[3]守るべきもの
見慣れた銀の髪。剣が振るわれるのに合わせて、青紫のマントが翻る。
一瞬、迷いも痛みも忘れた。振り返って揺れる髪の細かさも、黄金の瞳に宿る深さも、いつもの夜と変わらない。安堵か喜びか、じんわりと胸の奥が緩んでいく。久々に呼吸をした気がした。
「こんなときまで特訓か。村が大騒ぎなんだ。知ってるだろ」
「だからといって特別にできることがないから、お前はここに来た。そうじゃないのか」
事実、そうであった。シオンは確実に真実を突いてくる。鋭さを増す眼差しが、こちらの視線を捕えて放すことはない。ただウィリアムは、こうなるとむしろ余計に燃えてしまうたちだった。
「どうせ訓練するなら、こっちの方がいいんじゃないのか」
言わんとすることを読み取ってか、黄金の瞳に輝きが灯る。戦意。似た情熱が二人を繋ぐ。心地よい緊迫に身を任せて、ウィリアムは剣を抜いた。
「来いよ」
挑発を受け、自然と口の端が上がる。右手で剣を構え、左手で光を紡ぐ。
「――我求むるは果敢な刃、我造出すは紫電の矢――」
宙に浮かぶ印と詠唱を認め、シオンはただ身構えた。こちらが魔法を使うとわかっていながら、発動を阻止してこない。剣を構え直し、口早に詠唱を完結させる。
「貫け! <トゥローノ>!」
魔力は雷の矢に姿を変え、剣先の指す方、シオンへと向かっていく。対象は身じろぎひとつせず、迫る魔法を正確に剣で叩き落とす。やはり一筋縄ではいかない。
「それで終わりか?」
罠に似た誘う声と同時に、反撃。弾かれた雷が、今度はこちらに襲い掛かってきた!
嘘だろ、と喚く暇もなく身体を捻る。服をかすめ、魔法の矢はすり抜けていく。息をついて向き直ると、そこには斬撃があった。――回避の隙に、距離を詰められた!
無理な角度で受け止めた一撃は重い。痺れた手に必死に力を込めて、一瞬の判断で気を集中させる。
「まだまだ!」
空いた左手に集めた力を解き放つ。飛び散る雷撃。即席の爆発は、しかし咄嗟に飛び退いたシオンには届かない。それでも決定打を避けるには十分だった。
距離が開いたことで、また最初の睨み合いに戻る。先に仕掛けるか、相手の様子を見るか。このまま無鉄砲に突っ込めば、きっと今までと同じ結末が待っている。
――ただ、今回は違う。背後に魔法陣を隠していた。爆発に紛れて描いた小さなものだったが、このまま発動させても不意打ちはできるはずだ。僅かな可能性に、それでもウィリアムは全てを賭けると決めた。
均衡を崩す合図を、二人は待っていた。
そして、ウィリアムは見通した。シオンの左足に、力がこもったのがわかる。
(今だ!)
研ぎ澄まされた刹那。
精一杯の勢いで炸裂する魔弾の攻撃を受けたのは――
「え、」
いるはずのない存在だった。
闇色と紫を継ぎ接ぎした体躯。蝙蝠に似た二対の翼。ヒトによく似た、けれど明らかに異質な、その存在。
見たこともない敵の正体を、勘は告げている。何故、今、このときに。
(どうして、魔物が――?)
突然の乱入に目を丸くしている間に、もう一人は動いていた。
「ぼさっとするな!」
続々とやってくる魔物たちを、一体、また一体と斬り伏せていく。これではまるで討伐中だ。だが。
「待てよ! 今日は魔物の予兆、なかったはずじゃ――」
拳。人型の魔物が繰り出した殴打を、視界の端にとらえる。咄嗟に左腕で防ぐが、受けきれない。嫌な音がする。止まらない拳に、そのまま吹き飛ばされる。
「うわっ……つ、」
ざらついた地面が頬を擦る。痛みに呻く。ここまで人間に近い姿の魔物は、今までいなかった。これほど強い力で押してくる敵も。
(一体、どうして)
「こんなときに」
低く落とされたそれは、シオンの独り言。彼は、戦っているんだ。事実がひとしずくとなって、胸の底に波紋をつくる。いつまでも寝ているわけにはいかない。身を起こし、集中を呼び戻す。そのとき、凛とした声がかかる。
「ウィリアム!」
名を呼ぶのは、青い瞳の少女。三番隊を支える、頼れる仲間!
「ジェシカ! よかった、加勢してくれないか」
「ええ、そのつもりで来たもの」
飛んでいく魔物を、偶然見かけたらしい。気を取り直し、魔物たちへと立ち向かおうとして、阻まれる。そちらへ、進めない。
「って、なんだよこれ!」
――鎖。
張り巡らされた戒めの象徴が二人と魔物とを隔てていた。鎖の主は、剣を構えたまま鋭い声で告げる。
「下がっていろ」
闇の鎖は、剣の柄から伸びていた。柄を握るシオンにどういうことかと問いただそうとした、その瞬間にはもう、準備ができていた。いつの間にか、輝く魔法陣。創印も詠唱も、早すぎる!
(あいつの強さは、剣だけじゃないのかよ)
唱えられた知らない言葉と同時に、闇の刃が全てを刺し貫く。彼の魔法を見るのは、これが初めてだった。
「古代魔術……?」
ジェシカの呟きが、魔物たちの断末魔をすり抜け、ウィリアムの耳に届く。魔術の光が収まったとき、残った敵はいなかった。壁となっていた鎖が解かれる。
もちろん、雑魚を束ねていた人型の姿もそこにはない。さっきまで存在していた魔物たちは皆魔力と化していて、シオンの左手へと集められた後だった。
我に返ると、彼はもう背を向けていた。いつも通り、戦績となる黒い欠片は手つかずのまま。だがそんなことはどうでもよかった。
「待てよ! さっきの続きは」
だが、返事が来る前に、後ろから制される。
「ウィリアム、だめ」
「なんで止めるんだよ」
不満げなウィリアムに、あくまでジェシカは冷静だ。スラリとした指が、真っ直ぐにウィリアムの頬を示す。さっき地面にぶつかったときの擦り傷だ。
「血が出てるわ。痛くないの?」
「ちょっとは痛いけど、それよりシオンと」
「無茶はよくないわ。とりあえず手当てするから、宿に戻りましょう」
こういう局面での強制力では、ジェシカにかなわない。素直に従い、彼女の背に続く。もう、シオンの姿は見えなかった。
一瞬、迷いも痛みも忘れた。振り返って揺れる髪の細かさも、黄金の瞳に宿る深さも、いつもの夜と変わらない。安堵か喜びか、じんわりと胸の奥が緩んでいく。久々に呼吸をした気がした。
「こんなときまで特訓か。村が大騒ぎなんだ。知ってるだろ」
「だからといって特別にできることがないから、お前はここに来た。そうじゃないのか」
事実、そうであった。シオンは確実に真実を突いてくる。鋭さを増す眼差しが、こちらの視線を捕えて放すことはない。ただウィリアムは、こうなるとむしろ余計に燃えてしまうたちだった。
「どうせ訓練するなら、こっちの方がいいんじゃないのか」
言わんとすることを読み取ってか、黄金の瞳に輝きが灯る。戦意。似た情熱が二人を繋ぐ。心地よい緊迫に身を任せて、ウィリアムは剣を抜いた。
「来いよ」
挑発を受け、自然と口の端が上がる。右手で剣を構え、左手で光を紡ぐ。
「――我求むるは果敢な刃、我造出すは紫電の矢――」
宙に浮かぶ印と詠唱を認め、シオンはただ身構えた。こちらが魔法を使うとわかっていながら、発動を阻止してこない。剣を構え直し、口早に詠唱を完結させる。
「貫け! <トゥローノ>!」
魔力は雷の矢に姿を変え、剣先の指す方、シオンへと向かっていく。対象は身じろぎひとつせず、迫る魔法を正確に剣で叩き落とす。やはり一筋縄ではいかない。
「それで終わりか?」
罠に似た誘う声と同時に、反撃。弾かれた雷が、今度はこちらに襲い掛かってきた!
嘘だろ、と喚く暇もなく身体を捻る。服をかすめ、魔法の矢はすり抜けていく。息をついて向き直ると、そこには斬撃があった。――回避の隙に、距離を詰められた!
無理な角度で受け止めた一撃は重い。痺れた手に必死に力を込めて、一瞬の判断で気を集中させる。
「まだまだ!」
空いた左手に集めた力を解き放つ。飛び散る雷撃。即席の爆発は、しかし咄嗟に飛び退いたシオンには届かない。それでも決定打を避けるには十分だった。
距離が開いたことで、また最初の睨み合いに戻る。先に仕掛けるか、相手の様子を見るか。このまま無鉄砲に突っ込めば、きっと今までと同じ結末が待っている。
――ただ、今回は違う。背後に魔法陣を隠していた。爆発に紛れて描いた小さなものだったが、このまま発動させても不意打ちはできるはずだ。僅かな可能性に、それでもウィリアムは全てを賭けると決めた。
均衡を崩す合図を、二人は待っていた。
そして、ウィリアムは見通した。シオンの左足に、力がこもったのがわかる。
(今だ!)
研ぎ澄まされた刹那。
精一杯の勢いで炸裂する魔弾の攻撃を受けたのは――
「え、」
いるはずのない存在だった。
闇色と紫を継ぎ接ぎした体躯。蝙蝠に似た二対の翼。ヒトによく似た、けれど明らかに異質な、その存在。
見たこともない敵の正体を、勘は告げている。何故、今、このときに。
(どうして、魔物が――?)
突然の乱入に目を丸くしている間に、もう一人は動いていた。
「ぼさっとするな!」
続々とやってくる魔物たちを、一体、また一体と斬り伏せていく。これではまるで討伐中だ。だが。
「待てよ! 今日は魔物の予兆、なかったはずじゃ――」
拳。人型の魔物が繰り出した殴打を、視界の端にとらえる。咄嗟に左腕で防ぐが、受けきれない。嫌な音がする。止まらない拳に、そのまま吹き飛ばされる。
「うわっ……つ、」
ざらついた地面が頬を擦る。痛みに呻く。ここまで人間に近い姿の魔物は、今までいなかった。これほど強い力で押してくる敵も。
(一体、どうして)
「こんなときに」
低く落とされたそれは、シオンの独り言。彼は、戦っているんだ。事実がひとしずくとなって、胸の底に波紋をつくる。いつまでも寝ているわけにはいかない。身を起こし、集中を呼び戻す。そのとき、凛とした声がかかる。
「ウィリアム!」
名を呼ぶのは、青い瞳の少女。三番隊を支える、頼れる仲間!
「ジェシカ! よかった、加勢してくれないか」
「ええ、そのつもりで来たもの」
飛んでいく魔物を、偶然見かけたらしい。気を取り直し、魔物たちへと立ち向かおうとして、阻まれる。そちらへ、進めない。
「って、なんだよこれ!」
――鎖。
張り巡らされた戒めの象徴が二人と魔物とを隔てていた。鎖の主は、剣を構えたまま鋭い声で告げる。
「下がっていろ」
闇の鎖は、剣の柄から伸びていた。柄を握るシオンにどういうことかと問いただそうとした、その瞬間にはもう、準備ができていた。いつの間にか、輝く魔法陣。創印も詠唱も、早すぎる!
(あいつの強さは、剣だけじゃないのかよ)
唱えられた知らない言葉と同時に、闇の刃が全てを刺し貫く。彼の魔法を見るのは、これが初めてだった。
「古代魔術……?」
ジェシカの呟きが、魔物たちの断末魔をすり抜け、ウィリアムの耳に届く。魔術の光が収まったとき、残った敵はいなかった。壁となっていた鎖が解かれる。
もちろん、雑魚を束ねていた人型の姿もそこにはない。さっきまで存在していた魔物たちは皆魔力と化していて、シオンの左手へと集められた後だった。
我に返ると、彼はもう背を向けていた。いつも通り、戦績となる黒い欠片は手つかずのまま。だがそんなことはどうでもよかった。
「待てよ! さっきの続きは」
だが、返事が来る前に、後ろから制される。
「ウィリアム、だめ」
「なんで止めるんだよ」
不満げなウィリアムに、あくまでジェシカは冷静だ。スラリとした指が、真っ直ぐにウィリアムの頬を示す。さっき地面にぶつかったときの擦り傷だ。
「血が出てるわ。痛くないの?」
「ちょっとは痛いけど、それよりシオンと」
「無茶はよくないわ。とりあえず手当てするから、宿に戻りましょう」
こういう局面での強制力では、ジェシカにかなわない。素直に従い、彼女の背に続く。もう、シオンの姿は見えなかった。