[4]トラスダンジュ
どれだけ走ってきたのか、帽子の娘は肩で息をしていた。銀髪の少年を一瞥し、そして探し人に視線を戻す。
「ウィリアム、やっぱりひとりじゃなかったんだね。でもよかった、見つかって」
さっきまでの、切り取られた空間は霧散した。だからといって聞き捨てるはずはない。仲間に、なにがあったと言ったか。
「リンは、どうしたんだ。大丈夫なのか」
彼女の話によると。三番隊の常の居場所、四人のための会議室で、リンは突然意識を失ったらしい。
「いま、ジェシカが医務室に連れていったの。でも、まだどうなったのかわからなくて、それでボクがキミを呼びに行くことになって、」
吐き切るようなユンの説明が、突然途切れる。彼女がぐるりと向きを変えた、遅れてウィリアムも振り向く。闇色に染まる魔物の翼が見えた。そして、消えた。
「金眼の、鎖剣士……」
少女の声は事実だけを紡いで淡々と響く。現れた魔物の群れ、その先兵にシオンがいちはやく反応し、切り捨てたのだ。
「さっさと行けばいい。行くべきところがあるんだろう」
まるで、彼が手を貸してくれたような。錯覚かもしれない。それでも、胸の奥は勝手に暖まっていく。
「任せて、いいのか?」
「いちいち聞くな」
突き放す態度にちくりと刺されたが、拒絶を咎める暇はない。礼を言い、基地への道をまっすぐに走る。だからウィリアムは知らなかった。一度だけ振り返ったユンが、シオンの剣捌きに目を奪われていたことを。昏い目で彼を捉えていたことを。
◆◇◆
リンはベッドの中で静かに寝息を立てていた。ウィリアムを連れたユンの姿を見つけ、ジェシカは目元を緩ませる。
「よかった、合流できたのね。リンは落ち着いてるわ、とりあえず安心していいみたい」
医務室の奥、空いたベッドに腰を下ろすと、ウィリアムは顔を上げた。見知らぬ少女がこちらを見ていたからだ。金色の巻き毛が特徴的な、垂れ目の娘。年齢はウィリアムとそう変わらないだろう、討伐隊で最もよく見る年代だ。金髪の少女は口を開く。
「この子が倒れたのは、簡単に言うと魔力の消耗。つまりは、がんばりすぎ。命にも関わるんだから、注意しなきゃだめよ?」
のんびりとした口調に似合わぬ忠告。仲間の困惑を察し、ジェシカが紹介を添えてくれた。
「彼女は一番隊のカノンさん。偶然ここに来てたみたいで、いろいろ教えてくれたり、手伝ってくれたりしたの」
「魔力の消費は、結局のところちゃんと休まないと回復しないのよねえ。だから、疲労回復も、魔法を使いすぎないようにするのも、どっちも大事なの」
どうやら二人は打ち解けているようだ。少し会話をしてから、カノンは背伸びをした。
「チームメイトさんが合流したなら、もう心配はいらないかしら。それじゃあ、わたしは行くわ~。いまは眠っちゃっているけれど、リンくんにもよろしくね。くれぐれも、がんばりすぎには気をつけるのよ」
喋り方は穏やかだか、そこには一番隊という肩書きの重さを思わせる、独特の凄みがあった。けれど彼女の態度は、こちらを想ってのことなのだろう。彼女が医務室を去ると、ユンは素直に零した。
「いい人だったね」
「ああ見えて、魔物とは単独で戦える実力者なのよ。私たちとは違う戦い方をしてる。良くも悪くもね」
医務室にいた間、ジェシカはカノンの討伐隊としての姿を感じていたはずだ。自分たちとの実力の差も。
――魔物と単独で戦う。ウィリアムは、その光景を見たばかりだった。
「シオンの奴、大丈夫だったかな」
彼の実力なら問題はないだろう。けれどウィリアムの中で、何かがひっかかっている。
「シオンって、さっき一緒にいたあいつでいいんだよね」
いつのまにか、隣にユンが座っていた。目が合うと、彼女の黒い髪がさらりと流れる。
「金眼の鎖剣士……ちゃんと会ったの、初めてかも」
「そっか。見ただろ、シオンのやつ。本当に強いんだよ。強い、けど」
剣を振るう背を思い出す。どこか妙だった様子が気にかかる。あの場所に大事なものを置き忘れてしまったような、底知れない不安。
「ボク、あいつのこと好きじゃない」
――好きじゃ、ない?
まとまらなかった思考が一瞬にして醒めた。いつもと変わらない当然のような声色で、いま彼女は何を言った?
「どういうことだよ、それ」
好きや嫌いが言えるほど、二人の間に関わりは見えない。切り捨てるようにユンは続ける。
「確信はしてないけど、でも……たぶん好きじゃない」
言い切った瞳は、見たことのない影を帯びている。吸い込まれそうな深さと、突き刺さるような鋭さ。その目はきっと、この場にいないシオンを見ている。
あの時、ユンの声に遮られなければ、自分は彼に何と言っていただろう。明かされた鍵の真実についてか、それとも――。
聞けないまま、言えないままになってしまった言葉を想うと、ただただ歯痒かった。
「ウィリアム、やっぱりひとりじゃなかったんだね。でもよかった、見つかって」
さっきまでの、切り取られた空間は霧散した。だからといって聞き捨てるはずはない。仲間に、なにがあったと言ったか。
「リンは、どうしたんだ。大丈夫なのか」
彼女の話によると。三番隊の常の居場所、四人のための会議室で、リンは突然意識を失ったらしい。
「いま、ジェシカが医務室に連れていったの。でも、まだどうなったのかわからなくて、それでボクがキミを呼びに行くことになって、」
吐き切るようなユンの説明が、突然途切れる。彼女がぐるりと向きを変えた、遅れてウィリアムも振り向く。闇色に染まる魔物の翼が見えた。そして、消えた。
「金眼の、鎖剣士……」
少女の声は事実だけを紡いで淡々と響く。現れた魔物の群れ、その先兵にシオンがいちはやく反応し、切り捨てたのだ。
「さっさと行けばいい。行くべきところがあるんだろう」
まるで、彼が手を貸してくれたような。錯覚かもしれない。それでも、胸の奥は勝手に暖まっていく。
「任せて、いいのか?」
「いちいち聞くな」
突き放す態度にちくりと刺されたが、拒絶を咎める暇はない。礼を言い、基地への道をまっすぐに走る。だからウィリアムは知らなかった。一度だけ振り返ったユンが、シオンの剣捌きに目を奪われていたことを。昏い目で彼を捉えていたことを。
◆◇◆
リンはベッドの中で静かに寝息を立てていた。ウィリアムを連れたユンの姿を見つけ、ジェシカは目元を緩ませる。
「よかった、合流できたのね。リンは落ち着いてるわ、とりあえず安心していいみたい」
医務室の奥、空いたベッドに腰を下ろすと、ウィリアムは顔を上げた。見知らぬ少女がこちらを見ていたからだ。金色の巻き毛が特徴的な、垂れ目の娘。年齢はウィリアムとそう変わらないだろう、討伐隊で最もよく見る年代だ。金髪の少女は口を開く。
「この子が倒れたのは、簡単に言うと魔力の消耗。つまりは、がんばりすぎ。命にも関わるんだから、注意しなきゃだめよ?」
のんびりとした口調に似合わぬ忠告。仲間の困惑を察し、ジェシカが紹介を添えてくれた。
「彼女は一番隊のカノンさん。偶然ここに来てたみたいで、いろいろ教えてくれたり、手伝ってくれたりしたの」
「魔力の消費は、結局のところちゃんと休まないと回復しないのよねえ。だから、疲労回復も、魔法を使いすぎないようにするのも、どっちも大事なの」
どうやら二人は打ち解けているようだ。少し会話をしてから、カノンは背伸びをした。
「チームメイトさんが合流したなら、もう心配はいらないかしら。それじゃあ、わたしは行くわ~。いまは眠っちゃっているけれど、リンくんにもよろしくね。くれぐれも、がんばりすぎには気をつけるのよ」
喋り方は穏やかだか、そこには一番隊という肩書きの重さを思わせる、独特の凄みがあった。けれど彼女の態度は、こちらを想ってのことなのだろう。彼女が医務室を去ると、ユンは素直に零した。
「いい人だったね」
「ああ見えて、魔物とは単独で戦える実力者なのよ。私たちとは違う戦い方をしてる。良くも悪くもね」
医務室にいた間、ジェシカはカノンの討伐隊としての姿を感じていたはずだ。自分たちとの実力の差も。
――魔物と単独で戦う。ウィリアムは、その光景を見たばかりだった。
「シオンの奴、大丈夫だったかな」
彼の実力なら問題はないだろう。けれどウィリアムの中で、何かがひっかかっている。
「シオンって、さっき一緒にいたあいつでいいんだよね」
いつのまにか、隣にユンが座っていた。目が合うと、彼女の黒い髪がさらりと流れる。
「金眼の鎖剣士……ちゃんと会ったの、初めてかも」
「そっか。見ただろ、シオンのやつ。本当に強いんだよ。強い、けど」
剣を振るう背を思い出す。どこか妙だった様子が気にかかる。あの場所に大事なものを置き忘れてしまったような、底知れない不安。
「ボク、あいつのこと好きじゃない」
――好きじゃ、ない?
まとまらなかった思考が一瞬にして醒めた。いつもと変わらない当然のような声色で、いま彼女は何を言った?
「どういうことだよ、それ」
好きや嫌いが言えるほど、二人の間に関わりは見えない。切り捨てるようにユンは続ける。
「確信はしてないけど、でも……たぶん好きじゃない」
言い切った瞳は、見たことのない影を帯びている。吸い込まれそうな深さと、突き刺さるような鋭さ。その目はきっと、この場にいないシオンを見ている。
あの時、ユンの声に遮られなければ、自分は彼に何と言っていただろう。明かされた鍵の真実についてか、それとも――。
聞けないまま、言えないままになってしまった言葉を想うと、ただただ歯痒かった。