[4]トラスダンジュ
そんなこととは知らず、ウィリアムとリンはそろって頬杖をついていた。
「ユン、ジェシカに会えたかな……」
「道に迷ってないといいけど」
トラスダンジュは豪奢な街だ。滞在している宿屋は決して高級ではないが、その食堂にも、派手できらびやかな装飾が施されている。これでは逆に落ち着かない――といっても、気が休まらないのは、そのせいだけではない。
「天使だとか貴族だとか、わかんねぇよ、そんなこと」
仮に聞いたことがあったとして、ウィリアムはそれを覚えているだろうか。少なくとも、これまで見てきた過去に映ってはいなかった。
「なんて言ってやればよかったんだろうな」
「わからない。僕にはなにもできないから」
首を横に振ると、それきりリンは黙り込む。彼が言うように、ここで自分たちが何を言ってもどうにもならない。自分の身体を抱きしめて、必死に否定するさっきの姿があったとして――。
(ジェシカのあんなところ、初めて見た)
きっと彼女に頼り過ぎていた。何かを隠して気丈に振る舞う、そのそぶりには気づいていたのに。すべてを曝け出して、支え合う仲間でありたかったのに。
「よう、三番隊。しょぼくれてるな」
沈んだ二人を現実に引き戻したのは、事情に詳しいはずの魔法使いだった。
「ドロシー、戻ってきてよかったのか?」
「あたしがいたって、話がややこしくなるだけだ。ユン……だっけ、あの目、本気だった。本気でシルーー、ジェシカに確かめたいことがあるんだろ。その本気に任せた方がいい」
さっぱりした性質に、二人は助けられた。不安や緊張を洗い流す冷静さがそこにはある。彼女の言う通りかもしれない。ユンは普段から素直すぎる。その素直さが「本気」となって、彼女をジェシカのもとへ向かわせたのだろう。
「そうかも、しれないね」
「それじゃ、あたしは先に部屋に戻ってるよ。あいつのこと、うまくいくといいな」
二階への階段を上っていくドロシーの背中を見ながら、ウィリアムとリンは見つめ合った。軽い少女がいなくなった途端、あの重苦しさが戻ってきたのだ。
「うまくいく、って、どういうことなんだろうな……」
「ボクは、みんなが笑って帰れることだと思うよ」
「うわっ!?」
いかにも自然に会話に入ってきた彼女は、今ここにいるはずがない。
「ユン、なんでいきなりここに」
「なんでって、帰ってきたからだよ。ジェシカは先に部屋に行ってる。後で来るって」
うろたえる二人と対照的に彼女は普段通りで、逆にこわくなった。胸の奥に影が差す。
「いいのか、ジェシカは」
「大丈夫だと思うよ。でも……キミたちしだい?」
ますますこんがらがってわからない。ユンは続けた。
「ジェシカが何してたって、きっとボクらが一緒なら平気だ」
「でも、僕たちにできることなんて」
「ボクらでいること、だよ」
漫然と言い切るユンに、二人は目を丸くする。
そのタイミングで、ジェシカが二階から降りてきた。目が合うと、真っ先に頭を下げる。
「ごめんなさい。二人とも」
「大丈夫だよ。オレたちは仲間なんだからさ」
するりと出てきた言葉が、胸の奥にすとんと落ちていく。つまり、そういうことなのだ。
「事情なんて関係ないさ。オレなんて、話す事情もわからないしな!」
「それ、笑いごとじゃないんじゃ……」
これでいいと思えたのは、ジェシカがいつもより柔らかく目元を緩ませていたからだ。その裏にはきっと、彼女にしかない葛藤があるのだろう。けれど、交わす視線からなんとなく読み取れた。
(ユンは全部言ったんだろうな。オレたちが言えなかったことも)
息をつくと、やっと周囲が見えてきた。戻ってきたほかの隊員が、慌ただしく行き来している。思い出したのは、茫然自失のなか聞いた連絡だ。
「そういや、トラスダンジュの問題はなんとかなるらしいぜ。マルクの奴が入ってこないように、兵士も見張るし工夫もするって」
「よかった。もう街の人も安心なのね」
チームリーダーとして、そうシュバルトから告げられていた。トラスダンジュの魔物事件は解決した、が、それだけではない。
「ああ。これも拾ったしな」
ウィリアムの手の中には、銀の輝き。本日二個目の記憶の欠片。にかっと笑うと、手の中に吸収する。ほどけたしがらみの中、得たものも確かにあったのだ。
◆◇◆
早いもので、出発は翌朝のようだ。荷物をまとめるウィリアムに、リンが声をかける。
「そういえばウィリアム、魔物のときの怪我とか、大丈夫? 治した方がいいかな」
あれだけ激しい戦闘でも、目立つほどの負傷はなかった。それだけ仲間に守られていたのだが。
「それどころじゃなかったしな。頼むよ」
「じゃあ、ちょっと見せてもらうね」
長い袖の紋章を光らせて、散らばった傷を拾うように治していく。そんな中、ある一点が目についた。
「あれ……?」
ひとつだけ、異質な赤い線が残っていた。作り物のように正確な真一文字。魔物がつけた傷では、こうはいかない。
「この傷……剣かなにかで切られた、の?」
「ああ、いやまあ、ちょっとな。これも治してもらっていいか?」
「う、うん、わかった」
あの傷だ。
ウィリアムの思考は回想の海に沈み、釈然としないままのリンを置いていった。治癒術特有の、じわりと沁みていく感覚にも気づかないほどに、深く深く突き落とされる。時間を巻き戻した瞼の裏に、黄金の瞳が映った。シオンに向けられた剣、飛び散った鮮血。
――お前に……なにが解る!
ひどく乾いた声が、ウィリアムの頭蓋でひっきりなしに反響する。
(オレは、何もわかってないんだ。自分のことも仲間のことも、あいつのことも)
トラスダンジュへの遠征は一瞬の嵐だった。重い真実を、乗り越えなければならない現実を、置いていっては去っていく。腕から消えたはずの切り傷は、まだずきずきと痛んでいた。
◆◆第四章 トラスダンジュ 完◆◆
「ユン、ジェシカに会えたかな……」
「道に迷ってないといいけど」
トラスダンジュは豪奢な街だ。滞在している宿屋は決して高級ではないが、その食堂にも、派手できらびやかな装飾が施されている。これでは逆に落ち着かない――といっても、気が休まらないのは、そのせいだけではない。
「天使だとか貴族だとか、わかんねぇよ、そんなこと」
仮に聞いたことがあったとして、ウィリアムはそれを覚えているだろうか。少なくとも、これまで見てきた過去に映ってはいなかった。
「なんて言ってやればよかったんだろうな」
「わからない。僕にはなにもできないから」
首を横に振ると、それきりリンは黙り込む。彼が言うように、ここで自分たちが何を言ってもどうにもならない。自分の身体を抱きしめて、必死に否定するさっきの姿があったとして――。
(ジェシカのあんなところ、初めて見た)
きっと彼女に頼り過ぎていた。何かを隠して気丈に振る舞う、そのそぶりには気づいていたのに。すべてを曝け出して、支え合う仲間でありたかったのに。
「よう、三番隊。しょぼくれてるな」
沈んだ二人を現実に引き戻したのは、事情に詳しいはずの魔法使いだった。
「ドロシー、戻ってきてよかったのか?」
「あたしがいたって、話がややこしくなるだけだ。ユン……だっけ、あの目、本気だった。本気でシルーー、ジェシカに確かめたいことがあるんだろ。その本気に任せた方がいい」
さっぱりした性質に、二人は助けられた。不安や緊張を洗い流す冷静さがそこにはある。彼女の言う通りかもしれない。ユンは普段から素直すぎる。その素直さが「本気」となって、彼女をジェシカのもとへ向かわせたのだろう。
「そうかも、しれないね」
「それじゃ、あたしは先に部屋に戻ってるよ。あいつのこと、うまくいくといいな」
二階への階段を上っていくドロシーの背中を見ながら、ウィリアムとリンは見つめ合った。軽い少女がいなくなった途端、あの重苦しさが戻ってきたのだ。
「うまくいく、って、どういうことなんだろうな……」
「ボクは、みんなが笑って帰れることだと思うよ」
「うわっ!?」
いかにも自然に会話に入ってきた彼女は、今ここにいるはずがない。
「ユン、なんでいきなりここに」
「なんでって、帰ってきたからだよ。ジェシカは先に部屋に行ってる。後で来るって」
うろたえる二人と対照的に彼女は普段通りで、逆にこわくなった。胸の奥に影が差す。
「いいのか、ジェシカは」
「大丈夫だと思うよ。でも……キミたちしだい?」
ますますこんがらがってわからない。ユンは続けた。
「ジェシカが何してたって、きっとボクらが一緒なら平気だ」
「でも、僕たちにできることなんて」
「ボクらでいること、だよ」
漫然と言い切るユンに、二人は目を丸くする。
そのタイミングで、ジェシカが二階から降りてきた。目が合うと、真っ先に頭を下げる。
「ごめんなさい。二人とも」
「大丈夫だよ。オレたちは仲間なんだからさ」
するりと出てきた言葉が、胸の奥にすとんと落ちていく。つまり、そういうことなのだ。
「事情なんて関係ないさ。オレなんて、話す事情もわからないしな!」
「それ、笑いごとじゃないんじゃ……」
これでいいと思えたのは、ジェシカがいつもより柔らかく目元を緩ませていたからだ。その裏にはきっと、彼女にしかない葛藤があるのだろう。けれど、交わす視線からなんとなく読み取れた。
(ユンは全部言ったんだろうな。オレたちが言えなかったことも)
息をつくと、やっと周囲が見えてきた。戻ってきたほかの隊員が、慌ただしく行き来している。思い出したのは、茫然自失のなか聞いた連絡だ。
「そういや、トラスダンジュの問題はなんとかなるらしいぜ。マルクの奴が入ってこないように、兵士も見張るし工夫もするって」
「よかった。もう街の人も安心なのね」
チームリーダーとして、そうシュバルトから告げられていた。トラスダンジュの魔物事件は解決した、が、それだけではない。
「ああ。これも拾ったしな」
ウィリアムの手の中には、銀の輝き。本日二個目の記憶の欠片。にかっと笑うと、手の中に吸収する。ほどけたしがらみの中、得たものも確かにあったのだ。
◆◇◆
早いもので、出発は翌朝のようだ。荷物をまとめるウィリアムに、リンが声をかける。
「そういえばウィリアム、魔物のときの怪我とか、大丈夫? 治した方がいいかな」
あれだけ激しい戦闘でも、目立つほどの負傷はなかった。それだけ仲間に守られていたのだが。
「それどころじゃなかったしな。頼むよ」
「じゃあ、ちょっと見せてもらうね」
長い袖の紋章を光らせて、散らばった傷を拾うように治していく。そんな中、ある一点が目についた。
「あれ……?」
ひとつだけ、異質な赤い線が残っていた。作り物のように正確な真一文字。魔物がつけた傷では、こうはいかない。
「この傷……剣かなにかで切られた、の?」
「ああ、いやまあ、ちょっとな。これも治してもらっていいか?」
「う、うん、わかった」
あの傷だ。
ウィリアムの思考は回想の海に沈み、釈然としないままのリンを置いていった。治癒術特有の、じわりと沁みていく感覚にも気づかないほどに、深く深く突き落とされる。時間を巻き戻した瞼の裏に、黄金の瞳が映った。シオンに向けられた剣、飛び散った鮮血。
――お前に……なにが解る!
ひどく乾いた声が、ウィリアムの頭蓋でひっきりなしに反響する。
(オレは、何もわかってないんだ。自分のことも仲間のことも、あいつのことも)
トラスダンジュへの遠征は一瞬の嵐だった。重い真実を、乗り越えなければならない現実を、置いていっては去っていく。腕から消えたはずの切り傷は、まだずきずきと痛んでいた。
◆◆第四章 トラスダンジュ 完◆◆