[3]守るべきもの

 治癒術をめぐった騒動のあった日、例外的な魔物の出没を恐れてまた結界が強化されていた。日はすっかり沈んでいて、窓の外は真っ暗だ。それなのにリンはまた手伝いに向かったらしく、一行が夕食を済ませても宿に姿を見せることはなかった。
「遅いなあ、リン君」
「村ひとつを守る結界っていったら、それなりの規模だもの。時間はかかるわ」
 守護の魔法を扱えない三人は、リンの帰りを待つことしかできない。けれど懸命な仲間を労ってやりたかった。気持ちを抑えきれず、結果として立ち上がる。そのときちょうど、リンが帰って来た。
「ただいま」
「おう、お疲れさん。作業はうまくいったのか」
「結界班の人たちが、がんばったおかげで。ほとんど足手まといだったけど」
「そんなことねえよ」
「あるの」
 こんなところに限って、リンは頑固だ。仕方がないのでため息をついて、沈黙。窓を仰ぐと、明るい月が村を照らしていた。ゆったりと流れる時間に許されて、リンは再び口を開く。

「ありがとう。僕……僕、本当はすごく嬉しいんだ。誰かを守ることができたのは、はじめてだったから。ほんとうに守れたんだって、思えたから」
 初めて零れた本音にウィリアムは強く頷いた。こうやって言葉を交わせることは、とても尊いことのような気がしていた。
「お前はさ、もっと、胸を張ってもいいんじゃないのか」
 日頃からの想いが、するりと湧き出る。いつだってそうだった。リンがどれだけウィリアムを、三番隊を支えているか、本人だけが知らないのだ。
「できたらいいな、そんなふうに」
「できるさ」
 そう、自らの力で、誰かを守ることができる。使命を果たすことができる。必ずどこかで、想いを果たすことができる。雲の向こう側でも、確かに輝いている星のように。

◆◇◆

 それから数日の討伐は、大きな問題もなく終わった。結界の安定苦戦することもなく、予知されていた魔物を乗り越えた。合間に子供たちと戯れたり約束通りリンに応急処置を教わったりする日々が続いて、ついにオーブリを去る日が来た。
「結界は、術書の守護の代わりになるはず。我々もやれるだけのことはしました。もし何かあれば急行します」
「そのときは神殿の力を使って、報せの鳥を飛ばしますよ。よろしくお願いします」
 移動魔法の印の前には、歓迎会を思い出させる賑わい。術書の件もあってか数は減っていたが、それでも多くの村人たちが見送りに来てくれたのだ。
「また、魔物の予兆が現れたら向かいます。それまで、どうかお元気で」

 魔法陣の近くにいた順に、討伐隊員たちは帰っていく。三番隊も続こうとしたとき、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「お嬢ちゃん」
「もしかして、私かしら」
 振り返ったジェシカに、老婆は笑いかけた。後ろにはテオとチカも並んでいる。装備のせいで間違われたのだろう。納得しながら歩み寄ると、皺だらけの手を差し出された。
「そうだよ。お嬢ちゃんに、これを」
 老婆の掌に乗ったそれは、一冊の本だった。決して整ってはいない表紙から感じられる長い歴史に、思わず尻込みする。
「ど、どうして私に」
 あまりにも突然だった。頼んだ覚えは勿論ないし、何かを貰うほどの関わりがあったかというと、そんな心当たりもない。目を白黒させていると、老婆は付け足した。
「随分と古代魔術に詳しいようだったからの。オーブリの神殿と、賢者さまや天使さまの出てくる古代伝説についての本じゃ。きっと役に立つ。……これはちょっとした頼み事じゃ。お嬢ちゃんなら、この本に書いてあることも理解できるだろう。村にはもう、そんな知識人は残っておらん。だからこそ託すのじゃ」
 自分の何倍も年を重ねた目は、ある種確信めいた光を湛えていた。生きた年月が支えているであろう、揺らぐことのない眼差し。暫しの逡巡の後、ジェシカはその白い手を古びた本に重ねた。
「……わかりました。大切にします」
 恭しく礼の言葉を述べ、餞別を胸に抱く。老婆はにっこりと笑っていた。と、その後ろから、子供たちが飛び出した。

「あたしはね、これ! ひらひらのおにいちゃんに!」
「ひらひら――って、僕?」
 頷く子供たちに、躊躇いがちに数歩、歩み出る。二人は彼を待ちきれないとばかりに飛び跳ねていた。
「えへへ、きれいでしょ」
 少女が差し出したのは、緑の宝石が煌めくペンダントだった。所々歪な質感は、それが二人の手で作られたことを物語る。
「これ、君たちがつくったの?」
「そう! テオが枠をけずって、あたしが宝石を磨いたの! お守りなのよ」
 覗き込んでみると、確かになにかのまじないのような印が刻まれている。少しよれよれになっている線が、二人の手の暖かさを思い出させた。
彼らの贈り物は、小さな両手からリンの左手へ渡される。確かな重みは、そこに詰まった想いがあるからだ。
「ありがとう。君たちと出会えてよかった」
 二人と握手を交わして、老婆にも一礼。そのタイミングで、背後からウィリアムの声が投げかけられた。

「リン、そろそろ行くぞー」
「あ、待って!」
 四人揃って、シュバルトが待つ魔法陣の方へと歩き出す。一度振り返り、背にかかる無邪気な声に笑い返して――。
「おにいちゃん、おねえちゃん、また会おうねー!」
「必ず、またいつか! それまで、さようなら!」
 自分が守ることのできた人々に別れを告げて、四人は煌めく魔法陣へと足を踏み入れた。

◆◇◆

 ――薄暗い部屋。灰色の椅子に腰かけて、白いドレスの少女が物思いに耽っていた。そこに、金髪の女が現れる。独り言を呟いていたが、少女を見つけると、女の言葉は彼女へ向かっていった。
「力の持ち主、ねえ。興味あるわ。是非実験に……、あら、タバサちゃん。オーブリはどうだった? そういえば、神殿の古代術がなくなったって聞いたけど、独断で持ち出したんじゃないわよね」
「当たり前。知らなかったもの、そんなこと。……誰から聞いたの?」
「もちろんアイツよ」
 相手の即答に、少女は目を曇らせる。膝に置いたままの小さな手で、身を包む白い布を無意識に握りしめていた。「アイツ」が誰を指しているかは、一瞬で察しがついた。

「あの人は、無事なのかしら」
「珍しいわね。あなたが人間を気にするなんて」
「あの人は特別よ」
 繰り返すタバサから、女は目を逸らす。「とくべつ」、また、同じ声が落とされる。
「まあ、元気にやってるんじゃない?」
「わたし、人づての情報は信用しないわ」
「自分で聞いておいて。相変わらず読めない子」

投げやりな返事は、つまり興味を失くしたことを意味している。薄暗い部屋に、二人以外に誰かが来る様子はない。頭の上で結われた金髪を揺らし、女はまた独り言に戻る。
「ついに実験が成功したの」
 上機嫌な女の声に、タバサははっとして顔を上げた。それが自分に語りかけられた言葉でないことは知っているが、その先を追わずにはおれなくなった。しかし女の声は単調な喜びに満ち、それ以上を明かさない。
「もっともっと、楽しくなりそうだわ」
 光のない空間を、女の笑い声が支配していた。

◆◆第三章 守るべきもの 完◆◆
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