[3]守るべきもの

 村の中心部に戻ると、二人で歩く道は思っていたより長い。村の纏う重さがそうさせる。活気の戻らない空気に触れることを厭い、ウィリアムは関係のなさそうな疑問を口にした。
「さっき何か言ってなかったか? 古代、なんとかみたいな」
「古代魔術のこと、かしら」
「こだい……シオンのあれが、か?」
「ええ。彼、古代魔術の使い手よ」
 その単語を初めて聞いたのは、確か神殿の治癒術のときだ。保管されていたはずの術書もまた、古くから伝わるもの。
「それって、伝説の魔法なんじゃないのか?」
「少し違うわ。大昔、それこそ世界樹伝説の時代に使われていた魔法のことよ。あの頃は今より魔術が発達していたけれど、大きな争いで途絶えてしまった。それの遺物が少しだけ、この世界には残っているの。オーブリの治癒術のように」
 すらすらと語られる歴史は、複雑でもすんなりと受け入れられる。賢く気高くあるのに、決して孤高ではない。そんな彼女にだからこそ、ウィリアムは素朴な疑問を投げかけられる。
「やっぱ、特別なものなのか? 古代っていうのは」
「ええ。そもそも、普通の魔法使いが知ってるものじゃないわ。まず古代文字が読めて、発音できて、話はそれからよ。それに、あの古代治癒術はもっと大変。治癒術の創印には特殊な能力、みたいなものが必要なの。普通の魔法使いが魔法陣を編んでも効果がない。だから治癒術は限られた人間しか使えない」
 知らなかったいくつもの事象は、素直にウィリアムの注意を引いた。思い起こさせるのは、以前聞いていた魔法の仕組み。魔法陣を描き、詠唱、そして発動。
「ってことは、印さえ描いちゃえば、他の奴が発動させてもいいのか?」
「理論上は、そうなるわね。あら、」
 答えたジェシカの視線は、ウィリアムを通り越してその背後へ飛んでいった。追うと、伸びやかな声が返ってくる。
「ジェシカ! ウィリアム!」
 シュバルトの元へ向かったユンと、結界魔法の手伝いをしていたリンが、なぜか一緒に駆け寄ってきた。流石にジェシカは気配り上手なだけあって、役目を果たしたフードの少年を労う。
「結界は終わったみたいね」
「僕の手伝えるところは。まだ完成はしてないけど、僕じゃこれ以上は力になれなくて」
 再会して早々に俯くリンの肩を、ウィリアムは軽く叩く。
「ちょっと力になれただけで十分だろ、お疲れさん。にしても、なんでユンが一緒に?」
「ボクは、道に迷っちゃって。リン君を見つけたから、一緒に」
 そういえば、初めて会ったときもそんなことを言っていた気がする。なかなかの方向音痴であるらしい。苦笑いして、ようやくリンが顔を上げる。次に真っ先に気にかけたのは、目立つ頬の擦り傷だった。
「ウィリアム、その傷は」
「結界が完全じゃなかったとき、魔物が入ってきたんだ。それでちょっと」
「わかった。今治すよ」
 継ぎ足された右袖の布が頬をかすめる。治癒術のぴりっとした痛みには、もう慣れきっていた。が、今、それは問題ではない。
「ちょっと待って、ウィリアム。魔物が出たの?」
 視界の端を忙しなく跳ねていた白い帽子が、ぴたり、止まる。今日、魔物は現れないはずだったのに。

「それは、本当なのか」
 耳に新しい、低い声がした。村に住む、壮年の男のうち一人だ。広い額には焦りが滲み出ていた。
 見ると、魔物の話を聞きつけてか、何人かの村人が集まっていた。数少ない大人の男たちと共に、シュバルトもこちらへやってくる。
「魔物が現れたのか?」
気遣わしい眼差しで、事の次第を問う。ユンは静かに目を背け、ジェシカとウィリアムが淡々と事態を説明していく。突然現れた、異質な魔物について。どうしてか言いたくなかったので、シオンのことは伏せて。
「でも、すぐ倒されたから問題はないわ」
「よかった」
 胸を撫で下ろしたのは、最初に声をかけてきた男。息をついたシュバルトは、しかしまだ険しい表情のままだ。その理由に、心当たりがないわけではない。会話を続けていたジェシカは、思い切って尋ねる。
「やっぱり術書は、見つからないんですか?」
「ああ。手の空いてる隊員たちも村の方たちでも探したが、どこにもなかったらしい」
 本当になかったのか、ちゃんと探したのか――、と、遠くのざわめきから声がした。ぬるい風はいやな空気を届けるものだ、とばかりに、シュバルトは目を伏せる。先程の魔物だって、神殿の異常をいいことにやってきたのかもしれない。

「怪しい人影とかは?」
「それも、全くといっていいほど」
 手掛かりひとつ見当たらない。村のかつての穏やかな姿を、取り戻すことはもはや難しいだろう。遠くに目をやると、魔力の膜が確かなものになっていくことが感じられた。
「結界が安定すれば、魔物が入り込むことはないだろう」
「それは安心だ。なにしろ魔物は人を襲うからね。娘に何かあったらと思うと、いてもたってもいられなくて」
 しきりに魔物を気にするのは、彼にも大切なものがあるからだ。
「娘さん?」
「ほら、そこのおさげのだよ」
男が振り返ったのは、大人たちの間を無邪気に駆け回る幼い女の子――チカだった。娘を眺めて細められる目に、ユンの視線は釘づけになった。
「あの子の、お父さん」
 どこまでも優しい瞳は、なるほど、子を見守る父のものだ。言われてみれば、細かいところが似ているかもしれない。
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