[3]守るべきもの
「その人じゃない! だっておにいちゃんたち、テオを助けてくれたもの! そんな人たちが、神殿さんにいたずらなんか、するわけないもん!」
――チカだ。おさげ髪を振り乱した渾身の叫びが、周囲の空気を洗っていく。村人たちが彼女を振り向く。討伐隊も、ウィリアムも。
「チカちゃん……そうなのか?」
「そうだよ! テオからきいたもん! テオ、うそつかないもん! だから、おにいちゃんがひどいことするはずない!」
純真な瞳に浮かぶ幼い雫。その透明さに、視界が絞られる。彼女は、自分たちのために泣いている。
「だからぜったい、その人じゃない!」
村で可愛がられているという、おさげの娘。彼女の言葉は、人々の胸に響いたようだった。冷や水を浴びせられたように、大人たちの目が覚めていく。怒りが、鎮められていく。
「でも、じゃあ、術書はいったい……」
「この際、魔物の仕業だと断定するしかないでしょう。信じがたいですが」
魔物にそれほどの知能があると想像していた者は、討伐隊も含め殆どいなかった。けれど、とシュバルトは続ける。
「不安な気持ちはわかります。痛いほど。この事態を防げなかったことに関しては、心からお詫びしたい。我々には、あなた方を守る意思がある。それだけはどうか、わかってほしい」
静まり返った群衆に、指揮を執る者の言辞が染み渡る。彼が語り終えるころには、もうリンに疑いを向けるものはいなくなっていた。
「君、酷いことを言ってすまなかった」
「僕が煮え切らなかったのもよくなかったんです。本当に、僕なんか……」
言い終わらないうちに、リンは大人たちの合間をすり抜けどこかへ行ってしまう。翻る長い袖を追うように、ウィリアムも、仲間たちも、謝ってきた男に背を向けた。
「待てよ、リン!」
「ちょっと、君たち――」
「我々はこれからも魔物と戦います。その上で手掛かりが見つかったら、必ず伝えます」
シュバルトが空白を埋めるように対応する。ほとんどの村人たちは、彼の言葉に耳を傾け始めた。
「っていうか、魔物と戦うおれたちが、魔物が有利になるようなことするかっての」
言い残して、ヒューゴはその場を離れていく。他の隊員も、気を抜かれた争いの場を離脱し始めた。落ち着きを取り戻した村は、少しずつ生活が営まれる元の場へと収束しつつあった。やがて、集まっていた人影もまばらになっていく。
赤と緑のローブを探して辺りを見回すと、彼はチカのところにいた。幼い娘と、彼女に合わせて屈みこむ少年。もうすっかり見慣れてしまった。
「助けてくれてありがとう」
「ありがとうじゃないよ! おにいちゃんがテオをたすけてくれたんだもの」
「でも、ありがとう」
「なにそれ、変なのー!」
リンの返事がどこかちぐはぐに思えたのだろう、チカは突然に笑い出した。そこにテオが駆けつけて、また、笑顔の輪が広がる。ウィリアムの位置からでは何を話しているのかまではわからないが、三人の様子は和やかで、気づけば口許が綻んでいた。
――ああ。守る、とは、そういうことなのだ。
(オレとシェリーも、あんなふうに見えてたのかな)
まだ数少ない記憶を巡れば、パンをくれた少女が、お菓子をくれた青年が、瞼の裏に現れては消えていく。分け与えることと身を挺すことはどこかよく似ていて、記憶が自分の一部であることが今更しっくりきた。あの頃の自分は、守られる側の人間だったのだ。
気づかせてくれた三人を眺めていると、そこにチカの父親が駆け付けた。なにやらリンに頭を下げている。するとリンも頭を下げた。テオとチカが、また笑いこける。
「チカのお父さん、いい人だね」
「ええ、そうね。この村はやっぱり、こうでなくちゃ」
「いいなあ」
ユンのまなざしにどこか昏さがよぎり、ジェシカははっとした。いつか、彼女のこんな表情を見たことがある気がした。
「ユン、あなた――」
「みんな!」
そこに、子供たちと別れたらしいリンがやってきた。
「ありがとう、みんな。庇ってくれて」
「当たり前だよ。リン君は悪いことなにもしてないもん」
無邪気ながらも真実を突いた発言は、なんてことのないいつものユンだ。ジェシカはリンに向き直り、さっきまでの当惑を隠す。
「それでも、助けてくれたことは確かだよ。ありがとう」
「だから、謝るほどのことじゃ」
「でも、ありがとう。僕だけじゃどうにもならなかったから」
会話の流れに、ウィリアムは妙な納得を覚えた。この頑なさが、子供たちをあれほど笑わせたのだろう。ユンも似たような反応をしている。ジェシカはというと、そんな彼女を見やり、なにやら微妙な表情になっている。知ってか知らずか、リンの感謝はこちらにも向いた。
「ウィリアムも、ありがとう。僕を守るために怒ってくれたでしょ」
――守る。改めて落とされたその言葉が、腹の底から波紋を広げていく。
(オレの力も、守るための力なのかな)
自分の記憶を集めるだけでなく、誰かと共にあるための。もしそうであるならいいと、心から思えた。この手に握っている鍵が、力が、今ここにいる仲間や村の人々、いつかきっと再会するかもしれないあの少女、自分の大切なものすべてに迫る災厄を、振り払える力であれば。
「なあ、リン。応急手当の仕方って教えてもらえるか」
口から出た思いつきに、自分でも驚いた。けれど、次に納得した。自分が何を考えていたのか、少しだけ伝わった気がした。見つめた緑の瞳が、視線を返されて紫の瞳が、すっと細められる。
「僕なんかでいいなら」
「だーかーら、そう言うなって。頼んだぜ」
「じゃあ、私も手伝おうかしら」
「ボクにも教えてよ!」
「待った待った、オレが最初だ!」
――それは、確固たる意志のはじまりだった。守る者に、なるのだ。