥がされたせかい。すっと引き絞られる黄金がかたどるのは、切っ先を向けられたときの表情。ぎりぎりぎり。答えることなくシオンは伺う。
「何が言いたい」
問い返すシオンの動きを、ユンは睫毛から指先に至るまでただじっくりと見ていた。少女から目を逸らせなかったことも。なにもかもすべてを。
「言いたいっていうか、確かめたいんだ。キミがほんとうに、ボクの思う通りのキミか、ってこと」
さやさや。風は葉を泳がせて尚おさまらない。散りばめられた手掛かりを吹き集めながら、靡くものかと抗う楔をいたずらに抜いてしまいたいのだ。
近づかせないように一歩下がるのは、受け入れたくない証。貫こうとするほど睨みつけたその鋭さも、底知れない昏さをはらんだユンのひとみに吸い込まれてしまう。
「お前は、『何』だ?」
あくまで崩そうとしない結び目の奥で、うつくしい少年はたしかに揺れた。そのわずかなブレを、張り巡らされた根はとらえる。
「見てわからない? ボクは見てわかったのに。キミのこと」
「わざわざ聞きにくるほどならどうして見せない。お前にも――」
カラカラカラ、カーン。
即座に斬り返そうとした彼の声に、鐘の音が被さる。シオンを遮ったそれは、出動の合図。
「また討伐か。このへんの魔物って、ほんとにいなくならないよね」
くるり、跳ねるように背を向ける。じゃあね、と手を振り残してそのまま討伐へ。わざとゆっくり歩いてみたが、追ってくる言葉はなかった。立ち消えになった反撃を、噛み砕いて繰り返す。
(なんで見せない、だって? キミが見てないだけでしょ。それに)
根が土から養分を吸い取るように、少女は少年の裏側を読み取っていた。
(ずっと黙ってるってことは、知られちゃ相当マズいんだろうな)
取り繕っていた鋭さの、端にちらりと見えたもの。「何か」を押し隠しているのは、決意や覚悟に似て固く、開かれることのない扉。閉ざしたものの奥に潜むのは、僅かな――。
拾い集めた断片から、ユンは答えを見出した。黒髪が翻る。
(やっぱり鍵を握ってるのは、あいつだね)
逆方向に去っていく彼の背を、一度だけ振り返る。駆け出した足取りが遠ざかっていく。確信を得た少女の唇は、薄い笑みを描いていた。
「あれ、シオンじゃないか……?」
隣のユンも頷いたのだから、見間違いではない。こちらに向かって歩いてきている。声をかけても名前を呼んでみても、彼はただ歩を進めるだけ。気づいていないはずがない。それなのに、いつかの呆れた一瞥さえも届けてくれない。胸に刺さった棘から、じんわり冷たいものが染み込んで動けなくなる。なんでだよ。今すぐにでも無理やりにでも掴んで問い質したい。彼の抱えるものを、言葉の意味を、何もかも総てを!
「ウィリアム、ちょっと先にシュウさんに会ってきて!」
どしん。ずいぶんと乱暴に背中を押され、ウィリアムはようやく我に返る。
「お願いね!」
落ち着け、あるいは切り替えろ、ということなのだろうか。どちらにせよ、ユンに背を向けられてしまった以上は言われた通りにするしかなかった。
さて。ウィリアムに用事を任せ、ユンは本来の目的に向き直る。
「やあ」
呼び止められ、シオンは訝しげに振り向いた。うるさく騒いでいたウィリアムの代わりに、彼よりずいぶんと小柄な少女が挑戦を投げつけている。
「ウィリアムのこと、嫌いなの?」
「お前に話す道理はない」
「たしかにそうだね」
相手がウィリアムならばとっくに返している踵を、ユンは視線だけで引き留めていた。薄く息を吸う。風がはずむ。少女はねえ、と切り出した。
「キミが戦ってるのって、キミのためじゃないよね?」
瞬間、その場に漂うすべてが醒めきった。空間はひび割れて、廊下であることを忘れてしまった。ユンの問いがつくり上げた、意味を剥がされたせかい。すっと引き絞られる黄金がかたどるのは、切っ先を向けられたときの表情。ぎりぎりぎり。答えることなくシオンは伺う。
「何が言いたい」
問い返すシオンの動きを、ユンは睫毛から指先に至るまでただじっくりと見ていた。少女から目を逸らせなかったことも。なにもかもすべてを。
「言いたいっていうか、確かめたいんだ。キミがほんとうに、ボクの思う通りのキミか、ってこと」
さやさや。風は葉を泳がせて尚おさまらない。散りばめられた手掛かりを吹き集めながら、靡くものかと抗う楔をいたずらに抜いてしまいたいのだ。
近づかせないように一歩下がるのは、受け入れたくない証。貫こうとするほど睨みつけたその鋭さも、底知れない昏さをはらんだユンのひとみに吸い込まれてしまう。
「お前は、『何』だ?」
あくまで崩そうとしない結び目の奥で、うつくしい少年はたしかに揺れた。そのわずかなブレを、張り巡らされた根はとらえる。
「見てわからない? ボクは見てわかったのに。キミのこと」
「わざわざ聞きにくるほどならどうして見せない。お前にも――」
カラカラカラ、カーン。
即座に斬り返そうとした彼の声に、鐘の音が被さる。シオンを遮ったそれは、出動の合図。
「また討伐か。このへんの魔物って、ほんとにいなくならないよね」
くるり、跳ねるように背を向ける。じゃあね、と手を振り残してそのまま討伐へ。わざとゆっくり歩いてみたが、追ってくる言葉はなかった。立ち消えになった反撃を、噛み砕いて繰り返す。
(なんで見せない、だって? キミが見てないだけでしょ。それに)
根が土から養分を吸い取るように、少女は少年の裏側を読み取っていた。
(ずっと黙ってるってことは、知られちゃ相当マズいんだろうな)
取り繕っていた鋭さの、端にちらりと見えたもの。「何か」を押し隠しているのは、決意や覚悟に似て固く、開かれることのない扉。閉ざしたものの奥に潜むのは、僅かな――。
拾い集めた断片から、ユンは答えを見出した。黒髪が翻る。
(やっぱり鍵を握ってるのは、あいつだね)
逆方向に去っていく彼の背を、一度だけ振り返る。駆け出した足取りが遠ざかっていく。確信を得た少女の唇は、薄い笑みを描いていた。