[3]守るべきもの
立ち戻ったオーブリに、かつての穏やかさはなかった。先の一件で魔物が尽きたらしく、村の中心部には討伐隊の面々が揃いつつあった。テオの無事も確認できたが、彼と話す余裕はない。そこでもたらされた事実が、四人に圧し掛かる。
「神殿の術が、なくなった?」
「そう言ってた。村の人たちは、魔物の仕業じゃないかって、今シュウさんたちと一緒に調べてるみたい」
「関係あるのか? あの、タバサだっけか」
村の守護が弱まったときに、狙ったように姿を現した謎の少女。二人目の、魔物を操作する魔法使い。
やり場のない視線を吸い込む空は、影を落とす雲に覆われている。目を伏せて、リンは静かに繰り返した。
「きっと、そうだよ。そうしよう。だって、あんまり考えたくないけど、もし、もしあの子じゃなかったら」
――疑いの目が向くのは、確実にこちら側なのだ。
この日、魔物が現れる予兆はなかった。しかし不安に包まれた村はどこか居心地が悪く、村人だけでなく討伐隊員たちからも、穏やかさが消えていた。そんな中でも、やはり動く者は動く。食事を済ませ、ウィリアムはリンと連れ立って村に出ていた。
「リン、どこ行くんだよ。そっちは村の外だぜ」
「結界を張るの、僕も手伝いに行こうと思って」
討伐隊が引き連れた結界部隊。彼らは魔物が来ない隙に、失われた守護の代役を担う結界を用意するらしい。そしてリンは、その力添えに赴くというのだ。
「僕に大したことはできないけど、それでも、ちょっとでも力になりたくて」
そんなことない、と否定しかかって、リンが何かに振り返った。追って見ると、あのやんちゃ坊主がこちらに走り寄ってきていた。
「ひらひらのにーちゃん!」
「テオ、まってよぉ」
その後ろから、おさげ髪のチカもやってきた。急いでテオを追ってきたのだろう、息を切らせている。どうやらふたりはいつも一緒にいるようだった。
「きのうは、ありがとな」
「だめ! テオ、ちゃんと『ありがとうございました』って言うの」
チカの叱責に、テオは仕方なしに頭を下げ、少女の言葉を復唱した。リンは「無事でよかったよ」と微笑んでいる。
ちょうど、このくらいの年だった。かつてのウィリアムと、あの、少女。
「神殿さん、どうしちゃったの?」
「神殿さんはね、ちょっと元気がなくなっちゃったんだ。でも大丈夫、僕たちが君たちを守るからね」
緑の瞳が、はっきりと子供たちを見つめる。不思議そうに見上げるふたり
「それじゃ、僕たちは行くから。君らも今日は、大人のひとたちと一緒にいるんだよ」
「はーい!」
駆けていく、無邪気な子供たちの後ろ姿。思い出すのは、蘇った僅かな記憶――。
「シェリー」
幼き日の思い出。
彼女は、そして共に笑っていた自分はどこにいってしまったのだろう。抜け落ちた隙間を埋める、なめらかな闇を追う。今、彼女はどうしているのだろうか。自分のことを覚えているだろうか。まさかこんな形で忘れられているとは思うまい。ウィリアムとシェリーも、テオとチカのような間柄だったのだろうか。
(そういうことも、記憶を集めないとわからないんだけどな)
気がつくと、リンはいなくなっていた。先程言っていた、結界部隊の手伝いに行ったのだろう。思案に耽るうちに、別れの挨拶も耳に届かなかったのだ。
結界部隊の戦力にはなれないうえに、他の仲間たちはどこかへ行ってしまっていた。手持ち無沙汰に村を歩き回ると、いくつもの棘が鼓膜を刺す。
「秘術書の力がなくなれば、もうこの村は魔物にやられちまう!」
「神殿を守るのがオーブリの民の役目じゃないのか」
「父さんも兄さんも魔物を倒すって出て行っちまったのに、一体だれが」
「討伐隊っつっても若造だらけだし、賢者様は出てこないし」
うっすら感じていたとはいえ、やはり和やかさはどこにもなかった。村人の態度だけでな く、村の空気全体がすっかり変わってしまっている。突っ立っているウィリアムの背中を、全てが責めたてた。耐えかねて村の外へと足を向け、逃げ込んだ先に、あの姿があった。
「神殿の術が、なくなった?」
「そう言ってた。村の人たちは、魔物の仕業じゃないかって、今シュウさんたちと一緒に調べてるみたい」
「関係あるのか? あの、タバサだっけか」
村の守護が弱まったときに、狙ったように姿を現した謎の少女。二人目の、魔物を操作する魔法使い。
やり場のない視線を吸い込む空は、影を落とす雲に覆われている。目を伏せて、リンは静かに繰り返した。
「きっと、そうだよ。そうしよう。だって、あんまり考えたくないけど、もし、もしあの子じゃなかったら」
――疑いの目が向くのは、確実にこちら側なのだ。
この日、魔物が現れる予兆はなかった。しかし不安に包まれた村はどこか居心地が悪く、村人だけでなく討伐隊員たちからも、穏やかさが消えていた。そんな中でも、やはり動く者は動く。食事を済ませ、ウィリアムはリンと連れ立って村に出ていた。
「リン、どこ行くんだよ。そっちは村の外だぜ」
「結界を張るの、僕も手伝いに行こうと思って」
討伐隊が引き連れた結界部隊。彼らは魔物が来ない隙に、失われた守護の代役を担う結界を用意するらしい。そしてリンは、その力添えに赴くというのだ。
「僕に大したことはできないけど、それでも、ちょっとでも力になりたくて」
そんなことない、と否定しかかって、リンが何かに振り返った。追って見ると、あのやんちゃ坊主がこちらに走り寄ってきていた。
「ひらひらのにーちゃん!」
「テオ、まってよぉ」
その後ろから、おさげ髪のチカもやってきた。急いでテオを追ってきたのだろう、息を切らせている。どうやらふたりはいつも一緒にいるようだった。
「きのうは、ありがとな」
「だめ! テオ、ちゃんと『ありがとうございました』って言うの」
チカの叱責に、テオは仕方なしに頭を下げ、少女の言葉を復唱した。リンは「無事でよかったよ」と微笑んでいる。
ちょうど、このくらいの年だった。かつてのウィリアムと、あの、少女。
「神殿さん、どうしちゃったの?」
「神殿さんはね、ちょっと元気がなくなっちゃったんだ。でも大丈夫、僕たちが君たちを守るからね」
緑の瞳が、はっきりと子供たちを見つめる。不思議そうに見上げるふたり
「それじゃ、僕たちは行くから。君らも今日は、大人のひとたちと一緒にいるんだよ」
「はーい!」
駆けていく、無邪気な子供たちの後ろ姿。思い出すのは、蘇った僅かな記憶――。
「シェリー」
幼き日の思い出。
彼女は、そして共に笑っていた自分はどこにいってしまったのだろう。抜け落ちた隙間を埋める、なめらかな闇を追う。今、彼女はどうしているのだろうか。自分のことを覚えているだろうか。まさかこんな形で忘れられているとは思うまい。ウィリアムとシェリーも、テオとチカのような間柄だったのだろうか。
(そういうことも、記憶を集めないとわからないんだけどな)
気がつくと、リンはいなくなっていた。先程言っていた、結界部隊の手伝いに行ったのだろう。思案に耽るうちに、別れの挨拶も耳に届かなかったのだ。
結界部隊の戦力にはなれないうえに、他の仲間たちはどこかへ行ってしまっていた。手持ち無沙汰に村を歩き回ると、いくつもの棘が鼓膜を刺す。
「秘術書の力がなくなれば、もうこの村は魔物にやられちまう!」
「神殿を守るのがオーブリの民の役目じゃないのか」
「父さんも兄さんも魔物を倒すって出て行っちまったのに、一体だれが」
「討伐隊っつっても若造だらけだし、賢者様は出てこないし」
うっすら感じていたとはいえ、やはり和やかさはどこにもなかった。村人の態度だけでな く、村の空気全体がすっかり変わってしまっている。突っ立っているウィリアムの背中を、全てが責めたてた。耐えかねて村の外へと足を向け、逃げ込んだ先に、あの姿があった。