[4]トラスダンジュ
光の弓は、雫のようにはじけて消えた。いつのまにか魔物が尽きていて、真実は静寂に響く。ジェシカが、お嬢様?
「ちょ、ちょっと待てよ! お嬢様って、ドロシーの知り合いだっていう……?」
ウィリアムは思わず聞き返した。トラスダンジュで暮らしていた貴族のお嬢様。命を落としたはずの少女。それが、目の前にいる仲間だというのか。
「シルヴィお嬢様、なのですか?」
「ちがうわ」
否定する声は震えていた。ばつの悪そうに目を逸らすその仕草は、ジェシカではなく知らない誰かのようで、ウィリアムは息を呑んだ。
「違いません! あの矢はお嬢様の術です!」
後ずさるジェシカに、ケリーが食い下がる。
「こんなの、古代魔術を知っていれば誰でもできる。とにかく知らないわ。私はシルヴィじゃない!」
詭弁だ。誰もがそう気づいた。目を背けるのは、本物だからだ。隠すのは、誤魔化しようがないから。
「お嬢様、わかってください。私はただ、あなたにお会いしたかったのです。あの頃みたいに、一緒に時間を過ごしたいのです」
告げられて、ジェシカは何も言わずに目を伏せる。それが答えだ。言葉を介さなければ、もう彼女に嘘はつけない。見通すような瞳のユンが、恐れず問いかける。
「メイドさん。なんで、シルヴィは死んじゃったことになってたの?」
口ごもるケリーとは対照的に、解を示したのはあえて避けた当人だった。
「お父様の期待に応えられなかったから、傍に居られなくなった。それだけよ」
昼下がりの太陽が街を照らす。眩しい光は、ちっとも明るくなかった。捕まえた真実を攫うように、ジェシカは輝いた道を駆けて、白い道の向こうに消えていく。
「おとう、さま……?」
残されたユンの声はいやに空しく、純白の地に落ちる。途切れかけた痕跡をケリーがそっと拾い上げた。俯いたままだった。
「元々、シルヴィお嬢様には不思議な力があると言われてきたのです。伝承の通りの、天使の力が」
ケリーの口から明かされる過去は、ウィリアムには掬いきれなかった。トラスダンジュは天使の伝説を信じる街だ。貴族たちの生活に染み込んでいた、信仰。自分の知るはずもない世界に、ジェシカは生きていた。物語を紡ぐように告げられているのは、けれど、ほんとうのことだ。
「だから、旦那様――お嬢様のお父様は、お嬢様が天使になる、と信じていたのです。だからこそお嬢様は、特別に大切に育てられていました。力が目覚めると言い伝えられている、16歳の誕生日まで」
令嬢として、天使となる者としての教育が、聡明な戦友を形作っていた。ウィリアムは息を呑む。
「だから古代魔術なんて使えたのか」
伝承の力を持つ貴族の娘。そんな彼女だったら、途絶えた呪文を知っていても不自然ではない。きっと由緒正しい学者に教わっていたのだろう。すべては、天使となる日のために。
「ですが」
濁した言葉の先は、去っていく前、もうジェシカが零していた。
――期待に、応えられなかったから……。
「16歳の誕生日になっても、お嬢様には何も起こらなかった」
天使のものと呼ばれる魔力が彼女の元に訪れることはなく、リュミエーラ家は、天使の力を手に入れられなかったのだ。
「こうなっては、旦那様の立場がないのです。だから、お嬢様は人知れずこの街を去った。限られた人間だけの、秘密です。公的には、お嬢様は病気で亡くなられたことになった。中身のないお墓が、あるのです」
現実を突きつけられ、場は包み込むように静まった。が、静寂にとらわれるウィリアムではない。
「立場ってなんだよ。わざわざ死んだことにする必要なんて、なかったんじゃ」
「貴族だからだよ。守らなきゃいけない面子ってものが、エライひとにはあるのさ」
割り込んできたのは、ひょこりと揺れる三角帽子。ドロシーだ。いつの間にか戻ってきていたらしい。
「聞いていたの?」
リンに問いかけられ、一番隊の魔法使いはため息をつく。
「戦いの様子を見に来たんだけど、それどころじゃなさそうだ。……シルヴィが、まさかすぐそこにいたなんてね」
二人の間で、ケリーは目を白黒とさせている。
「それで、どうしてお嬢様が家を出なきゃいけないの?」
召使いに代わって、ユンの問いに答えたのはドロシーだ。躊躇いなく、あるいは吐き捨てるように。
「リュミエーラ家にとって、シルヴィの持つ価値は天使の力だけだったってことだろ」
貴族の街では、地位が全て。見かけどおりのきらびやかさは、その中にはないのだ。
「ジェシカが、お父さんの地位のための道具だっていうの?」
問われた方は、口を開かない。それでも、面差しを隠す帽子の鍔がすべてを告げていた。
「いやだよ」
ユンは気づけば地面を蹴っていた。目を見張る仲間たちも、もう気にしていられない。
「……そんなの、受け入れられるわけない!」
「ちょ、ちょっと待てよ! お嬢様って、ドロシーの知り合いだっていう……?」
ウィリアムは思わず聞き返した。トラスダンジュで暮らしていた貴族のお嬢様。命を落としたはずの少女。それが、目の前にいる仲間だというのか。
「シルヴィお嬢様、なのですか?」
「ちがうわ」
否定する声は震えていた。ばつの悪そうに目を逸らすその仕草は、ジェシカではなく知らない誰かのようで、ウィリアムは息を呑んだ。
「違いません! あの矢はお嬢様の術です!」
後ずさるジェシカに、ケリーが食い下がる。
「こんなの、古代魔術を知っていれば誰でもできる。とにかく知らないわ。私はシルヴィじゃない!」
詭弁だ。誰もがそう気づいた。目を背けるのは、本物だからだ。隠すのは、誤魔化しようがないから。
「お嬢様、わかってください。私はただ、あなたにお会いしたかったのです。あの頃みたいに、一緒に時間を過ごしたいのです」
告げられて、ジェシカは何も言わずに目を伏せる。それが答えだ。言葉を介さなければ、もう彼女に嘘はつけない。見通すような瞳のユンが、恐れず問いかける。
「メイドさん。なんで、シルヴィは死んじゃったことになってたの?」
口ごもるケリーとは対照的に、解を示したのはあえて避けた当人だった。
「お父様の期待に応えられなかったから、傍に居られなくなった。それだけよ」
昼下がりの太陽が街を照らす。眩しい光は、ちっとも明るくなかった。捕まえた真実を攫うように、ジェシカは輝いた道を駆けて、白い道の向こうに消えていく。
「おとう、さま……?」
残されたユンの声はいやに空しく、純白の地に落ちる。途切れかけた痕跡をケリーがそっと拾い上げた。俯いたままだった。
「元々、シルヴィお嬢様には不思議な力があると言われてきたのです。伝承の通りの、天使の力が」
ケリーの口から明かされる過去は、ウィリアムには掬いきれなかった。トラスダンジュは天使の伝説を信じる街だ。貴族たちの生活に染み込んでいた、信仰。自分の知るはずもない世界に、ジェシカは生きていた。物語を紡ぐように告げられているのは、けれど、ほんとうのことだ。
「だから、旦那様――お嬢様のお父様は、お嬢様が天使になる、と信じていたのです。だからこそお嬢様は、特別に大切に育てられていました。力が目覚めると言い伝えられている、16歳の誕生日まで」
令嬢として、天使となる者としての教育が、聡明な戦友を形作っていた。ウィリアムは息を呑む。
「だから古代魔術なんて使えたのか」
伝承の力を持つ貴族の娘。そんな彼女だったら、途絶えた呪文を知っていても不自然ではない。きっと由緒正しい学者に教わっていたのだろう。すべては、天使となる日のために。
「ですが」
濁した言葉の先は、去っていく前、もうジェシカが零していた。
――期待に、応えられなかったから……。
「16歳の誕生日になっても、お嬢様には何も起こらなかった」
天使のものと呼ばれる魔力が彼女の元に訪れることはなく、リュミエーラ家は、天使の力を手に入れられなかったのだ。
「こうなっては、旦那様の立場がないのです。だから、お嬢様は人知れずこの街を去った。限られた人間だけの、秘密です。公的には、お嬢様は病気で亡くなられたことになった。中身のないお墓が、あるのです」
現実を突きつけられ、場は包み込むように静まった。が、静寂にとらわれるウィリアムではない。
「立場ってなんだよ。わざわざ死んだことにする必要なんて、なかったんじゃ」
「貴族だからだよ。守らなきゃいけない面子ってものが、エライひとにはあるのさ」
割り込んできたのは、ひょこりと揺れる三角帽子。ドロシーだ。いつの間にか戻ってきていたらしい。
「聞いていたの?」
リンに問いかけられ、一番隊の魔法使いはため息をつく。
「戦いの様子を見に来たんだけど、それどころじゃなさそうだ。……シルヴィが、まさかすぐそこにいたなんてね」
二人の間で、ケリーは目を白黒とさせている。
「それで、どうしてお嬢様が家を出なきゃいけないの?」
召使いに代わって、ユンの問いに答えたのはドロシーだ。躊躇いなく、あるいは吐き捨てるように。
「リュミエーラ家にとって、シルヴィの持つ価値は天使の力だけだったってことだろ」
貴族の街では、地位が全て。見かけどおりのきらびやかさは、その中にはないのだ。
「ジェシカが、お父さんの地位のための道具だっていうの?」
問われた方は、口を開かない。それでも、面差しを隠す帽子の鍔がすべてを告げていた。
「いやだよ」
ユンは気づけば地面を蹴っていた。目を見張る仲間たちも、もう気にしていられない。
「……そんなの、受け入れられるわけない!」