[3]守るべきもの

 翌日――討伐初日。その日は、村に被害を出すこともなく魔物の襲来を乗り切った。神殿の力に助けられたのかもしれないが、直接確かめる術はない。敵の気配がなくなったことを確認した以上、討伐を続けることはできないのだ。討伐隊員たちは訓練をしたり、村の子供たちの遊び相手になったりと、思うままに時間を過ごしていた。中には老人の家事を手伝う者や、子供たちの母親に料理を教わる者もいた。しかしルビウスは、そのどれにも属していない。ただ狭い村を歩き回るばかりで、賑やかに話しかけてくる子供たちの相手もまともにしなかった。
「あ、あかいおにーちゃんだ! 遊ぼうぜ!」
「おうテオ、おにーちゃん今忙しいの。また後でな~」
「ちぇ、つまんないの」
 テオと呼ばれた男の子は、そのまま別の誰かを探しに走り去っていった。
 ルビウスはそんな会話を、今日だけでもう数回繰り返している。それほど彼は幼子の興味を引くのだろうか。邪見にするわけでもなく適当にあしらっているその姿も、まるで年下を扱い慣れているように見えた。――少なくとも、彼の後方で様子を見守っていたリンにとっては。
「懐かれて、いるんだね。こどもたちに」
「まーな」
 ちらつく過去。リンの知っている赤い髪の少年は、褒められたときあんなふうに、勝ち誇ったように笑うのだ。
(……似てる)
「で、何の用だよ」
 子供の後ろ姿には目もくれず、ルビウスは改めて訊いた。視線がこちらに向くと、言いかけていた何かが喉に詰まってしまったようで、リンは口ごもる。
「用事、ってほどじゃないよ。ちょっと思っただけで」
「へーえ。まあ弱っちい奴にどう思われようが構わないけどな」
 何の前触れもない暴言に思わず顔を上げる。悪戯な風が、ルビウスの紅い髪とリンの赤い袖を攫い、舞わす。見下ろしてくる長身の彼は。
(ちがう。ルビウスは、ちがう)
 初めて見たときからのひっかかりを、無理やりに嚥下する。彼は、人を見下すような態度をとる少年ではなかった。そうしていつも、リンに向かって笑いかけたのだ。
(だからこそ僕は、変わりたいと思ったのに)
 目の前にいる男の笑いは、思い出の姿とは本質的に別のものだった。ルビウスにとっては何でもない発言も、リンには畳みかけるような攻撃にしかならない。
「そんな長い袖ひらひらさせてさ、仲間の足も引っ張ってるんだろ」
「それは、」
 ――違う! と。ウィリアムがここにいたら、言っていただろう。けれどリンは、反論を持ってすらいなかった。突きつけられた事実を飲み込むことで精一杯だ。返事をしない弱者を天才はしばらく眺め、やがて飽きたように踵を返す。
「オレからひとつアドバイス。諦めも肝心だぜ」
 どこか投げやりに、それだけを言い残して。

◆◇◆

 知らない鳥の鳴き声が夜更けを告げている。
「ねえ、なんだかやっぱりおかしいよ」
 宿屋の部屋で、ユンはそう切り出した。窓から入り込んでくる月の光が、壁に長方形を映し出す。オーブリにある宿の部屋はいつもの基地より狭いが、あたたかい雰囲気を二人は気に入っていた。そんな中、突然の問いに答えるジェシカは魔法を書き留めているのか、ユンに背を向けたままだ。
「何がかしら。 魔物が? この村が? それとも――」
「キミがだよ。昨日からずっとおかしい」
 え、と驚きに似た声をあげ、ジェシカがようやく振り返った。青い瞳を見つめ、胸に積もっていた靄を引き出し、言葉に変えていく。
「もしかしてボクが何か、言ったからなの? なんだかずっと、無理してるみたいだ」
 本人にとっては気づかないほど些細なことかもしれない。けれど、会話を突然切ったりするのも、魔法の勢いがよすぎるのも、さっきから少しだけ早口なのも、ユンにとっては明らかな違いだった。
「いいえ」
 長い睫毛に縁取られた、空を閉じ込めた青い瞳。日中戦っていることを感じさせない陶器のような白い肌、頬にかかってふわりと流れる髪、その結われた形が思い起こさせるのは、髪に触れるなめらかな指。全てが宝石のようで尊いそんな姿――。
 僅かに開いていた窓から、風が細く吹き込んでくる。
「キミは――本当にジェシカなの?」
 それは、突然に降って湧いた疑問だった。扉が開くように差した。まるでここが、ふたりだけの世界であるかのように導く、一瞬の錯覚。
「キミには、もっと」
 こんな小さな村の風より、もっと――どこにでもいる町娘の名より、もっとよく似合うものを、この世に一つの宝物のような、きらびやかなものを、彼女は持っている気がして。

 それが半ば真実であったからこそ、彼女は微笑んだ。
「あなた、いい子ね。でも、そのままじゃ損するわよ」
「え、」
 思いもよらない返事に、ユンは目を丸くした。はじかれた視線は、まっすぐジェシカの青に吸い込まれていく。
「天使信仰の街がある、ってどこで聞いたの?」
 まるで子供をあやすような、優しさのにじむ声。唐突なはずの問いがしっくりと染みこんでくる。カーテンのレースがゆれている。胸の奥、なにかに触れられたようで、気がつけば答えていた。
「行ったことがあるんだ。とうさまと二人で」
 それは幼い日の記憶。父に連れられて、整然と建物が立ち並ぶその街を走り回った、あの頃。そう、ジェシカには、それこそ天使をかたどった白い壁が似合うのだ。
「そうなの」
 追憶を遮るジェシカの語り口は、いつも通りに落ち着いていた。いつの間にかすっかり机の上を片づけていたらしく、不意をついて立ち上がる。
「私、ちょっと探し物があるから出てくるわね。ユンは早く寝るのよ」
 ぱたん、扉が閉まると、そこはただの宿の一室に戻ってしまう。残されたユンは、あの空間を思い出すことしかできなかった。
(でも、どうしてそんなこと。探し物なんて、そんな嘘)
 まだぼんやりとしたままの頭は、最後の問いの意味を理解していなかった。ジェシカは伸ばしたユンの手を、すり抜けていったのだ――ただの一度も、触れられないまま。
3/11ページ