[3]守るべきもの

 一声が、ウィリアムの奥深くにひっかかる。いけない? 何が? しかし、それを気にしている暇はない。
「何だよ、いきなり!」
 襲い掛かってきた最初の一体を、斬り返して凌ぐ。前足を傷つけられた魔物は後退し、残りの三体もまた少女の傍らに収まった。
「あなたたち、魔物を傷つけるのね。ああ……かわいそうに、」
 あどけなさの残る少女のまっすぐな目が、四人を押しとどめていた。異様な光景に、しかし、気圧されてばかりではいられない。
「貴方は一体、何者なの?」
「わたしはタバサ。孤独で哀れなるものたちの導き手」
「孤独で、哀れなモノ、って」
 ユンの乾いた声が、与えられた言葉を反芻する。――魔物たちのこと? 問う前に、答えがそこにあった。闇色の獣がこちらを襲ってこないのは、彼女がそれを抑えているからだ。
「じゃあ君は、魔物を操る……」
 かつて討伐隊の元に現れたマルクのように、魔物を手駒として戦う魔法使い。四人の間に走った確信を、しかし白ドレスの少女は否定する。
「わたしは、この子達を操ってなんかいないわ」
 突然の告白に、ウィリアムらは顔を見合わせる。マルクとは違うというなら、彼女は。
「あなたたちは、魔物が一体何なのか知っているの? 知らないわよね。わたしには聞こえるの。魔物たちの声が」
 獣の遠吠えに似たそれは、ウィリアムたちにとって意味をなさない音だ。しかし少女にとっては違う――彼女の語り口から、嘘の響きは伝わってこない。
「魔王を求める声がするの。この子達は寂しくて、主を探している。わたしはそれに、答えるだけ」

 魔物たちの王は魔物に求められている? そもそも魔物に感情があるのか? 混乱が支配する脳内を、抑えたような声がまっすぐ通り抜ける。
「……細かいことは、今はいい。僕らは村に、戻らなくちゃ」
リンにとって、タバサは障害でしかなかった。魔物についての諸々を聞いている暇はない。今、確実に理解できることがあるとしたら、それは彼女は魔物の味方であり、突破すべき敵であるということだ。認識が声に出されたことで、四人の意思は固まった。
「邪魔をするのね」

「邪魔はどっちだ!」
 ユンの剣が光の弧を描く。その一撃を合図に、空気が変わった。まるで霧が濃くなるような錯覚――敵が、増えている。
 呼び集められたのであろう魔物たちは、空から、地から、こちらを伺う。少女がそうさせたのだ。やはり、彼女が魔物を操作している。それは揺るぎない事実だ。
 清廉な青い光は、タバサ自身の魔法だ。エネルギーを与えられた傍らの魔物たちは、みるみるとその姿を変えていく。より強大に、より凶暴に。
「これでもこの子たちは、自由になれない。苦しんでるのよ。統べる力が必要なの。でも、あなたはちがう。あなたは――だめ」
 それが引き金だった。敵が動いた。圧倒的な量の魔物が溢れ出す。その矛先を、ただ一人ウィリアムに向けて。
「駄目だ……強すぎる!」
 最初にリンが、ほぼ反射的にバリアーを張った。が、勢いを増した爪の一撃で、魔力の盾はあっけなく壊される。魔の群れは、とっさに放った炎も風も通さない。本来闇を纏う魔物には効果が大きいはずの光魔法も、相手がこの量では意味を為さない。かといって、それらを補うために詠唱している時間はない。考えている間にも、魔物たちはウィリアムに一直線、集っていく!
 すぐ傍にいたはずの仲間なのに、その姿は凶気に遮られて、視界から消えていく。
「ウィリアム!」
 ――名を呼ぶ声が重なったとき、闇が爆ぜた。

 黒が、散っていく。突然の爆発が魔物を消し飛ばした。その中心にいたのは、先程まで囲まれていたはずの彼だった。
 本来なら藍の髪に交じる程度だった紫が、まるで支配するかのように、ウィリアムの髪全体を染め上げている。魔物が還った黒い霧の隙間から、赤い瞳が覗く。その眼光を、リンは凝視した。見たことがある。あの紫を、あの赤を。
(マルクが来たときと、同じ)

 それは紛れもなく、大いなる力を覚醒させたウィリアムの姿。あのときは、どうだったか。今でも鮮明に焼き付いている、あの鮮やかさ。爆発的な魔力で敵を蹴散らした、あの力。覚醒と呼ばれた奔流。このウィリアムが目覚めてしまえば、後は、繰り返されるだけだ。
 ちらりと視線を向けると、タバサはその場に座り込んでいて、食い入るようにウィリアムを見つめていた。一体、また一体と、まるで木の葉を千切るように、いとも簡単に、魔物たちを屠る、その強さを。
 閃く剣。落ちる雷。それぞれが必殺の一撃となって、的確に魔物の中心を貫いていく。補助魔法などいらない。援護射撃も必要ない。力。それがここにある。こうして目を見張っているうちに、全てが終わってしまうのだ。
 最後の魔物が霧散すると同時に、彼の動きが止まる。纏っていた力の気配が消えると、髪も瞳も、元通りのウィリアムになっていた。一瞬ふらついて、なんとかその場に立ち留まる。
「……オレは」
 焦点の合わない目。虚ろに零れる声。
「なにを、してたんだ」
 ――彼は、やはり自分の力について何も知らないのだ。
「あなた、」
 茫然としたタバサの瞳に、じわりと険悪さが滲み出る。最初よりも明確な敵意。しかし、そこに戦意はなかった。
「だめだわ。わたしひとりじゃ手に負えない。でも、あなたの力、いつか必ず」
 残された言葉の語尾が薄れていく。タバサの細い輪郭は、淡い灯火の粒となって散った。
「消え、ちゃった?」
 彼女の姿は跡形もない。あるのは、静寂に包まれた岩場と、遠くに見える隊員の影、そして散らばっている魔物の核だけだ。
「きっと移動魔法ね。それも、私たちが知ってるものよりずっと高度な」
「どうしてそんな術を、あんな女の子が」
「話はあとだよ、急がないと」
 もう欠片を拾っている暇もない。言葉を残し歩き始めるリンの背中を、ウィリアムは引き留める。
「待ってくれ、その前に」
 予感がしていた。首を巡らし、研ぎ澄ませた視線で周囲を攫う――求めたものは、やはり、そこにあった。
「新しい、欠片」
 たった一つ拾い上げたそれを、導かれたように握りしめた。記憶を宿す銀の欠片は、左手の中で水のように伸びて吸収されていく。こうやって断片を取り戻していけば、謎の少女がウィリアムを「いけない」と判断した理由もわかるのだろうか。胸元の鍵が、少し重くなった気がした。
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