[4]トラスダンジュ
日々鍛錬を積んでいるのだろう、トラスダンジュの兵士は文字通り魔物を薙ぎ倒していった。刃の音がやんだ頃、ウィリアムは銀の欠片を拾い上げる。
「呼び出された魔物からも、銀の欠片が出てきてるのか……?」
考え込んでいる間にも、敵の気配は消え、兵士たちは持ち場に戻っていく。と、ユンが遠くへ手を振った。そこにいたのは、三角帽子の少女。
「ドロシー! よかった、戻ってきてくれて」
「住民の避難は済んだけど、戦闘は終わったのか?」
「そうみたい。さっきのお家から、ずいぶん遠くまで来ちゃったね」
ドロシーが言葉を返す前に、ユンのやわらかな無邪気さが形を変えた。花から剣へ。
「もう一度、連れていってもらってもいい? 確かめたいことがあるの」
真剣な眼差しは、文字通り鋭く研磨された刃物のようだった。目に見えない気迫を認め、ドロシーは彼方を向く。あの屋敷の方角を。
「……わかった、ついてきな。あたしも、本当のことが知りたい」
二人はただならぬ雰囲気だった。ウィリアムが気後れしているうちに、そのまま背を向けて行ってしまう。
「お城?」
ぱたぱたと駆けていくユンの後ろ姿に、合流したばかりのジェシカが首をかしげる。
「さっきまで、ドロシーが貴族の街を案内してくれてたんだ。ほら、あの三角帽子の。そこで話し中に魔物が来て」
先ほどの会話は、やはり言いづらい内容だった。えーと、と口ごもったウィリアムに、リンが助け舟を出す。
「門のところにいた召使いさんと話してたから、その続きを聞きに行くんだと思う」
召使いさん? と、ジェシカが聞き返す。ウィリアムはユンの剣幕を思い出しながら、たどたどしく語った。
「妙な話だったんだよ。シルヴィっていうお嬢様が、亡くなったとか、ユンはそれが嘘だって言ってて……」
「シル、ヴィ」
その名を聞いて、ジェシカは目を見開いた。
「それを、どうしてあの二人が」
――お嬢様だという少女、その死が嘘である可能性、ユンの昏い瞳。すべてを照らし合わせて、ジェシカは気づいた。
「ごめんなさい。私、行かなきゃ!」
そのまま駆け出すと、ジェシカは本当に去ってしまった。先の二人が向かう、あの屋敷の方角へ。
取り残されたウィリアムとリンは、ただ茫然としていた。ここまで必死なジェシカを見たのは初めてだったのだ。
◆◇◆
ところ変わって、喫茶店。人々が行き交う大通りから少し離れた、落ち着いたところにある。栄えた街にしかない、賑わうための場所。リンは窓際の席に一人で座っていた。
というのも、しばらく二人で立ち尽くした後、ウィリアムが別の誰かを見つけ、追いかけていってしまったのだ。悪い、言わなきゃいけないことがあるんだ――と言い残し、同じように走り出して。そういうときに彼が目指しているものには大抵予想がついている。だから、リンが付いていく意味はない。シルヴィという令嬢のことも、ウィリアムが追いかける相手も、分け入るべきでない領域だと思っている。代わりに胸を占めるのは、終わったばかりの戦いだ。
(僕は本当に、みんなの力になれてたかな。誰かを守れたかな)
白くて丸い特製のアイスクリームを、何度も何度もスプーンでつつく。期待していたほど深くは刺さらない。ということは、まだ食べるには硬いのだ。やりきれない。
「スピネル……」
心の奥に隠し持っていたその名前は、リンの大事なお守りだった。弱い自分を支えてくれた、守り続けてくれた大切な人。
――大丈夫だよ。オレが守ってやる!
記憶の底から幾度も立ち上ってくる、歯を光らせた得意げな笑顔。さらりと靡く紅の髪。
しかし、その髪が思わせるのは、討伐隊の冷酷な天才だ。
――諦めな。人間なんてそんなもんさ。
ずっと悩んでいた。もしも彼が「彼」だったら。そう思ってしまうほど、ルビウスはかつての親友スピネルとよく似ているのだ。
頼みの面影が、攫われる。上書きされてしまう。
(違う。いつまで重ねてたって、仕方ない)
かちり。スプーンが皿を叩く。溶けかけたアイスが真っ二つに割れた。
(僕が追いかけたいのは、スピネルのほうだ。ルビウスみたいになっちゃいけない。僕は守るんだ)
そのままアイスを掬って口に運ぶ。リンにしては大きい一口だった。舌で潰すと、冷たさとほんのりした甘さがとろけ、暫しの幸福に頬を緩める。
窓の外、ある一点に目が留まったのはちょうどそのときだ。白、黒、フリル、あの特徴的な服をひらひらさせて走る、桜色の髪をした少女。
(さっきの家の……ケリーさん? 召使いとか給仕の人って、勝手に外に行ってもいいのかな)
貴族の豪華な家で働いているはずの彼女が、何故いまここに。素朴な疑問を――
「逃げろ!」
悲鳴が、轟音が切り裂いた。
「……まさか!」
こんな短期間で、魔物が再び? 漂う闇の気配が予感を確信に変えた。終わったと思ってはいけなかったのだ。トラスダンジュの魔物は外から襲ってきたのでなく、悪意ある者に呼び出されていたのだから。
「呼び出された魔物からも、銀の欠片が出てきてるのか……?」
考え込んでいる間にも、敵の気配は消え、兵士たちは持ち場に戻っていく。と、ユンが遠くへ手を振った。そこにいたのは、三角帽子の少女。
「ドロシー! よかった、戻ってきてくれて」
「住民の避難は済んだけど、戦闘は終わったのか?」
「そうみたい。さっきのお家から、ずいぶん遠くまで来ちゃったね」
ドロシーが言葉を返す前に、ユンのやわらかな無邪気さが形を変えた。花から剣へ。
「もう一度、連れていってもらってもいい? 確かめたいことがあるの」
真剣な眼差しは、文字通り鋭く研磨された刃物のようだった。目に見えない気迫を認め、ドロシーは彼方を向く。あの屋敷の方角を。
「……わかった、ついてきな。あたしも、本当のことが知りたい」
二人はただならぬ雰囲気だった。ウィリアムが気後れしているうちに、そのまま背を向けて行ってしまう。
「お城?」
ぱたぱたと駆けていくユンの後ろ姿に、合流したばかりのジェシカが首をかしげる。
「さっきまで、ドロシーが貴族の街を案内してくれてたんだ。ほら、あの三角帽子の。そこで話し中に魔物が来て」
先ほどの会話は、やはり言いづらい内容だった。えーと、と口ごもったウィリアムに、リンが助け舟を出す。
「門のところにいた召使いさんと話してたから、その続きを聞きに行くんだと思う」
召使いさん? と、ジェシカが聞き返す。ウィリアムはユンの剣幕を思い出しながら、たどたどしく語った。
「妙な話だったんだよ。シルヴィっていうお嬢様が、亡くなったとか、ユンはそれが嘘だって言ってて……」
「シル、ヴィ」
その名を聞いて、ジェシカは目を見開いた。
「それを、どうしてあの二人が」
――お嬢様だという少女、その死が嘘である可能性、ユンの昏い瞳。すべてを照らし合わせて、ジェシカは気づいた。
「ごめんなさい。私、行かなきゃ!」
そのまま駆け出すと、ジェシカは本当に去ってしまった。先の二人が向かう、あの屋敷の方角へ。
取り残されたウィリアムとリンは、ただ茫然としていた。ここまで必死なジェシカを見たのは初めてだったのだ。
◆◇◆
ところ変わって、喫茶店。人々が行き交う大通りから少し離れた、落ち着いたところにある。栄えた街にしかない、賑わうための場所。リンは窓際の席に一人で座っていた。
というのも、しばらく二人で立ち尽くした後、ウィリアムが別の誰かを見つけ、追いかけていってしまったのだ。悪い、言わなきゃいけないことがあるんだ――と言い残し、同じように走り出して。そういうときに彼が目指しているものには大抵予想がついている。だから、リンが付いていく意味はない。シルヴィという令嬢のことも、ウィリアムが追いかける相手も、分け入るべきでない領域だと思っている。代わりに胸を占めるのは、終わったばかりの戦いだ。
(僕は本当に、みんなの力になれてたかな。誰かを守れたかな)
白くて丸い特製のアイスクリームを、何度も何度もスプーンでつつく。期待していたほど深くは刺さらない。ということは、まだ食べるには硬いのだ。やりきれない。
「スピネル……」
心の奥に隠し持っていたその名前は、リンの大事なお守りだった。弱い自分を支えてくれた、守り続けてくれた大切な人。
――大丈夫だよ。オレが守ってやる!
記憶の底から幾度も立ち上ってくる、歯を光らせた得意げな笑顔。さらりと靡く紅の髪。
しかし、その髪が思わせるのは、討伐隊の冷酷な天才だ。
――諦めな。人間なんてそんなもんさ。
ずっと悩んでいた。もしも彼が「彼」だったら。そう思ってしまうほど、ルビウスはかつての親友スピネルとよく似ているのだ。
頼みの面影が、攫われる。上書きされてしまう。
(違う。いつまで重ねてたって、仕方ない)
かちり。スプーンが皿を叩く。溶けかけたアイスが真っ二つに割れた。
(僕が追いかけたいのは、スピネルのほうだ。ルビウスみたいになっちゃいけない。僕は守るんだ)
そのままアイスを掬って口に運ぶ。リンにしては大きい一口だった。舌で潰すと、冷たさとほんのりした甘さがとろけ、暫しの幸福に頬を緩める。
窓の外、ある一点に目が留まったのはちょうどそのときだ。白、黒、フリル、あの特徴的な服をひらひらさせて走る、桜色の髪をした少女。
(さっきの家の……ケリーさん? 召使いとか給仕の人って、勝手に外に行ってもいいのかな)
貴族の豪華な家で働いているはずの彼女が、何故いまここに。素朴な疑問を――
「逃げろ!」
悲鳴が、轟音が切り裂いた。
「……まさか!」
こんな短期間で、魔物が再び? 漂う闇の気配が予感を確信に変えた。終わったと思ってはいけなかったのだ。トラスダンジュの魔物は外から襲ってきたのでなく、悪意ある者に呼び出されていたのだから。