[4]トラスダンジュ
カノンが言ったとおり、休息によってリンは快方に向かっていた。安堵を見せる仲間たちとは対照的に、本人の表情は思わしくない。医務室に四人が集まると、リンは半身を起こしたまま俯いた。
「迷惑かけてごめん。やっぱり僕、だめだなあ」
「いや、オレたちが無理させたのがよくないんだ」
こんなやりとりを、もう何回も繰り返している。すっかり自信をなくしている――そこまではわかる。けれど、それをどうすればいいのか。悩みや迷いを掬い上げられるほどウィリアムは器用でない。いつだって手探りで本音を伝えるしかなかった。それだけでは彼を笑顔にできないと、わかっているのに。
「オーブリでテオやチカを助けられたのは、お前が頑張ってくれたおかげじゃないか」
「でもそのせいで、結局みんなに迷惑をかけてる。そういうのって、どっちかを犠牲にするみたいでいやなんだ」
――犠牲。そんなことを考えていたなんて。返す言葉を作ることができず、沈黙の幕をその場に下ろしてしまう。
胸の前で手を握り合わせたらしい、リンの長い袖が揺れる。
「ごめん、みんな。結局守られて、助けられてばかりだ。僕はみんなを守る人になりたいのに」
一瞬、深く沈んだ緑の瞳は、どこか遠くを映していた。踏み込むのをためらった隙に、リンは表情を作り直す。
「次の遠征までにはちゃんと、元気になるから。今度は気をつけるよ」
「そっか、遠征。……どこに行くんだっけか?」
三番隊は次回の遠征に派遣されると決まっている。そういえば、しっかりした連絡を聞きそびれていた。横からユンが補足する。
「トラスダンジュっていう大きな街だよ。ボク、行ったことあるんだけどね、とにかく白くてきれいな街なの」
目的地を指す固有名詞に反応したのは、もう一人の少女だった。いつもは凛とした声が、揺れる。
「トラスダンジュ……」
「ジェシカ、どうしたの?」
「なんでもないわ」
「……なあ、」
交わらない視線に凍えた傷跡のようなものを垣間見て、いてもたってもいられなくなった。リンを励ましたときと同じだ。繕った強さの綻びを、放っておけないのがウィリアムなのだ。
「大丈夫だ。オレも一緒に行くからさ」
「それはそうでしょう。シュバルトさんから三番隊も来るようにと言われている以上、私たちはみんな遠征に行くのよ」
ジェシカは仲間が手を伸ばした先に触れないまま、静かに、けれど早口で言葉を重ねる。
「とにかく、遠出になるなら準備しなきゃね。私、荷物をまとめてくるわ」
無理やり話をまとめると、彼女は足早に去ってしまった。消えていった背中を見つめたまま、ユンがぽつりと声を落とす。
「なんでもなくないよ。どうして、教えてくれないんだろう……」
そうだな、とウィリアムも零した。ユンの抱くやるせなさを、勝手に分かち合った気になっている。彼女は、自分は、不安を押し隠すジェシカに、安心を与えることができなかったのだ。
◇◆◇
トラスダンジュへの遠征、その当日。移動中の他愛のない会話でも、ジェシカはおかしな様子を見せなかった。むしろ妙だったのはユンの方で、しきりに隣の少女を気にしては視線をさまよわせていた。
オーブリへの行き来は移動魔法によるものだったが、それは特例だ。通常、討伐隊の長距離移動には、魔法で様々な細工をしてある特殊な馬車を用いる。想定より早く到着したのは、道が整備されていたからか。
トラスダンジュに着いて早々、ジェシカは宿の自室に籠ってしまった。魔物が現れるまで、魔導書の解読をしたいという。それが口実であるということを、ユンはとっくに見破っていた。
「いやなのに、無理して来てるんじゃないかって、心配なの。だからほんとは一緒にいたいんだけど……でも、いまのジェシカは、ひとりにしてほしいんだと思う」
そうか、と答えてウィリアムは首を振った。ユンの言う通りなら、無理に巻き込む必要もない。今は三人でいたほうがいいだろう。
気を取り直して振り向くと、栄えた都市の大通りがある。聞こえてくる話し声、途切れることなく行き交う人々。初めて見るほど活気のある街は、輝くほどに新鮮だった。
「それにしたって、こんな立派な街がどうして討伐隊を頼るんだ? 警備隊もいるって話じゃないか」
貴族の住む都市ともなると、オーブリのような兵力のない田舎町とは違う。これほどの街なら、魔物の襲撃に対しても自力で対処できるはず。しかし、シュバルトが請け負ったのは単なる魔物退治ではないらしい。
「それがね、街の中から魔物が出てくるみたいなんだ」
多くの都市がそうであるように、トラスダンジュは多くの兵力を街の防衛に充てて、魔物の侵入を防いでいる。しかし最近は、外壁は越えられていないのに、都市の中で魔物が暴れているという。今回討伐隊に依頼されたのは、その原因究明だ。
ユンの解説に、遠くを見てリンが俯いた。
「突然街中に魔物が現れるってことなんだ。……怖いね」
「じゃあ、待機のついでに見回りでもするか」
「見回りって……ウィリアム、トラスダンジュの道、わかるの?」
ユンの指摘で気がついた。ただでさえ知らない街なのに、見渡すと似たような外観の建物が並び立っている。迷っている間に魔物が現れたら、と考えると、無計画に歩き回るのは得策ではない。
宿を訪れた際に地図を読んではいたが、都市の造りそのものが複雑で、余所者にはわかりづらいというのが実情だった。となると、これからどうするか。途方に暮れていたとき。
「あれ、その二色頭」
と、知らない相手に声をかけられたのだった。
「迷惑かけてごめん。やっぱり僕、だめだなあ」
「いや、オレたちが無理させたのがよくないんだ」
こんなやりとりを、もう何回も繰り返している。すっかり自信をなくしている――そこまではわかる。けれど、それをどうすればいいのか。悩みや迷いを掬い上げられるほどウィリアムは器用でない。いつだって手探りで本音を伝えるしかなかった。それだけでは彼を笑顔にできないと、わかっているのに。
「オーブリでテオやチカを助けられたのは、お前が頑張ってくれたおかげじゃないか」
「でもそのせいで、結局みんなに迷惑をかけてる。そういうのって、どっちかを犠牲にするみたいでいやなんだ」
――犠牲。そんなことを考えていたなんて。返す言葉を作ることができず、沈黙の幕をその場に下ろしてしまう。
胸の前で手を握り合わせたらしい、リンの長い袖が揺れる。
「ごめん、みんな。結局守られて、助けられてばかりだ。僕はみんなを守る人になりたいのに」
一瞬、深く沈んだ緑の瞳は、どこか遠くを映していた。踏み込むのをためらった隙に、リンは表情を作り直す。
「次の遠征までにはちゃんと、元気になるから。今度は気をつけるよ」
「そっか、遠征。……どこに行くんだっけか?」
三番隊は次回の遠征に派遣されると決まっている。そういえば、しっかりした連絡を聞きそびれていた。横からユンが補足する。
「トラスダンジュっていう大きな街だよ。ボク、行ったことあるんだけどね、とにかく白くてきれいな街なの」
目的地を指す固有名詞に反応したのは、もう一人の少女だった。いつもは凛とした声が、揺れる。
「トラスダンジュ……」
「ジェシカ、どうしたの?」
「なんでもないわ」
「……なあ、」
交わらない視線に凍えた傷跡のようなものを垣間見て、いてもたってもいられなくなった。リンを励ましたときと同じだ。繕った強さの綻びを、放っておけないのがウィリアムなのだ。
「大丈夫だ。オレも一緒に行くからさ」
「それはそうでしょう。シュバルトさんから三番隊も来るようにと言われている以上、私たちはみんな遠征に行くのよ」
ジェシカは仲間が手を伸ばした先に触れないまま、静かに、けれど早口で言葉を重ねる。
「とにかく、遠出になるなら準備しなきゃね。私、荷物をまとめてくるわ」
無理やり話をまとめると、彼女は足早に去ってしまった。消えていった背中を見つめたまま、ユンがぽつりと声を落とす。
「なんでもなくないよ。どうして、教えてくれないんだろう……」
そうだな、とウィリアムも零した。ユンの抱くやるせなさを、勝手に分かち合った気になっている。彼女は、自分は、不安を押し隠すジェシカに、安心を与えることができなかったのだ。
◇◆◇
トラスダンジュへの遠征、その当日。移動中の他愛のない会話でも、ジェシカはおかしな様子を見せなかった。むしろ妙だったのはユンの方で、しきりに隣の少女を気にしては視線をさまよわせていた。
オーブリへの行き来は移動魔法によるものだったが、それは特例だ。通常、討伐隊の長距離移動には、魔法で様々な細工をしてある特殊な馬車を用いる。想定より早く到着したのは、道が整備されていたからか。
トラスダンジュに着いて早々、ジェシカは宿の自室に籠ってしまった。魔物が現れるまで、魔導書の解読をしたいという。それが口実であるということを、ユンはとっくに見破っていた。
「いやなのに、無理して来てるんじゃないかって、心配なの。だからほんとは一緒にいたいんだけど……でも、いまのジェシカは、ひとりにしてほしいんだと思う」
そうか、と答えてウィリアムは首を振った。ユンの言う通りなら、無理に巻き込む必要もない。今は三人でいたほうがいいだろう。
気を取り直して振り向くと、栄えた都市の大通りがある。聞こえてくる話し声、途切れることなく行き交う人々。初めて見るほど活気のある街は、輝くほどに新鮮だった。
「それにしたって、こんな立派な街がどうして討伐隊を頼るんだ? 警備隊もいるって話じゃないか」
貴族の住む都市ともなると、オーブリのような兵力のない田舎町とは違う。これほどの街なら、魔物の襲撃に対しても自力で対処できるはず。しかし、シュバルトが請け負ったのは単なる魔物退治ではないらしい。
「それがね、街の中から魔物が出てくるみたいなんだ」
多くの都市がそうであるように、トラスダンジュは多くの兵力を街の防衛に充てて、魔物の侵入を防いでいる。しかし最近は、外壁は越えられていないのに、都市の中で魔物が暴れているという。今回討伐隊に依頼されたのは、その原因究明だ。
ユンの解説に、遠くを見てリンが俯いた。
「突然街中に魔物が現れるってことなんだ。……怖いね」
「じゃあ、待機のついでに見回りでもするか」
「見回りって……ウィリアム、トラスダンジュの道、わかるの?」
ユンの指摘で気がついた。ただでさえ知らない街なのに、見渡すと似たような外観の建物が並び立っている。迷っている間に魔物が現れたら、と考えると、無計画に歩き回るのは得策ではない。
宿を訪れた際に地図を読んではいたが、都市の造りそのものが複雑で、余所者にはわかりづらいというのが実情だった。となると、これからどうするか。途方に暮れていたとき。
「あれ、その二色頭」
と、知らない相手に声をかけられたのだった。